穀粒(こくつぶ)会員のための、創作および出版支援サイト

13080101パシリーヌ

トップページへ 譜面台の練習曲メニューへ 画像の説明

2013.08.01 紀行文「ユングフラウ・ヨッホを行く」 投稿者:パシリーヌ

ユングフラウヨッホ(スイス・アルプス)
 
 
ユングフラウ・ヨッホを行く
 
 
パシリーヌ
 
 
 
 
 熊がベーしている州旗のベルン(熊という意味)州ベルナー オーバーランド地方のグリンデルワルト村(標高1050m)からヴァンゲルンアルプ鉄道でクライネ・シャイディック(ドイツ語で「小さい峠」という意味、2061m)駅まで行きそこでユングフラウ鉄道に乗り換えた。
 2012年、開業100周年を迎えたユングフラウ鉄道は毎年70万人を超える世界中の観光客を乗せてゆっくりと50分かけて壮大無比なパノラマ三名峰を登る。平均64度傾斜面のアイガー北壁(標高3970m)のトンネルの内側を通過して、展望用窓アイガーヴァント(アイガーの絶壁)まで行き、その後トンネルは西に向きを変えてメンヒ(標高4099m)そしてユングフラウ(標高4158m、乙女という意味)に向かって登って行くラック(歯車)式電車である。このラック式鉄道の最大勾配は250パーミルで日本の勾配のある区間の3倍の急な傾斜である。この鉄道は16年の歳月をかけて手作業で進められ、超絶な万年雪の鋭鋒、険しい断崖となっている渓谷、花が咲き乱れている牧草地を世界中に知らしめることになり、スイスを観光立国に伸し上げたのである。全長9.3kmの80%は岩盤を掘削したトンネルで地上を走る区間はクライネ・シャイディックからアイガーグレッチャーまでである。
画像の説明
 最初はユングフラウ山頂までの計画だったが山頂に駅舎を造るスペースがないのでメンヒの頂上とユングフラウの頂上の間のヨッホ(鞍部)に建設した。発電のための水力発電所も建設した。この開発の設計者アドルフ・グイアー・ツエラーは鉄道が開通する前に死去した。
 赤い車体のユングフラウ鉄道はスイス特有の地形をゆっくり登る。これは人体が高度に慣れて高山病の発症を抑えるためだという。登りは50分に対して下りは35分である。水を積んだ貨車などもけん引している。
 最初のアイガー・ヴァント駅では高さ1m幅8mの展望用窓で5分間停車。クライネ・シャイディックやグリンデルワルトを見下ろすことができた。初めから窓として造られたのではなく、掘削した岩や砂利を捨てるためのものだったという。そこからは西に向きを変えて進み2度目の停車はアイスメア(標高3160m氷の海という意味)で、ここで氷原とアイガー北壁が見える。
画像の説明
 ヨーロッパ最高地点の駅、標高3454mのユングフラウ・ヨッホ。プラトーテラスでは眼前がユーラシア大陸で最大最長のアレッチ氷河だ。全長約23km深さ1000m、世界自然遺産に登録されている。氷河の美しさ、雄大さに唯圧倒されるのみ。人々が雪に戯れている。
 レストランで昼食。ベルナー地区の料理である「ベルナープラッテ」だと思う。ハム、ソーセージ、ジャガイモの味が付いたもの。
 食後トイレに行こうとするとその階にはなく二つ階を下がらなくてはならなかった。エレベーターではなく階段をどんどん降りて行った。上りもまた階段を上りはじめると何か息苦しくなってきた。変だ?あっ!ここは3545mだと気がつく。空気が薄いのだ。
 ハーハー息苦しくなりながらもほうほうの呈でレストランに戻ると夫に叱られた。「何でエレベーターを使わなかったの?」と聞かれたが自分でも理由が分からなかった。判断力が鈍る高山ボケだったのか?
 ガイドから次の症状が出ると高山病です、と言われていたのに不用意な行動だったと反省した。フラック、手が痺れる、呼吸がゼーゼー、頭痛、目が見えにくくなる。
 二人の母に絵葉書を書いて世界最高地点の赤いポストに投函した。何故か日本語で「郵便ポスト」と書いてある。そんなに日本人は手紙を書く?
 今度はエレベーターだったが、スフインクス展望台には上らずに、氷河をくり抜いた氷の宮殿、アイスパレスに入る。トンネル工夫たちのオマージュがあった。五重の塔や大仏の日本的な氷の彫刻があって、先ほどのポストといい、友好を感じた。

