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131001-3昼寝ネコ

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2013.10.01 創作短編「完結編・ボクのご主人様はプロフェッサー」 投稿者:昼寝ネコ

Luciano Pavarotti - Che Gelida Manina (La bohème)
 
*「ボクのご主人様はプロフェッサー」には正編と続編があります。まだお読みでない方には、正編、続編、完結編の順番でお読みになることをお勧めします。決して強制はいたしませんけど・・・。

正編「ボクのご主人様はプロフェッサー」 2008.06.20
続編「ボクのご主人様はプロフェッサー」 2011.11.29
 
 
完結編・ボクのご主人様はプロフェッサー
 
 
昼寝ネコ
 
 
 
 消化試合っていう言葉があるけれど、ご主人様の人生は、まさにそれでした。

 大学を定年になるまでの数年間をなんとか過ごし、定年後は、天からのお迎えがあるまでの残り時間をなんとか消化しようという、もう人生には何の希望も目標もない、抜け殻の人間・・・。逆にいうと、肩の力が抜けて達観し、性格もずいぶん丸くなってしまいました。

 そんなある日、学部長から、国際的に著名な活断層の研究所が、内閣府を通じてご主人様に所長への就任を依頼してきたと知らされました。スイスのローザンヌにある研究所でした。
 ご主人様は迷いました。消化試合気分で生きている自分に、果たして情熱を持って仕事ができるだろうか・・・。賢明なご主人様は、即答せずに一ヶ月の猶予をお願いしたのです。

 ご主人様が教えている旧帝国大学の学部事務室に、定年を迎える女性がいました。もう何十年も事務室を仕切っていましたので、教授や学部長ですら、陰では「お局様(おつぼねさま)」と呼んで、誰からも疎ましく思われていました。
 一切妥協せず、融通が利かず、ペン1本、コピー用紙1枚だって私用に使わせない厳しさを持っていたからです。「本当は、この女性が民主党政府に代わって復興予算を管理すればよかったのに」って、学部内では本気で囁かれていました。

 ある日、滅多に人が訪れないご主人様の研究室のドアがノックされたんです。開けるとお局様でした。突然の来訪を受けて、キョトンとするご主人様にお局様にしては珍しく、少し笑みを浮かべて言いました。
 「先生、最近デスクの上に、花が飾られているの、気がつかれましたか?」
 「・・・そういえば、赤だの黄色だの、ありますね」
 「先生は花を色で判断なさるんですね。じゃあ花の種類と、その花言葉なんて全然ご存知ないんでしょうね」

 一体、何の用件なんだろうと、ご主人様はいぶかしく思いました。ちょっとだけご挨拶に、という割には、どうやら簡単な用事ではなさそうなので、お局様に椅子を勧めご主人様も自分の席に戻りました。

 お局様は、まだ定年まで5ヶ月を残しておりお別れの挨拶にしては早すぎるし、花言葉?でもまあ、お局様が直々にいらっしゃったのだから、そうは邪険に扱う訳にもいかない、と覚悟を決めました。

 お局様は何度も、「定年までに終えなくてはいけない大事な仕事が残っていて、時間が無い」というのです。どうにも論理性に欠ける飛躍した話し方にご主人様は困惑していました。
 「先生、オペラがお好きでしたよね、確か?」
 ご主人様のオペラ好きは、学内ではすっかり有名な話しで、ニューヨークのメトロポリタン、ミラノ・スカラ座、ロンドン・コベントガーデン、ウィーンのオペラハウス、ヴェローナの野外オペラ歴訪など、確かにオペラ・オタクでした。

 ヨーロッパで大人気のテノールとソプラノ歌手が客演し、上野の文化会館で、コンサート形式のオペラが聴けるというんです。プラチナチケットなのだけれど、音楽事務所に姪が勤めていて2枚送ってくれたというお話しでした。およそ鈍感なご主人様ですが、どうやら自分を誘っているのではないかと感じました。でもそれは気の回しすぎでした。
 1枚はもう知人にあげる約束をしたので、残る1枚をご主人様に差し上げたいというのです。聞けば、プログラムはプッチーニのラ・ボエームだとのこと。数あるオペラの中でも、ボエームはご主人様が最も好きな作品なのです。

   *   *   *   *   *   *   *

 翌週の金曜の夜、ご主人様は上野駅の公園口近くにある駐車場に車を入れ、文化会館の大ホールに向かいました。かなりの人気公演らしく、入り口にはたくさんの観客が列を作っていました。

