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2013.06.14 創作短編「盤上の女流ネコ棋士」 投稿者:昼寝ネコ

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(画/カトリ〜ヌ・笠井)

盤上の女流ネコ棋士

昼寝ネコ

 西日暮里から道灌山下を過ぎてほどなく、団子坂下から団子坂上に向かって少し急勾配の坂道を上って行くと、右手に昭和初期に開店したという団子屋がある。生地が秘伝だそうで、「すあま」のような「求肥」(ぎゅうひ)のような、あるいは「外郎」(ういろう)のような捉えどころのない不思議な食感である。
 「まぶしもの」はそう多くはなく、こしあん、粒あん、白あん、ずんだ、さくらあんという素朴なものばかり。建物は明らかに昔のままと思わせる旧い佇まいであり、団子の陳列ケースはさすがに硝子張りの清潔なものだが、壁面には武者小路実篤や森鴎外などの文豪の色紙が何枚も貼られている。明らかに骨董価値はありそうだ。

 この団子屋の主は創業四代目であり、本来は「米屋餅兵衛」(よねやもちべえ)というまさにうってつけの名前なのだが、本人はその名をひどく嫌っており、ずいぶん前に改名している。さすがに名前をつけてくれた親の手前、全面改装ははばかられたようで一字だけ変えて「米屋桂兵衛」(よねやけいべえ)とした。
 「桂」の由来は、江戸時代に将棋所として徳川幕府から俸禄を受けた家元の創始者・大橋宗桂である。「桂」のごとく飛躍し、大橋宗桂にあやかりたいと願ったのである。
 桂兵衛は父親譲りの無類の将棋好きであり、子どもの頃は奨励会に入門しようかと考えたほど、親子で将棋に熱中した。その父もすでに他界し、プロ棋士への道を断念した桂兵衛は、一応は団子屋の商売をこなしてはいるものの、五十を半ば過ぎた今でも、相変わらず将棋仲間との交流は絶えない。
 インターネットの時代なので、特長ある団子をネット上で宣伝すれば良さそうなものだが、先祖が築いた資産からの収入・・・大半はアパートやマンション、駐車場からの賃料収入がかなりあるため、家業の団子屋を拡張しようという事業欲は湧かないようだ。
 
 根津神社から谷中、上野・浅草方面にかけては神社仏閣が多く、和菓子屋も多い。今でも昔の雰囲気を残す根津商店街に古くからの酒屋がある。近隣の寺社と檀家を得意先とし、代々流行っていたのだが、最近はコンビニやスーパーに押され気味で旗色が悪い。しかしご先祖様が築いた資産があるため、まずまずの暮らしをしている。
 店構えは銅葺き屋根の立派なもので、往時の隆盛を偲ばせているが、この酒屋の四代目主人は名を「綾小路恭順」(あやのこうじきょうじゅん)という。近隣の寺の住職たちからかわいがられ、小さい頃からお寺に遊びに行っては住職から将棋の手ほどきを受けていた。やはり根っからの将棋好きである。
 団子屋の米屋桂兵衛と酒屋の綾小路恭順は幼なじみであり、同時にライバルでもあった。二人とも地元の中学・高校から大学に進学したのだが、小学校の時から成績を競い、優劣つけがたいほどの俊才だった。勉強だけでなく、とくに将棋は互いに好敵手であり、負けた悔しさに何日も口をきかないこともあった。
 二人とも年に一度、地元の商店会が主催する「ちびっこ将棋大会」の常連であり、毎年優勝と準優勝を分け合うほど実力は伯仲していた。
 大学時代には、同じ女性に想いを募らせ争ったのだが、その女性が胸を患って急逝してしまったのを期に深い悲しみを共有し、友情を確認し合った・・・のもつかの間、将棋の対戦となるとライバル意識丸出しでぶつかり合うのだった。
 今では、互いに示し合わせて、店の定休日を水曜日とし、その水曜日は恭順の自宅で対戦するのが習わしとなっている。