画像の説明 画像の説明
 
 クライネ・シャイディック駅に戻り、夫と二人でグループの皆と別れて反対側の山にリフトで登ることにした。係員がリフトのアームを下ろしてくれるものとばかり思っているうちに発車してしまった。えっ?アームを自分で下すの?5人乗り位に広いものだったが夫は向こう側で私はこちら側の柱に掴まった。どんどん上昇していき下は丸見え、怖いっ!下りのリフトとすれ違ったが乗っている外人たちが心配そうに見ていた。5分位だったろうか辛うじて頂上近くに着いた。クライネ・シャイディック駅が一口羊羹位の大きさに見える。足を滑らしたが最後一気に転がり落ちそうな40度くらいの急勾配を這うように登ると360度の絶景が待っていた。ベンチが置いてあってそこに腰かけてしばらくの間呆然自失。万年雪のアイガー、メンヒ、ユングフラウの鋭鋒がドーンとまじかに迫ってくる。赤いハングライダーが一つ、羽を広げた鷲のように悠々と飛んでいる。しばらくして我に返ると壮大な鋭鋒や高山植物を「ようし撮るぞ」とばかりにパチパチカメラに収めた。

画像の説明 画像の説明
(左・写真3 右・写真4)

  • アルプスのカラフルな三名花
  • 白のエーデルワイス(キク科)
  • 紫のコッホエンチアン(リンドウ科)
  • 赤のアルペンローゼ(ツツジ科)

 この三種は特別保護に指定されていて、国花エーデルワイス(高貴な花という意味)を見付けることはできない。あったとしても囲いで囲んであり、野生種は減少していて見かけるのは栽培されたものだという。
 写真3のピンクの小花はナデシコ科のキーゼル・ホルスターネルケ。花の直径は5mm以下。
 側に咲いている黄色の花はバラ科のゴールド・フィンガークラウト。イワダイコンソウ?どなたか花博士がいらっしゃれば教えて下さい。
 写真4はコッホエンチアンみたいだが紫ではなくピンクだ。日本のリンドウみたいで、このリンドウ科は色も形も様々で50種類もあるそうだ。アルペンローゼはその辺に見当たらなかったので写真にはないがツツジ科の背の低い灌木みたいで荒れ地に10本くらいづつ群生しているという。写真の白いエー

画像の説明

デルワイスの刺繍、鍋つかみになっている。スイスの刺繍は有名でレースに刺繍してあるコップ敷きや、布に刺繍のある花びん敷きはお土産として皆さんに喜ばれた。心温まる作品は刺繍ミシンで製作するという。
 ホテルに戻り夕食はミートフォンジュだ。スイスの主食は肉といもで、肉や野菜をテーブルに置かれた小さな鍋の油で揚げて、マヨネーズ味、カレー味、ガーリック味などの6種類のソースにつけて食べる。ソースがこってりなのでそのまま食べても美味しかった。

観光都市ルツェルンのライオンモニュメント

 巨大な2000年前の崖の砂岩に彫刻されている瀕死のライオン像を見た。背中に折れた矢が刺さっているライオンはスイスの傭兵を表し、ライオンがかばっている盾はルイ16世とその家族を意味している。1792年マリー・アントワネットを警備していたスイスの傭兵隊787人は逃走しないで殺されるままになったという。1820年に造られた記念碑で「ヘルベチュア フェデリ」と刻印してある。「勇敢で忠実なヘルベチュア」という意味だ。
 現在でもバチカンのスイス衛兵隊として存在するスイス傭兵は、ヨーロッパ傭兵の中では無類の強さで知られていた。1515年マリニャーノの戦いでフランスに敗れるとスイスは拡張政策を放棄して傭兵輸出に専念するようになり、「血の輸出」が始まった。140年前までフランスとトロイセン両方から雇われていた自国民同士が戦う事態にもなった。
 スイス銀行はこの傭兵たちの送金から始まり、傭兵ネットワークがもたらす人脈や情報網がその後のスイスの金融産業や商工業を発展させたのだという。銀行数は327行あり(2008年)一人の預金で成立している銀行もある。
 
スイス粒情報

 スイスは1292年8月1日ハプスブルグ家に対して独立して建国した。スイスの政体は連邦共和制で26のカントがある。20の州と6の準州で、それぞれの州旗がある。各州の独立性が強く、連邦と地方自治の権限配分である行政区分別負担割合は例えば外交に何しては連邦100.0% 州0.0% 市町村0.0%だが 教育・研究に関しては連邦16.3% 州51.2% 市町村32.5%となっている。
 スイスは永世中立国だが、強力な軍隊21万人を保持。20歳から30歳男子に徴兵制がしかれている。
 人口は約791万人(2011年)で日本の愛知県の人口よりも少し多い。農業と酪農の国スイスだが、農業と林業に従事している人口は全体の4%だ。
国土は日本の九州と同じくらいの面積で、標高差は最低193mのマジェレコで最高は4634mのモンテローザである。湖は1484個ある。氷河は最大のアレッチ氷河の他7つある。
 多言語の国であり、議会もそれぞれ通訳して行う。

