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2013.06.14 創作短編「人生で一番難しいこと・・・それは」 投稿者:昼寝ネコ

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 画・カトリ〜ヌ・笠井

人生で一番難しいこと・・・それは

昼寝ネコ

 その昔、東ヨーロッパのはずれの国の隣に、ニャンタラ共和国というネコだけの小さな国があった。山間の盆地に拡がる村落には、様々な職業のネコが暮らしていたが、とりわけ富裕なネコが勢力をもち、贅を尽くしていた。そのネコの名は「ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世」といい、またたび畑を代々受け継いでいる家系に生まれ、何匹もの使用ネコを使っていた。私邸は広大な敷地に建てられ、専属の庭師、料理長、メイド頭を中心に、またたび畑の労働者まで含めると、数百匹が養われていた。

 ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世は、7歳の時に母親が病で急逝して以来、すっかり無口な性格になってしまった。後に、父親は遠くペルシャから血筋のいいネコを後妻として迎えたが、ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世が、とうとう新しい母親になつかないうちに、その後妻も病死。父親は今度はロシアから、緑色の美しい眼をしたロシアン・ブルーそのままの女性を迎え入れた。理由は分からないが、数年後にその女性はロシアに帰されてしまった。その後何度か父は再婚を繰り返したが、徐々に健康を害し、ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世が20歳代後半のときに病死してしまった。つまり、ヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世は・・・実は、あまりにも名前が長いので、父は彼のことを「ヨン」と省略して呼ぶようになり、使用ネコたちもそれにならって、いつしかヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世のことを、公然と「ヨン様」と呼ぶようになっていた。この物語は、そのヨン様について書かれたものである。少々前書きが長くなってしまったが、お許しいただきたい。

 さて、父親の跡を継ぎ、第7代目の農場主となった、そのヨン様には困った性質があった。すぐにキレるのである。スープが熱すぎるといってはメイドを解雇し、フォークの位置がずれているといっては給仕を解雇し、高音部で声がひっくり返ったといってはお抱えの声楽家を解雇し、とにかくちょっとしたことでも、凄い形相で怒鳴り散らし、怒りまくるネコになってしまったのである。若くして大農場の経営者になったので、そのストレスのせいだろうと使用人たちは耐えていたのだが、ささいなことでも高圧的に怒鳴り、激高する性格はますます悪化するばかりだった。

 当時、そのニャンタラ共和国には、世襲制の大判事がいろいろなもめごとを裁く慣例があった。大判事職は厳格に管理され、全国のネコたちの人望を集めていた。ある日、ヨン様の怒りに触れて解雇された何十匹かの元使用ネコたちが集まり、判事に相談を持ち込むことになった。かつての仲間たちで、ヨン様に雇われている猫たちも同情を寄せ、ついには内部告発の文書が、ネコネットにも流れるようになった。

 当時の大判事は、ヨン様の父親の兄の娘が嫁いだ家で、代々家庭教師をしていた英国への留学帰りのネコの従兄弟とは大親友で、一緒にネズミ狩りをする仲間の腹違いの兄と一緒にケンブリッジのフラットのルームメイトだった・・・という実に親密な関係だったのだが、そこはそれ。一切の私情を挟まず子細を検討した結果、大判事はヨン様を出廷させる命令書に署名した。当時の大判事の権力は絶大であり、さすがのヨン様も拒むことはできなかった。

 さて、審理の結果はあっけなく決まった。状況を把握した大判事は、ヨン様に次の内容の判決を下したのである。あまりにも長いので、主文だけを掲載することにする。

【主文:ニャンタラ共和国大判事の名において、当職はヨハネス・ポポロヴィッチ・ヘンドリクソン7世を「7の70倍の刑」に処す。詳細は当法廷の書記官の指示に従うこと。指示に反したときは、現在所有する全ての資産を共和国に没収し、国外追放とする】

 青ざめたヨン様・・・無理もないのである。通常の訴訟では、悪くても7回善行を行う、つまり人の間違いや理不尽な言動を7回赦せばそれで刑を務めたことになった。「7の70倍の刑」ということは、ざっと計算しても490回は怒りを抑えて過ごさなくてはならない。四六時中、大判事の任命した監視員が張り付いているのでごまかしもきかない。下手をすると財産没収で国外追放。どう考えてみても、怒りを抑えて大声を上げるのを呑み込み、相手に笑顔を見せるだなんてできるわけがない。しかし、不名誉な境遇には陥りたくない。ヨン様は生まれて初めて崖っぷちに立たされてしまった。そして試練の日は、判決のその瞬間から始まったのである。

  書記官はヨン様に記録用紙を渡した。怒りを抑えて相手を赦し、笑顔を見せた日時と状況を記録する報告書である。茫然自失したヨン様は、落胆のうちに帰宅した。その途中、街を歩けば人が自分を避けて通るのがよく分かった。散水していた男の子は、万一ヨン様に水をかけてしまったら大変なことになると緊張し、ヨン様が通り過ぎるのを直立不動で待っていた・・・のだが運悪く、バケツの取っ手が突然外れて、ヨン様のズボンが水浸しになってしまったのである。口を大きくパクパクさせ、なんとか詫びの言葉を出そうと青ざめる子どもに向かってヨン様はいった。
「いいんだよ。私はあなたを赦します・・・ニカッ」
その声は怒りに震えていたし、ニカッと笑ったはずの表情も、かなり怒気を含んだものだった。子どもはあっけにとられ、いつまでも動けなかった。買い物をすれば、おつりを間違えたら大変だと緊張する店員が、手元が狂って小銭を床にまき散らしてしまい、天を仰いだ。店主も、ヨン家への出入りが差し止めになってしまうと思い、真っ青になってしまった。そこでヨン様はこういったのである。
「いいんだよ。私はあなたを赦します・・・ニカッ」
店員と店主は、夢ではないかと互いの頬を思いっきりつねってみたのはいうまでもない。

 かくしてヨン様のイバラの道が始まったのである。やっと5回、やれやれ今日は3回・・・気の遠くなるような難行に、ヨン様は耐えながら記録を伸ばしていった。
 この赦しの苦行が300回を超えた頃には、怒りを抑えるコツも徐々に身に付き、ヨン様もかなり自然に相手に赦しの言葉と笑顔を向けられるようになっていた。街のネコたちも、ヨン様を避けたりせず、笑顔で挨拶するようになっていた。
 400回を超えると、490回まであと何回だとカウントダウンするようになった。あと30回赦せば、あとは思いっきり相手に怒りを表して罵倒できる・・・訴訟や内部告発をした連中、これまでさんざん屈辱を与えられた相手に対して、どんな仕打ちをしてやろうか・・・ヨン様はその日が来るのを心待ちにしていた。
 とうとう489回目の赦しを実行した。さあ、次が最後だ。これで重い鎖から解放されるぞ、とヨン様は最後の1回に集中した。通りを歩いていると、向こうから松葉杖をついた老婆がヨロヨロと歩いてきた。ヨン様は道を譲ったつもりだったが、老婆はちょっとした段差に足をとられ、孫のために買ったお土産のソフトクリームが入ったバスケットを、ひっくり返してしまった。なんと、まるで最初からシナリオが設定されていたかのように、大量のバニラ・ソフトクリームがヨン様の仕立てのいいズボンを台無しにしてしまった。しかし、ヨン様は上機嫌だった。なにせこれが490回目の「赦し」なのだ。ここで赦して大判事に記録を提出すれば、次からは晴れて公にキレまくることができる。そう思うとヨン様はにこやかに老婆にいった。
「いいんですよ。足の不自由なあなたを見て、こうなることを予測しなかった私が愚かでした。お怪我はありませんか?洋服は洗えば元通りになりますが、怪我をされると大変ですからね。私はあなたを責めたりはしませんよ・・・。どうぞ気をつけてお帰りください・・・ニカッ」
 最後の1回だということもあって、このときばかりはヨン様も饒舌になっていた。老婆はこういった。
「ヨン様・・・ですね?もったいないお言葉を有難うございます。私をご存知ないと思いますが、私の孫娘は、3年前にあなた様の怒りに触れてメイドを解雇されました。夫を亡くし、幼い子どもを抱えていたときの解雇ですから、大変苦しい思いをしました。申し訳ないとは思いつつ、あなた様に対して憎しみの気持ちを抱き、ことあるごとにあなた様の悪口をいいながら・・・孫娘は昨年他界しました。でも、今のあなた様のお言葉をお聞きして、とても人格者であることがわかりました。娘のことは何かの誤解だったのだろうと思います。大切な孫娘に対する仕打ちを聞いて、私自身もあなた様に対し憎む気持ちを持っていました。でも、こうして偶然のできごとによって、私の気持ちは晴れました。これであなた様に対する気持ちは、平安なものになりました。有難うございます」
 老婆は礼をいうと、詫びながら去っていった。

 大判事に記録を届けたヨン様は、街を行き交うネコたちに目を向けた。あの日、判決を受けて街に出たときは、誰もが自分を怖れ、避けていた。だが今は違う、みんな心からの笑顔を向けて自分に挨拶をしている。子どもたちまでもが、怖がらずにそばに寄ってくる。つい先刻までのヨン様は、491回目にはどれだけ思い切って相手を罵倒し、どんな仕打ちをしてやろうかと考えていた・・・のだが、不思議なことに怒気を表に出す感覚が麻痺したか消滅したか、・・・すっかり温和になってしまった自分の内面を実感していた。

 今年の収穫祭には、はねものの「またたび」をたくさん集めて、街のネコたちに配ってあげたら喜んでくれるだろうか・・・そんな思いでヨン様は家に向かった。今日ばかりは、不思議と笑顔が絶えなかった。


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