 さて、ある水曜日の夕方、最近は不調とみえて桂兵衛は連戦連敗を重ねていた。恭順は得意げに言った。
「餅兵衛や、最近は調子が悪そうだな。これだけ連敗が続いてるんだから、駒を落としてやろうか?」
 相手を見下すときに、恭順はわざと桂兵衛と呼ばず、桂兵衛がもっともいやがる餅兵衛という名で呼ぶ癖があった。それでなくても負けた口惜しさがこみあげているのに、餅兵衛と言われて頭に血が上り、さらに駒を落とすなどと侮辱されて桂兵衛は思わず、言ってはならないことを口走ってしまった。
「ふん、お前の将棋なんて本来は筋が悪いんだよ。うちのネコにだって勝てやしないさ」
 いけねえ、とんでもないことを言ってしまった。だがもう遅い。
「なに?おれがお前んちのネコに負けるだって?どこの世界に将棋を指せるネコが存在するんだい。負けて悔しいからって出まかせを言うもんじゃないよ、このへっぽこ将棋」
 こうなったら売り言葉に買い言葉。桂兵衛は分別を失ってしまった。
「おう、いいともさ。じゃあいっぺんうちの艶子と指してみな。もしお前が勝ったら、うちの団子、一年分ただで進呈するよ」
「お前んとこの団子なんて、あんな古くさいカビが生えたようなもん食えるかってんだ。艶子?なんだいそりゃ。艶子ってえ名のネコなのかい?へえ、お前も変な趣味だね。タマとかミケってえのはよく聞くが、艶子?ふん、おもしろい。受けて立とうじゃないか。もしおれが負けたら、一年間、毎日ただ酒を呑ませてやるよ」

 さあ、大変なことになってしまった。お互いに言い出した以上引っ込みがつかない。桂兵衛はとんでもない約束をしてしまったことをたいそう後悔した。だがこうなったら艶子に鰹節とまたたびを買っておだて、連れ出すしかないだろう。
 一方の恭順は早速新聞社や雑誌社、テレビ局に電話をかけまくった。来週、アマ有段者である自分と女流ネコ棋士が対戦するからと触れ回ったのである。マスコミを引き込み、プライドの高い嘘つき桂兵衛を公衆の面前でたたきつぶしてやると意気込んでいた。