 なかなかいい席でした。ゆったり鑑賞できそうで嬉しくなりました。周りはおろか、ホール全体を見回しても空席が見つからないほどの満席でした。書類カバンからプログラムを出し、眺めていたとき、左の席の女性が遠慮がちに声をかけてきました。
 「先生・・・こんばんは」
 ご主人様はまったく気付かなかったのですが、隣の観客は、お局様の部下の女性でした。挨拶を交わしたことしかなく、名前すら覚えていませんでした。彼女は見透かしたように、自分の名を名乗りました。

 ご主人様は、ボエームのアリアはどれも好きなのですが、とくに、ミミとロドルフォが初めて出会ったシーンで歌う「冷たい手」、そのすぐ後で、ミミが自己紹介をする「私の名はミミ」が、何よりも好きなのでした。ですから、挨拶もそこそこに、ご主人様の神経はステージに向けられていました。

 コンサート形式ですので、アリアが一曲ずつ歌われ始めました。やがて、灯りを切らしたミミが、ロドルフォが住む部屋のドアをノックします。うっかり鍵を落としたミミが、暗い部屋の床を手探りで探し、一緒に探し始めたロドルフォの手が、ミミの手に触れて・・・さあ、アリア「冷たい手」が始まります。

 不思議なことですが、そのとき、ご主人様のヒザの上のプログラムが、スーッと滑り落ちてしまいました。
 慌てて拾おうとしたご主人様の手が、滑り落ちたプログラムを拾ってあげようとした、隣席の彼女の手に触れたのです。その瞬間、ロドルフォの歌声が流れました。
 「冷たい手だ・・暖めてあげよう」
 というステージ上の進行に合わせるように、二人は手を触れあい、瞬時ではありますが、あのご主人様が彼女の手を握ったのです。

 休憩時間にも席を立たず、言葉も交わさず、最後まで、二人は無言でオペラに聴き入りました。

*長〜い短編ですので、続けてマリア・カラスが歌う「私の名はミミ」をお聴きになりながら、読み進んでください。

Maria Callas Bohème: Si, mi chiamano Mimì...

 終演後、ホールの入り口で彼女は短く別れを告げ、駅に向かって歩き始めました。ご主人様は、時間にして数秒間、彼女の後ろ姿を見つめました。まるで映画のラストシーンを観るかのような、感傷的な気分に包まれました。
 そしてご主人様は、まったく非論理的な行動に出たのです。彼女に追いつくと言いました。
 「電車でお帰りですか?」
 そんなの当たり前でしょう?駅に向かってるんだから。
 「どちらまで?私は車なんです。良かったら送りますよ」

 ブラボー!上出来ですよ。あのご主人様が、女性をエスコートする気になるだなんて。プッチーニに感謝しなくてはね。

 どこをどう走ったものか、記憶には残っていないでしょう。上野から靖国通りに向かい、半蔵門辺りの道路沿いにあったフレンチ・レストランに入りました。
あの無口なご主人様が、堰を切ったように話し出したんです。・・・すぐ横に、ウェイターが立っているのに気付くまで。
 「何か?」
 怪訝そうな表情のご主人様に、ウェイターは申し訳なさそうに告げました。
 「あのう、大変申し訳ないのですが、当店の閉店時間は11時なのですが」
 時計を見ると、もう11時半を回っていました。

 さて。その後、この二人はどうなったでしょうか。勿体ぶらないでお教えしましょうね。あっという間に事態が進展し、クリスマスの時期にささやかな結婚式を挙げたんですよ。

 お局様は、定年前に大事な仕事を残していると何度も言っていました。内輪だけの結婚式で、お局様はその意味をすっかり暴露してしまいました。

 新婦は、英国留学から帰国し教壇に立ったご主人様の最初の教え子だったこと、そして彼女は、凜とした英国風の紳士然としたご主人様の(当時の)風貌に惹かれ、卒業時に、大学の職員採用試験を受けたこと・・・つまり、ひと言も何も言わず、行動に移さずただひたすら20年以上、彼女はご主人様を想い続けていたことになります。

 そのうち、いかに秘めた想いではあってもお局様の目はごまかせず、とうとうお局様には本当の気持ちを打ち明けることになりました。
 お局様には離婚歴があり、一人娘を大切に育てていたのですが、高校生の頃彼女は事故死してしまいました。新婦はちょうど、他界した娘さんと同じ世代でお局様としては、まるで娘のように行く末を案じていたというのです。

 折り悪く、そんなときに、ローザンヌの研究所の話しが持ち上がり、もしかしたら先生は単身でスイスに行ってしまうかもしれない・・・そうなったら、二度と会えないかもしれない・・・娘同然の新婦が苦しむ様子を見かねて、お局様は、あれこれ秘策を授けました。
 新婦に、ご主人様のデスクに、そっと花を置くよう仕向けたのは、お局様でした。花音痴のご主人様には、まったく効果がありませんでした。

