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14070901昼寝ネコ

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2014.07.09 創作短編・「静かなカレンダー」 投稿者:昼寝ネコ

Astor Piazzolla: Milonga del Angel (arr. Per-Olov Kindgren)
 
静かなカレンダー
 
昼寝ネコ
 
 
 田園都市線のたまプラーザ駅から、歩いて15分ほどの低層マンションに向かって歩いている。気が重い分、足取りも重くなっているのが良く分かる。開口一番、なんと挨拶すればいいだろうか。お元気ですか?体調はいかがですか?ずいぶんお久しぶりですね、このたびは何といっていいのか・・・どれも空々しい。

 真夏まではまだ間があるが、照りつける陽射しが思ったより強く、脳内に不快感が拡がってくる。すれ違う人たちの表情を盗み見るが、誰も彼もが穏やかな表情に見え、不幸とは一部の人に偏在するのか、あるいは大人になった人間は誰でも、人前では表情に出さないだけなのか、などと、考えても仕方のないことに神経が向いてしまう。

 ボランティアの市民団体から連絡があったのは、昨日だった。唐突に、たまプラーザの岡村さんを訪問してほしいという。去年の春、私は担当を外れて、それ以来連絡を取っていない。それが規則なので。
 聞くと私の後任の人間が転勤になってしまい、誰が担当してもずっと訪問を拒否しているという。一体何があったのだろう。

 駅からの緩やかな長い坂を下りながら、遠く過ぎ去った岡村さんとの会話を、断片的に思い出していた。ボランティアはいつも二人ひと組で行動するのが規則だった。何世帯かを定期的に訪問したが、誰もが最初は口が重く、心の中からの言葉を聞くことはなかった。相手が核心に触れる言葉を発するまで、堂々めぐりの他愛ない話題に終始し、辛抱強くその時を待つ。しかし心の扉を開いた後は、堰を切ったように話し始める。安心感が芽生え、警戒心が徐々に解かれるのだろう。人に心を開いた記憶のない私だったが、それは素直に嬉しかった。

 岡村さんは例外的に饒舌だった。早くにご主人を病気で亡くし、残された小学生の息子さんを育てながら働いた人だが、おそらく夢中でそして必死で生きてきたため、それに小さいお子さんを抱えていたので、悲しみや辛さの中に留まることなどできなかったのだろう。

 私など、およそ人を元気づけたり励ましたりなどができる性格ではない。実際に、岡村さんからは何度も励まされ、逆に心配もしてもらった。そのたびに苦笑したのを憶えている。

 息子さんはやがて中学生になり、成績は良かったそうだ。高校生になると、誰の影響なのか飛行機の設計をしたいと思うようになった。文系の私には、飛行機を設計するために、一体どんな専門知識が必要なのか皆目見当がつかなかった。息子さんの夢や希望は、そのまま岡村さん自身のものでもあった。楽しみ、張り合い、支えに満ち溢れた岡村さんは、苦労が報われた人生を生きていると、私も傍らで嬉しく思った。

 心のゆとりは、やがて周りの人たちへの関心と思いやりに変容していった。人と知り合うごとに、相手の誕生日、結婚記念日を訊いた。そして壁掛け用のカレンダーに記し、手製のカードを作って贈るのが習慣化した。仕事先の人、近所の人、美容院の人、と次第次第に増えていき、カレンダーに空白の日を見つけるのが難しいぐらい埋め尽くされた。

 成績の良かった息子さんは、そのままずっと成績優秀で、去年の春には見事に東大に合格した。奨学金も確保することができ、私はすっかり安堵して三年間の担当を離れた。

 事務局からの電話で、少しずつ状況がのみ込めた。去年の秋、息子さんは友だちのオートバイに同乗し、東北を旅行した。深夜、居眠り運転のトラックと衝突し、そのまま還らぬ人となってしまったという。言葉が出なかった。ささやかな合格祝いのときの、晴れやかな笑顔。私も自分のこと以上に嬉しかった。

 それ以来、岡村さんは誰の訪問も受け付けなくなったという。分かるような気がした。三年間かけて、私は彼女の人生を理解し、また尊敬の念も持つようになっていた。絶望的な状況から這い上がり、小さな希望の灯をともしながら、それを育ててきた。安堵の生活に入り、肩の重荷を下ろして間もなく、重い闇に覆われてしまったのだ。視界を閉ざされ、行くべき方向を見失い、どれだけ苦痛を感じているのだろうか。

 担当者からは、岡村さんが急に依頼してきて、旧知の私を指名してきたと説明を受けた。どうしても今日来てほしいという希望で、本来は誰かと二人で行くのが規則なのだが、とうとう調整がつかなかったので独りで行ってほしいという。場合が場合だから、例外的に協力してほしいという依頼だった。それは理解できるような気がした。

