穀粒(こくつぶ)会員のための、創作および出版支援サイト

13101201昼寝ネコ

トップページへ 譜面台の練習曲メニューへ 画像の説明

2013.10.12 エッセイ「記憶を失う恐怖と闘う人たち」 投稿者:昼寝ネコ

Astor Piazzolla Ave Maria

 
 
記憶を失う恐怖と闘う人たち
 
 
昼寝ネコ
 
 
 
ピアソラの「アヴェ・マリア」は、ピアソラにしては珍しく
とても穏やかな曲想だと思っていた。
しかし、彼女の歌唱法はときに熱唱であり、また絶叫だと感じる。

日本人は元来、感情を露わにすることを避ける民族だと思う。
惻隠(そくいん)の心、察する気持ち、などと表現するように、
言葉少なく控え目に表現する相手の心中(しんちゅう)を察し、
それに対し、細やかな、無言の気遣いで応対する。
そのようなやりとりを経て、互いの理解と信頼が醸成される。
これは日本人特有の、ある種の精神文化なのだと思っている。

昨年の春から、福祉団体の助成を受けて開始した
東日本大震災の被害者の皆さんに絵本を寄贈するプロジェクトが
そろそろ終息したかと思っていた。
2ヶ月前から、気仙で生まれた赤ちゃんへの
絵本寄贈プロジェクトを、新規に開始した。
これも昨年同様、福祉団体の助成を受けて実現した。

地元・大船渡の東海新報社が何度も大きく紹介し、
大船渡市役所、陸前高田市役所、住田町役場の協力も得て、
さらに地元の助産師さんのグループも内容を知って
お母さん達への紹介をしてくれるようになった。
なので、反響が大きく、連日ネットやファックス、郵便で
申し込みが送られて来ている。

本来は、2013年に生まれた赤ちゃんが対象なのだが、
去年、あるいは一昨年生まれのお子さんにも作ってほしい
という希望が多く、2012年以前のお子さんには
被災者向け寄贈枠で対応している。

これらの絵本のタイトルはすべて「大切なわが子へ」で、
画や装丁もすべて統一された1種類しかない。
もともとは、産婦人科の院長先生からの
出産祝いプレゼントとして利用されている絵本だ。
両親のもとに生まれる赤ちゃん、シングルマザーのケース、
障がいを持って生まれてくることもあるし、
月満たずに命が尽きることもあり、出産直後に
天使になる場合もある。さらに言えば、
子どもの誕生を楽しみにしていた父親が病死してしまった
ケースも皆無ではない。

絵本の製作現場は至って事務的な作業だ。
原則として、著者名には両親の名前が記され、
本文にはお子さんの名前と、身長・体重、それと
出産した産婦人科病院の名前が挿入される。
なので、指定された事項を間違いなく入力し、
何段階かの校正作業が主要な作業となる。

しかし、天使版や父親が亡くなったケースなどの場合は、
状況を確認して、その状況に合わせた文章に修正する。
心を痛めているご両親や、遺族の方が読まれる文章なので、
いつも皆さんの痛みを感じながら文案を考える。

被災者向けの寄贈絵本は、最初から「親を亡くした子ども」、
「子どもを亡くした親」の心のケアが目的だったので、
当然、文章の内容そのものに集中して作成した。
ところが、8月からの気仙の赤ちゃん向け寄贈絵本と
並行するかのように、被災者向けの「応援版」の
申し込みが急増した。「応援版」は、被災前に出産し
子育てをされているご家庭向けの文章で、
次のような文章が挿入されている。

「■■■■ちゃん 
2011年の3月11日に  東日本大震災という
見たこともない 大きな地震と 津波があったの
たくさんの人が 大きな被害を受けて
つらい苦しみと 悲しみが残りました

でも お父さんとお母さんは どんなに大変な環境でも 
■■■■ちゃんを守って 大切に育てようと 決心しました

家族で励ましあって
しっかり生きていこうと決めたの」

この「応援版」には、子どもの性別はもちろんのこと、
身長や体重、ましてや両親から子どもへの「ひと言」、
さらには津波に襲われたときの状況などを記載する
「製作ライン」など設けていない。
なので、絵本申し込み書にそのような希望が書かれていても
「事務的な作業ライン」から外れてしまう。なので
それらを、無視することも可能な状況ではあった。

何人もの方の欄外メッセージを読むうちに
視野に入っていなかった状況に気づいた。

「思い出や記念の写真が1枚も残っていない」
「子どもの日記も記録もすべて津波に流された」
「家族揃って幸せだった頃を思い出せるものがない」
「思い出が消えてしまいそうな不安がある」

ルーティンワークから外れる作業は、
製作現場にとってみると、流れが中断され、しかも
新たな校正項目が増えるため、負担を強いることになる。
しかし、過去の楽しかった幸せな思い出を
徐々に薄れる薄暗い記憶の中から探し出すのではなく、
写真や文章、あるいはいつでも手に取って読める
絵本の中で目にする方がずっと容易なのだと思う。

過去を流失した人たちにとっては、
いつでも絵本を手に取り、失った過去の良き思い出を
実感できることだけでも、日常生活の
ささやかな安らぎ、平安につながるのだ、
という理解が、静かに拡がるのを感じた。
作業に携わるスタッフにそのことを説明したところ、
全員が納得し、例外希望も取り入れるように努力している。

負担は増えることになるが、絵本を受け取り
手に取った皆さんが、平安な気持ちをたとえ少しでも
取り戻し、家族揃って思いをひとつにしている姿を思い浮かべ
そこから達成感をいただいている。
 
 

  • 人を幸せにするために労する者は幸せを勝ち得る、と教えられていますが、主の時がいつなのかほとんどは解りません。 -- パシリーヌ 2013-10-12 (土) 20:48:21
  • パシリーヌさん

    幸せの定義はうまくできませんが、
    ささいなひとつひとつに、ほっとできる、
    平安な気持ちでいられる、人を思いやれる自分を感じる、
    などの小さな積み重ねが、幸せを作るような気がします。
    主の時がいつか、というのは誰にも分からないとされていますが、
    主の時への備えは、急がされているなと感じています。
    私も、怠惰なままで終わりたくないと願っています -- 昼寝ネコ 2013-10-12 (土) 23:41:32
  • 山のあなた、の後半、ここに幸ありということですね。当方依然
    前半を行く者なのでしょうか?山のあなたの空遠く幸いすむと人の
    いう。カールブッセを困らせるつもりはありませんが。 -- パシリーヌ 2013-10-13 (日) 20:19:22
  • パシリーヌさん

    失って初めてありがたさが分かるといわれます。
    何をするにも、なかなか難しい時代になりましたね。
    判断も選択も難しくて頭がくたびれ、眠い毎日です。 -- 昼寝ネコ 2013-10-14 (月) 00:21:55

認証コード(1062)

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional