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2013.08.26 エッセイ「発達障害って・・・おいらのことか?」 投稿者:昼寝ネコ

発達障害って・・・おいらのことか?
 
 
昼寝ネコ
 
 
 

10日ほど前、ちょっとした集まりがあった。
児童心理学を、アメリカの大学院で学んでいる女性を中心に、
子どもの心理についてディスカッションをしたらしい。
で、そこに出席した女性二人が、出版について私から
話しを聞きたいというので、セミナー終了後の会場に行った。

不勉強な私は、発達障害という意味をまったく理解していない。
アスペルガー症候群という言葉には聞き覚えがあるが、
それも含むらしい。
映画のレインマンをご存知ですか?と聞いたら、
当然だろうという表情で頷かれた。

そういう専門的な話し合いが目的なのではなく、
NPO法人を作り、親たちに「発達障害」の実態について
啓蒙したいのだが、その一手段として、
出版物を活用したい、ということだった。
何人かのお母さん達が設立メンバーだそうだが
ほとんどが、発達障害の子どもを持っているとのことだ。

規格や基準を定め、その範囲に含まれていれば「健常」で
周りの考えや行動規範からはみ出さず、輪を保って
行動すれば、正常な部類に入る・・・これは
いかにも日本的な考えであり、そんなのは親や教師の
自己満足に過ぎず、子どもの個性が埋没するどころか
独創性や才能・能力が枯渇してしまう、などと
珍しくハイテンションで自説を述べた。
「発達障害児」を持つ、一人のお母さんは深く頷いていた。

なんか、いろいろな事例を聞くうちに
なんだ、おいらはひょっとして発達障害だったのかなと
そんな気がしてきた。
人と一緒にいるのが苦痛で、独りで何かするのが心地良く、
団体行動は神経的に疲労してしまうし、
何も考えず、ただ言われたことに盲従するのには抵抗がある。
何も考えず、群れをなして画一的な行動をするのは嫌だ。
成績や順位や地位など、どうでもいいじゃないか。
人目を気にするなんて、自己喪失も甚だしい。

そんな考えで生きてきたのだが、ひょっとしてもしかして、
単に当時の周りの人に知識がなかっただけで、
今の時代に生まれていたら、正真正銘の発達障害児として
認定されたのではないかという気がしてきた。
もしそうなのなら、私は「発達障害児」に認定されている
子どもたちの方に親近感を覚える。

専門家の皆さんに苦言を申し上げるとすれば、
誰に何の権利があって、「発達障害」なんていう表現で
命名したのか。何を基準にして正常範囲を決め、
どの部分が適応していないことを障害というのか。
画一的な基準を定め、画一的に成長すれば正常で、
どこかが遅れていれば「障害」を持つと認定するのか。

一人の人間の持つ側面は非常に多面的であり、
変化に富んでいる。それと、人間の人間たる所以は、
「変化する」生き物だということだ。
人間は周りから受ける影響と、それ以上に
自分の内面から、無限に湧き上がる「ひらめき」により
試行錯誤を繰り返して成長する。
いつ、どのように変化するかは、ほんの微細な兆候から
洞察するしかない。
どのように変化するかを、あるときは洞察し
あるときは想像しながら、励まし育てるのが
周りの大人の責務なのではないだろうか。

ある一瞬だけを切り取って、その人の一生に対し
レッテルを貼って認定してしまう。
人間は、ときには長い時間をかけて進歩し
成長するという視点を放棄していないだろうか。
人の生きる過程の一瞬だけを捉えて、
固定化してしまっていないだろうか。

目が足に対して、お前には見る能力がないといい、
頭が手に対して、お前には考える能力がないという。
発想と視点に柔軟さが求められいるのは、自分こそは
「正常な部類」に属していると思い込んでいる
大人の方なのではないだろうか。
そんな気がしてならない。
 
 
 

  • 昼寝ねこさんが発達障害かどうかは分かりませんが(^^;;おっしゃる通りだと思います。友人は、境界線があるわけでは無いと言いました。自分も子ども達を育て、また、自分自身の事を省みても、人は変わり成長しつづけるものだと思います。すべてに時がありますよね(^ ^) -- 中塚 2013-08-26 (月) 22:33:09
  • 中塚さん

    コメントを有難うございます。
    専門知識がないので、なんとも言えないんですが、
    優等生ではなかったことは確かです。
    どんな人でも、いつでも成長の途中である、
    そう考えれば気が楽になるんですけどね。 -- 昼寝ネコ 2013-08-26 (月) 23:20:54
  • 小学校入学前のある日、祖母と囲炉裏を囲んでいると、突然裏の家のお姉さんが無断で家に入り込んできて祖母に向かって何かを叫びました。祖母はさっと囲炉裏にあった火箸を掴んで振り上げました。私はただ怖くて震えていました。すると裏の家の人が来てお姉さんを連れて行きました。後でお姉さんは病気だと聞いて子供なりの納得ができたことを覚えています。発達障碍について学んでみると当事者は二重の苦しみを背負っていることが分かります。正常に発育していればできることが、できないという障碍と、それを周りの人々が理解しない、ということです。前者に対しては何の力にもなれない自分ですが、後者に対しては何かができると思いました。あるとき、障碍者が「奇声を上げているのは彼女の場合喜んでいるのです。」と介助者から説明を受けました。知ることによって、その状態に周りの人々が慣れることによって、障碍者の意思や悲喜こもごもが判るようになれば、その人に合った交流が可能になると思いました。 -- パシリーヌ 2013-08-27 (火) 22:25:19
  • パシリーヌさん

    コメントを有難うございます。
    私はこの歳になっても、自分が他者に馴染めない性格だと
    認識しています。気質的には自閉的で鬱的で社交性がなく・・・。
    でも自分ができることをできる範囲で継続することに
    専念したと考えています。
    そのくせ、人から疎まれている人と親しくなれる、
    という特技があります。不思議なものですね。
    少しは相手の気持ちが理解できるからかもしれません。 -- 昼寝ネコ 2013-08-27 (火) 23:37:19
  • 機能試験用入力 -- サイト管理者 2013-09-02 (月) 13:18:30
  • 機能試験投稿 -- サイト管理者 2013-09-03 (火) 16:29:34

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