 いつの間にか、見慣れた低層マンションの下に来ていた。ふと立ち止まり、見上げると窓に人影が見えた。エレベーターがなく、階段を上って三階のドアの前に立った。呼び鈴を押すのがためらわれた。何ていえばいいだろうかと考えていたとき、いきなりドアが開いた。

 「ずいぶん沈んだ表情ですね」
 ドアを開けるなり、岡村さんにそういわれてしまい、言葉を失ってしまった。何もいえない私を招き入れ、彼女は私に椅子を勧めた。久しぶりの居間だったが、何も変わっていない。腰を下ろし無言のまま、半ば習慣的に視線は壁掛けのカレンダーに向けられた。

 空白のないはずのカレンダーは、どの日も空白だった。
 「今年はカレンダーが、ずいぶん静かになったんですよ」
 彼女は私の心中を見透かすようにそういった。私はまだ、どのような慰めの言葉をいっていいのか迷っていた。
 「いいんですよ、何もおっしゃらなくて。息子との合格祝いのときのシーンが、ずっと記憶の中に残っていて、こうしてご無理をお願いしてしまいましたが、おかげで気持ちの整理がつきました」

 言葉少なな会話がしばらく続いた。沈黙の中から、彼女は突然質問した。
 「ところで、今日が何の日かご存知ですか?」
 そんな、急にいわれても。一瞬狼狽してしまった。彼女か息子さんにとって何か重要な日で、それを思い出せないのは大失態だと考えた。苦笑する私に彼女は続けた。
 「呆れた方ですね。ご自分の誕生も憶えていないなんて」
 その瞬間、私は自分の顔が歪むのが分かった。どういう感情が湧き上がっているのか、支離滅裂なのだが、とにかく不思議な感情が昂じてしまった。恥ずかしながら、涙腺が緩むのを意識した。

 その後、さして意味のある会話もなく、長居してはいけないという思いから、月並みな慰めの言葉を伝えて辞去した。言葉数は少なかったものの、彼女は私の個人的なことを知っているようだった。誰に訊いたのだろうか。

 マンショの階段を下りながら、脳内がすっかり干からびているのを実感した。何が起きたのか、何があったのか、自分のこと、彼女のこと、とうとう焦点が定まらないまま、駅に向かって歩き始めた。
 その時ふと気になり、足を止めて窓を見上げた。人影が見えた。彼女の姿だった。思わず頭を下げ、私は駅に向かって歩き始めた。

 帰り道は、だらだらとした上り坂で、陽射しはまだまだ厳しく照りつけている。脳内では既に、過ぎ去ったことへの回想は姿を消し、難解な高次方程式の解が見出せないときのように、謎めいた短い時間のできごとを反芻していた。
 
 

  • 昼寝ネコさま
    不幸のどん底にいても、空白のカレンダーであるにもかかわらず、他の人の誕生日を思い出し、そのお祝いの言葉を告げることが出来るのは、どのような救いの力が働いているのでしょうか?もしかして彼女は自分よりも彼の方が不幸だと思っているのでしょうか? -- パシリーヌ 2014-07-09 (水) 19:42:25
  • パシリーヌさん
    自分については、敢えて何も説明せず読み手の想像に任せるようにしました。決して順調・平凡な人生ではないようです。お互いに相手の領域に共有点を感じているのですが、ある程度の人生経験を積んでいるので、それ以上踏み込まず、静観・傍観のまま時が経っていく・・・のだろうと思います。その方がリアリティがあるように思います。 -- 昼寝ネコ 2014-07-09 (水) 20:10:49
  • 一人でも信頼できる人がいるということが救いなんだろうな・・・。信頼関係がどのように築かれたのか、お互いの思いがどうなのかなど読み手の想像を掻き立てるところがまたいいですね。短編の良さと、昼寝ネコさまの手腕が光る作品だと思います。読みながら、自分の中で勝手に映画化してしまいました。 -- あらら 2014-07-11 (金) 11:59:31
  • あららさん
    たとえ想像であっても、映画にされるときは傍らに眠そうなネコを一匹置いてください。私が出演させていただきます。年齢的に何を見ても「何かが始まる予感」というものはなく、すぐに消える淡い想像のイメージなって来ています。時間があればもっと精緻に書きたいのですが、すっかり手を抜いて、行間は読者の方に埋めていただこうと考えています。したがって、読者の人生経験値や感性で結末が異なり、それでいいのだと思っています、何よりも余韻がある方がいいのではないかと感じます。 -- 昼寝ネコ 2014-07-11 (金) 12:47:47

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