 さて、早いもので対戦の日がやってきた。場所はいつもの恭順の自宅の和室。床の間には古めかしい掛け軸が下げられ、今日は花も生けてある。最初はうさんくさく思っていたマスコミ各社も、面白い冗談もたまには話題なるかと思い、各紙とも事前に紙面で予告記事を展開していた。
「前代未聞の対決、将棋アマ有段者と女流ネコ棋士!?」
 ・・・朝日、毎日、日経、読売、それと東京新聞にニューヨーク・タイムズ、ヘラルド・トリビューン、ル・モンド各紙。新聞社だけでも相当の記者が集まっていた。テレビ局の中継車も連なり、警察官が交通整理するほど付近はごった返していた。
 分厚い将棋盤を挟んで並べられた二枚の座布団。恭順はすでに床の間を背にし、マスコミ各社が殺到したことに満足感を覚えていた。対局5分前に、周囲でざわめきが起こった。桂兵衛が大事そうにネコを抱えてやってきたのだ。
「おう桂兵衛、よく逃げ出さずにやってきたなあ。その勇気だけは誉めてやるよ」
 桂兵衛は寡黙だった。両腕には茶色の縞模様の、本物のネコが抱かれている。幾分緊張感をたたえたネコの「艶子」は、将棋盤に眼をやり次いで品定めするような視線を恭順に向けた。
「さあさあニャンコちゃん、ここがあんたの席だよ。遠慮することはない、さあどうぞお座りなさい」
 恭順はからかうように言った。艶子は促されるまでもなく、桂兵衛の腕から飛び降りて将棋盤の前に座った。周りからどよめきの声があがった。
「さあみなさん、ここからは撮影なしでお願いします。ネコちゃんの集中力を乱さないようにね、ハハハ。さあ、女流棋士のネコちゃん。あんたが先手で始めてください。駒はもうちゃんと並べてありますから」
「ニャ〜」
 艶子は小さな声を出すと、盤面に視線を向けた。一体何が起こるのだろうかと、記者たちの視線が集中した。艶子は左手を盤面に預けて身体を支えると、右手を伸ばした。
「先手・7六歩」
 記録係が声を発した。
「おやおや、まともな第一手ですなあ。桂兵衛さん、あんたネコにこんな芸当を仕込むなんて、たいした才能じゃないか。職業の選択を間違えたんじゃないの?今からでも遅くはないよ、ネコの調教師でもやったらいいんじゃないか?ハハハ」
 そう言うと恭順は盤面に手を伸ばした。
「後手・3四歩」
 小考の後、艶子は器用に駒を動かした。
「先手・6六歩」
 周りに陣取った記者たちはすっかり静まりかえり、進展を見守っていた。
「ほう、角道を止めるんですか。しかしよく仕込みましたなあ」
「後手・8四歩」
「先手・7八飛車」
「後手・3二金」
 手順が進むに従い、恭順は言葉を発することができなくなっていた。目の前で信じられないことが起こっているのだ。最初の数手を見て、もしかしたらネコにも芸として教え込むことができるのかもしれない、そう思っていたのだが、一手一手的確に対応している。恭順はすでに盤面にのみ集中し、ネコの艶子のことは眼中になかった。
 周りの記者の何人かが慌ただしく携帯から本社にメールを送り出した。まさに目の前で信じられないことが起こっている。すでに大ニュースの価値があるため、扱い方法についてデスクに打診しているのだ。
 次第に恭順は考え込むことが多くなり、持ち時間を消費しつつあった。立会人として付き添ってきた桂兵衛には、すでに結末が見えていた。これまで、艶子と対戦したのは何回もある。並の技量ではないのだ。
 知人から譲り受けた艶子は、最初は普通のネコにしか見えなかった。だが、将棋盤を出し一人将棋を始めると、うるさくまとわりついてくる。やがて将棋盤に身体を預け駒を動かし出した。単にじゃれているのかと思ったがよく見るとちゃんと動かし方を知っている。これはきっと夢の中の出来事だと、そう思った。しかしそれは夢ではなかった。信じられないことだが、ネコが将棋を指すのだ。ちゃんとした定跡を知っている。実験的に詰め将棋をさせてみたが、いとも簡単に解いてしまう。非常に難易度の高い「煙詰め」というのもやらせてみたが、まるで作者であるかのように短時間で詰め切ってしまう。
 桂兵衛が驚くのも無理はなかった。艶子は昼寝ネコの一族で、江戸時代は初代将棋所の大橋宗桂の家で飼われ、その後、宗桂の子孫代々に飼われていたのである。この数百年を生きてきた艶子は、ほとんどを棋士の家で飼われ、膨大な量の棋譜が頭に入っている・・・。
 昼寝ネコの掟からすると、人前で自らの出自を悟られるような行動をとってはいけないのだが、艶子自身が本当の将棋好きになってしまい、盤上で対戦する欲求を抑えられなくなっていたようなのである。世人を驚かせてはいけないのだが、まあ仕方のないことだ。

 さて、盤上では恭順が徐々に追いつめられ、自分の将棋がまったく指せないまま劣勢に陥っていた。艶子は連続して「詰めろ」をかけて行った。恭順はすっかり覇気を失っていた。そして持ち時間を使い切る直前で、ついには投了したのである。その日のニュースで大きく取り上げられたのは言うまでもない。しかし、艶子はその日以来桂兵衛の家には戻らなかった。理由は分からないが、行方をくらましたのである。

 この前代未聞の対戦以来、再び桂兵衛と恭順の水曜日の定期戦が始まった。恭順は桂兵衛のことを二度と餅兵衛と呼ぶことをしなかったし、悪態もつかなくなった。年齢相応に穏やかに指し、対戦後は感想戦をしながら、にこやかに飲食をするようになっていた。艶子のことはときどき話題になったが、そもそもが非現実的なことなので、意外にもいつしか次第に忘れ去られてしまった。あれほど騒いだマスコミも、追加取材のすべが無く、結局は何かのジョークだったんだろうと考えられるようになっていた。

 艶子は出過ぎたことを恥じて、今頃は普通のネコらしく振る舞い、どこかでひっそりと飼われているに違いない。いや、もしかしてインターネット上では人間とネコの区別がつかないので、ひょっとしてネット対戦をしているかもしれない。あるいは、ネット将棋スクールで助手を引き受けているかもしれない。こればかりは、霧の中の幻のようなものであり、またひょっこりと姿を現すかもしれないとも思っている。

(対戦シーン校正・堀川修/指導棋士五段 ネット将棋スクール主宰)


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