 そうこうするうちに、時間だけがどんどん経過し、お局様の奸智奸計の最終手段が、プッチーニのボエームで、無理矢理二人を引き合わせる強引なスキームだったのです。お局様は心配で心配で、実はホールの後ろの席を確保し、様子を見ていました。
 終演後、ホールの入り口で新婦が一人きりで駅に向かったときは、本当にもうこれでおしまいだと、ほぼ諦めたそうなんです。でも、そこがお局様のお局様たるゆえんでした。言葉にならない言葉で、強く心の中で念じました。
 「このへっぽこ朴念仁(ぼくねんじん)めが、突っ立てないで、彼女を追いかけなさい!!!」
 見事な呪文でした。プッチーニの素晴らしくロマンチックな曲想もかなり影響していたかもしれません。でも、それ以上に、お局様のまるで母性愛のような必死の執念が、不思議な影響力を及ぼしたに違いありません。

   *   *   *   *   *   *   *

 今、ご主人様と新婦は、スイス航空の機内です。そうなんですよ。二人で相談し、新天地を求めてローザンヌの研究所に行くことにしたんです。
 人生に結末などなく、いつでも途中である、という著名な宗教家の言葉があります。今が幸せでも明日は分からない・・・でもね、逆にご主人様のように、最悪な人生だと思っていても、こんな至福が訪れることだってあるじゃないですか。この際、難しい話しはもう、よしにしましょう。とりあえずは、二人で新しい人生のスタートを切ったのですから。

 ・・・二人が今、機内でどんな話しをしていることやら、残念ながら私には聞き取ることができません。なぜって、私も今、スイス航空の同じ飛行機に搭乗してはいるものの、空腹と寒さに耐えながら動物用貨物ケージに隔離されているんですから。チューリッヒ空港に着陸するのを、じっと待っているんですよ。

 ご主人様は、私がスイスに行って、現地の生活になじめるかどうか心配なようです。私が、日本語だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語、ヘブライ語など、多言語を理解することを全然分かっちゃいないんですよ。(2012.10.18作品)

Fine

追伸
 この完結編は、めでたく博士号を取得して社会人生活をスタートされた、メタセコイアさんに就職のお祝いとして贈呈するものです。普段は、割合と短時間で書いてしまうのですが、この完結編だけは、二日がかりで推敲しました。
 なので、ご主人様のように、最終的にはがっちりと幸せ空間を築いてください。活断層だけでなく、ちゃんと女性にも優しい視線を向けてくださいね。吉報・朗報を期待しています。以上です。あっ、ローザンヌにそんな研究所はないはずだ、などという突っ込みは入れないでください。そこまで調べる余裕がありませんでした。
 
 

  • この物語の誰が一番印象に残ったかというと、主人公では無くてお局様です。ごめんなさい。劇場の目だたない椅子に座って事態の成り行きを心配そうに見守り、最後には念力まで送り飛ばす、娘のような存在の女性のためとはいえ、スゴイ迫力です。こういう人がいる限り世の朴念仁男たちは救われるのでしょう。20年も一人の女性に思い続けられたこのプロフェッサーはやはり主人公に成り得た男性なのでしょうね。一つ不思議なのはこのような
    朴念仁男が他人の敷地に不法侵入できるのですか? -- パシリーヌ 2013-10-02 (水) 06:29:17
  • パシリーヌさん

    不思議なもので、書いているうちに
    脳内に忽然と現れて、存在感を主張し始めます。
    私は楽なもので、ただそれを描写するだけなんです。

    逗子の高台の邸宅街は実在する場所で
    私自身、何度か不法侵入しています。
    ちょっと別世界であり、朴念仁のご主人様にとって
    ある種の憧憬なんでしょう。

    いつもコメントを有難うございます。 -- 昼寝ネコ 2013-10-02 (水) 13:00:22
  • そうでしたか。それは大変でしたね。挙動不審者として職務質問を受けたのですか。アメリカにある、さる高級住宅はたとえ不法侵入できたとしても、住宅街の外に出られなくなるそうですからご注意あそばせ。待っているのは逮捕だそうです。(これは事実か否かは不明につき取扱い注意。) -- パシリーヌ 2013-10-02 (水) 18:09:02
  • パシリーヌさん

    管理事務所はおおらかなもので、どこかの家への
    訪問者だと思っているのでしょう。
    監視体制とまではいかず、何も問題ないですよ。
    大体、私の風貌を見たところで、誰も
    挙動不審だなんて考えないでしょう。
    ただの野良ネコだと思うだけですよ。 -- 昼寝ネコ 2013-10-02 (水) 20:11:49

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