13070501堤明子
2013.07.05 短歌「亡き母の句を懐かしむ」 投稿者:堤 明子
辻井伸行 ラ・カンパネラ
亡き母の句を懐かしむ
堤 明子
私の母笹野喜代は「なすびの花」という歌集を遺してくれました。夫である私の父は31歳でこの世を去り、母は私達三人の子どもを風雪に耐えて育ててくれました。「(これは)母の赤裸々な生活素描であり試練多い世を懸命に生きた証として、子供達に深い思いと励ましを遺してくれました。」(笹野佳宏(弟)「なすびの花」第2集の後書き、より)ここに、皆さまにもご紹介させていただきます。
「笹野喜代歌集 なすびの花」より抜粋
- 息(こ)も亡夫(つま)の歳を過ぎて此の日頃
なすびの花の紫の色
- 幼きを三人(みたり)残して逝きし夫よ
いま吾が幸を誰にわかたむ
- 逝きし夫の棺の前に遺児を抱きて
明かせし通夜の目(まな)裏(うら)に立つ
- 三十路にて逝くは幼なが不憫よと
残せし夫の言葉悲しき
- 「一度も喧嘩したことなかったね」と
今際(いまわ)の際の夫のひと言
- 在りし日に夫の描きし夕茜に
白鳥もねやに帰りゆくらし
- ひねもすを雨降り居れば亡き夫の
歌集を見付けゆくりなく読む
- 満月は山ふところに射し込みて
静かに眠るもろもろの墓
- 紐とけば手作り味噌の香りたち
情(こころ)の厚き嫁のふる里
- 青竹の素直に育つふる里を
一日訪ねぬ端午の節句に
- 寡婦の身に甘藷(いも)五百貫供出の
戦時を偲ぶ三十余年立ちて
- 日並べて心にかけし馬鈴薯(いも)を
植ゑ今宵安けく湯舟にひたる
- 原爆の犠牲を悼む灯篭を
流しつづけて祈りはつづく
- わが病めば人伝に聞きし薬草を
嫁は冬野に探し求めき
- 願わくは癒えて再び報い薄き
福祉の仕事に生きてゆきたし
- 勇仏の荒野に果てし千人隊の
困苦忍びて香花手向けぬ
- 亡き舅(ちち)が植ゑしと伝ふ枝垂桜(しだれさくら)
大樹となりて菩提寺(てら)を包めり
- 濃霧の中に外灯あわく灯りゐて
明けのしじまに山鳩のなく
- まろき背を並べ草取る老いたちに
夕光こぼる寺の庭隅
- ひもすがら屋根を叩きて樫の実は
地を埋づむごと熟れてこぼるる
- 細き糸張りて獲物を待つ蜘蛛の
罠はしづかに風にゆれをり
- 故里の仏事に会いし亡友(とも)の娘の
姿いとしも母さながらに
- 命あるうちに財産はゆづらじと
言いたる友も逝きて七年
- 先代の仏の辞世を碑に刻み
供養せし主(ぬし)も俳句に老いぬ
- 香港の旧跡に佇ては物乞いの
児等たちまちに集い来るなり
- キラウェアの火山に佇ちて拾いたる
火の涙とふ火山岩二つ
- 涙かくし妻の葬儀にこまごまと
心をくばる弟いとし
- 亡き妻の一周忌済ませ弟は
欧州巡りに一人旅たつ
- ざりがにを器に飼いて見入る孫の
「子が生まれた」と頓狂な叫び
- 祖母には、30代後半で他界した夫との間に
6人の子どもがいました。母はその長女でしたので
学校を諦め、働きずくめでした。
結婚しても苦労が絶えず、いつしか独学で
短歌を詠むようになりました。
数々の作品を読ませていただきましたが
「溢るる涙」とはこのことかと思いながら
作業をさせていただきました。 -- 昼寝ネコ 2013-07-05 (金) 18:28:25