  • 公用語はドイツ語 81.2%
  • フランス語3.9%
  • イタリア語3.6%

教育は州が決める。日本のような文科省がないのだ。

宗教人口

  • カソリック 43.6%
  • プロテスタント 50.4%
  • その他 8%

 通貨はスイスフラン。5フラン硬貨の男性は伝説の英雄ウイリアム・テルでウーリー州代表だった。息子の頭の上にリンゴを乗せて射抜くことを命じられたが弓の名手の彼は見事射抜いた。
 フェルブル州では爆破装置があるという道路をヒヤヒヤしながら通った。

ジュネーブ

 晴れていればフランスとイタリアにまたがる山モンブランが見えるというジュネーブに来た。赤十字条約で有名なジュネーブである。赤十字の旗はスイス国旗の赤と白を逆にしたものだ。この条約はご存じのように「戦地軍隊における傷病者の状態の改善に関する条約(1864年)である。ここジュネーブには、国連の専門機関の本部がある。
 

  • 世界保健機関(WHO)
  • 世界労働機関(ILO)
  • 世界気象機関(WMO)
  • 世界知的所有権機関(WIPO)
  • 国連食糧農業機関(FAO)

 他9つある国連ファミリーである。紛争が多発する世界にあって唯一の世界的な話し合いの場を持ち年間7000の国際会議が行われているという。国連加盟国は193か国。(2012年10月)ユネスコビルで国連平和賞を受賞した笹川良一の銅像を見た。

 夕食後ガイドが何人か連れてサンピエトロ寺院へ行く。5世紀ごろからその場所にあったもので13世紀に今の姿になったという。昼間だったら152段の階段を登れたかもしれない。夜の9時過ぎなのに大勢の人々がカフェで団らんしている。この広場はプールド・フールといって旧市街の中心地で、ジュネーブが生んだ偉大な人文学者ジャン・ジャック・ルソーはこの40番地で生まれている。レマン湖から流れ出すローヌ川のモンブラン橋を渡って、アンティークやギャラリーの店が並んでいる通りだ。昼も夜も大噴水が美しかった。150mの高さに水を吹き上げ毎秒半トンの水量で仕掛けは秘密だという。プールド・フール広場の世界一長いベンチに座って、ローマ時代の城壁跡を上から見下ろして、そこにあった木馬に乗って、皆でキャッキャッと喜び、帰りはそれぞれホテルに戻った。カルヴァンの家や、旧兵器庫カルヴァン講堂も見た。旧兵器庫の壁に日時計があった。太陽がある限りその日時計は時を成しているという。
 
 
 
 

  • 一度だけスイスに行ったことがありますが、
    山ではなく、国際音楽コンクールの事務局がある
    ・・・あれ、どこだっけ?
    確か、ベルンだったように思います。
    こんな風に、雄大な景観に接することもなく、
    数時間の滞在で、スイスを後にしました。
    スイスについて何も知らないまま帰りましたが、
    この紀行文を読んで、ああそうだったのかと
    今さらながら、勉強させていただきました。 -- 昼寝ネコ 2013-08-01 (木) 23:33:03
  • 昼寝ネコさま
    スイスの首都ベルン(熊という意味)にも行きました。熊公園には行かれませんでしたが、1600年ころから熊が飼われていたそうです。
    スイス1フランに刻印されているヘルベチアの女神を見ました。立像で自由の盾と槍をもっています。スイスの硬貨や切手には国名としてHelvetia(ラテン語)が使われているのは、多言語の国であるので、(ドイツ語、フランス語、イタリア語、レトロマンス語)どの言語にも偏りがないように先住民ヘルベチアの名を冠したそうです。
    ベルン・ジャズフェッシバルのCDを銀行でも売っていました。中世の時代から大規模な
    ファスナハトというカーニバルが催されているそうです。
    アルバート・アインシュタインが特殊相対性理論を書いたアパートがアインシュタイン資料館として公開されているそうです。コースの中に入っていませんでしたのでここにも行かれませんでした。 -- パシリーヌ 2013-08-02 (金) 11:50:48

認証コード(8383)

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional