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2013.06.22 紀行文「ウワッ-! グランド・キャニオン」 投稿者:パシリーヌ

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「ウワーッ! グランド・キャニオン」

パシリーヌ

 AM3.30 モーニングコール

 4.30 グランド・キャニオンのマーサポイントの御来光を見に行く。バスから降りると辺りはうす暗い夜明け前の静けさに包まれていた。駐車場を通りすぎると、すでに外人風の人々がその辺の地べたに座り、うす暗い山の方へ目を向けて静まっている。

 私らがワイワイしゃべりながら到着すると「シー、静かにして!」というかのようにチラチラと視線を向けた。私らも彼らと同じように静かになって彼らの視線の先を見ていた。祈りの時だ。皆も祈っているかのようだ。ゴーと風の音が唸っている。やがてはるか向こうの山が茜色になり、しばらくするとサーッと光が差し込んできた。ウワーッ!歓声と共に拍手が沸き起こる。みるみる目の前に断崖絶壁の雄大な溪谷が開けていく。眼下に小さくコロラド川が見える。何という壮大な迫力、何という…空前絶後というべきか。今、目の前に現れてきたのは、先カンブリア時代からベルム紀までの15億年前から20億年前の地層の重なりが、地球の最古の歴史がパノラマとなって迫ってくる。

 横に色々な線があるのはその一つ一つがその時代を反映しているそうだ。海の時代は貝殻とか魚の化石がでてきて、砂漠や大森林の時代もあって14万年かけて内部の圧力からも突き挙げられた大地を、コロラド川の浸食作用が削り出した地形だという。
 しかしこの絶景もやがてはモニュメントバレーのような荒野となる。岸壁の至る所にその時代の化石が露出していて、生物の進化の過程も教えてくれる。

 海抜2000mにあるグランド・キャニオンは全長446㎞。東京―琵琶湖間くらいで、幅13㎞から18㎞。深さ1.8㎞。世界唯一の地表の大亀裂である。ここアリゾナ州は別名グランド・キャニオン州といわれる所以でもある。グランド・キャニオンの夏の温度は40度C。上と下では四つの季節を味わうことが出来る。上は雪でも一番谷底は暑くて乾燥した砂漠気候で、それに伴って多様な動植物が生息する。

 コロラド川はスペイン語で赤い川という意味だというが青くなる時もある。コロラド川は家ぐらいの大きな石を押し流し、グランド・キャニオンの溪谷を現在も削り取りながらメキシコ湾に注ぐ。以前からインディアンたちには知られ、恐れられていた川と溪谷である。
川幅91m、深さ30m、毎時6.4㎞の速度で流れている。1540年スペインの探検家メルコール・ディアスが最初に発見した白人である。

ジョウン・ウェズレー・パウエル少佐
1869年ジョン・ウェズレー・パウエル少佐が35歳の時にコロラド川流域の探検を開始した。彼は命知らずの冒険野郎で南北戦争のシャイローの戦いで右腕を失くしている。パウエル少佐は自らが設計した木造のボート4隻に9人で乗り込み1000マイルの激流を下った。過酷な川下りは2隻のボートを失い、食料も尽き、3人の部下が脱落して去ったが、その3人は帰路インディアンに殺されたという。しかしパウエルはグランド・キャニオンの真中に上陸することが出来た。

 1873年パウエル2度目の探検にトーマス・モーランという画家が随行してグランド・キャニオンを絵に描き世界に紹介した。またそれをセオドア・ルーズベルト大統領(1901年―1909年)に贈った。探検家でもあったルーズベルトは1903年グランド・キャニオンを訪れる。1908年国定公園、1919年国立公園、1979年世界遺産に登録された。グランド・キャニオンには毎年450万人の観光客が訪れる。

 フラグスタスの街に来た。ホテル リトル アメリカでトイレタイム。グランド・キャニオンのビデオを買う。バスの中で眠くてここに来るまでウトウトしてしまった。

 次はセドナの街

 1902年にカールトン・シュネブリーの家族が幌馬車でここにやってきたことから始まった街だという。セドナという妻の名前を街に名づけた。
ドイツの芸術家マックス・エルンストがグランド・キャニオンに感動して、一番住みたい街はセドナだと言って、1946年に移住してきた。1600年代には音楽家や芸術家が大勢やってきて芸術の街になって、パリかセドナかと言われたそうだ。

 女性超能力者ペイジ・ブライアントが1980年にやってくると、4箇所の赤茶色の岩山からエネルギーが渦巻いていることを発見して、彼女はそれをボルテックスVortexと呼んだ。それはインディアンの時代から、霊を呼び出すことができるとか、見ることが出来るという超常現象が起こる場所だといわれていた。15世紀までインディアンたちはその場所を聖地にして礼拝を続けていたが、その後彼らはそこから姿を消したという。

 ボルテックスはラテン語で渦巻と言いう意味で、巨大な磁場だと考えられている。そして今、毎年400万人が訪れるパワースポットである。
 セドナの土はグランド・キャニオンと同じで鉄分を含んでいるので赤い。道路も赤く、塗ったのではないかと言われたりもしたが塗ったわけではない。岩山の峠を下るとアリゾナ唯一のりんごの生産地に出た。水が豊富なので開拓者たちが木を植えた。層雲峡や昇仙峡みたいで風光妙媚だが規模が異なる。オーククリーク・キャニオンの手前のクリークに入る。昨日今日のバスの運転手リンダさんは週三回グランド・キャニオンの観光案内をしているとのこと。

 潜水艦の形をした岩が見えてきた。教会堂の形をした岩、スヌーピーが寝転がっているのとか、スヌーピーの鼻の上にムスタンという鳥がチョンと乗っている。その隣はルーシーが座っている形の岩だ。
 アリゾナは不動産詐欺が多いのだという。水とか電気も引かずお金を受け取るとドロンだという。生活費はカルフォルニアより安い。大柱サボテンは一か所から5本以上の針が出ていて、そこで風が止まってグルグル回るので、倒れないで立っていられるのだという。サボテンの根は浅い。
 フェニックス辺りの水は川の水を貯水したり、井戸から汲み上げる。12月から3月が雨季で夏はモンスーンが吹いた時に雨が降る。
 フェニックスの運河は900年前から引いてあったものを現代も使っている。インディアンの灌漑用水はコロラド川から引いている水だ。インディアンは農耕種族と狩猟種族があるが、モンテズマのインディアンはコンクリートを使わずに運河を造ったという。

  • 私はブライス・キャニオンまでしか行ったことがありません。地平線の拡がりがあまりにも広大すぎて、言葉を失うほどでした。狭い国に住む日本人には、別世界を見聞することもいい経験ですね。 -- 昼寝ネコ 2013-06-25 (火) 01:19:59

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