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2013.11.07 エッセイ「遠く地平線を眺望する人、地の果てを見る人」 投稿者:昼寝ネコ

Charles Aznavour - Hier encore

遠く地平線を眺望する人、地の果てを見る人
 
 
昼寝ネコ
 
10年単位で放置していたCDの山から、思い立ったように
1枚ずつ手に取ってみた。

シャルル・アズナブールのアルバムが出てきた。
20歳代の前半から、30歳近くまで
繰り返し繰り返し聴いた、懐かしい歌声が
当時の心象風景を、懐古的に呼び覚ますのを感じる。

あの頃の年齢では、人生が遠い地平線の彼方に
存在するように思えた。
およそ40年を経た現在、人生とは相変わらず
地平線の彼方なのか、あるいは地の果てで終わるのが
視野に入っているのか。さて、どうなのだろう。

人間は、年月の経過とともに、自己の関心事の
ある方向に向かって、無意識に生き方の重心を移している。
なので、体力や肉体的容貌が人生のほとんどすべて、
という人にとっては、60歳を過ぎてしまうと
徐々に地の果てが視野に入り、人生そのものが
行き止まりになるのかも知れない。

一方、知識や知恵、感性、品性、徳性など
目に見えないものを追い求めている人にとっては、
おそらくは、どこまで進んでも終わりのない旅の
途中ということになるのではないだろうか。

母は年明けとともに89歳になり、同居している義母は
91歳になる。どちらも、人生のある時期には苦難を背負い、
ひっそりと時の過ぎゆくのを待っているかのようだ。
二人とも頭ははっきりしており、母などは
こちらがうんざりするほど、新聞やテレビで見知った
健康の秘訣を延々と講義したがるし、何度も聞いた
昔の苦労話をしたがるし、誰それが持って来てくれた
野菜や果物の微細を説明したがる。

その点、義母は遠慮がちで、何の役にも立たないのに
ただ生きていて申し訳ないと、口癖のようにいう。
母にも義母にも同じ口上で長生きするよう激励している。
「生きていれば年金が入るので、たとえ死んでも
ミイラか塩漬けにして、年金はもらうつもりだから
せいぜい長生きしてもらいたい」
そういうと、二人とも安心したように、そして
心から可笑しそうに声を上げて笑う。

アズナブールのこの曲は、邦題では「帰り来ぬ青春」。
今もまだあるかどうか知らないが、当時は
銀座コリドー街とその近くにシャンソニエが3店あった。
銀巴里は一度しか入ったことはないが、マ・ヴィー、
蛙たち・・・そしてもう1店は、店名すら忘れてしまった。

確かに、青春は二度と帰って来ないと思う。
だけど私の感性は、今なお青春を謳歌していると
勝手にそう思い込んでいる。
いつも遠い地平線をイメージしながら、
足許がふらつき始めた青年は、今日も歩き続けている。
・・・単に、自分に対する激励と強がりではあるが。
 
 

  • こういう作品は同一著者によるアンソロジーではないでしょうか。万葉集や六法全書、そして新約聖書もアンソロジーだそうです。比して劣らず。
    足元がふらつき始めても青春を謳歌しているなんてビバ!昼寝ネコ!
    それにしてもその名セリフ使わせて下さい。「年金を稼いでいるじゃないですか、ありがとう。」 -- パシリーヌ 2013-11-07 (木) 20:47:53
  • パシリーヌさん

    ははは、万葉集、六法全書、新約聖書、そして昼寝ネコの雑記帳ですか。
    比して劣らずだなんていわれてしまうと、やはり私は
    20年後のノーベル賞作家なのかもしれないと、躊躇するではないですか。
    ・・・、でもなんか、そんな予感がしてきましたよ。
    20年計画で作家人生の設計をしてみようと思います。
    いやまあ、この数ヶ月で新刊書発行の目安をつけるようにします。 -- 昼寝ネコ 2013-11-07 (木) 21:42:44

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