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2014.11.14 創作短編・「届かない会話と届いた言葉」 投稿者:昼寝ネコ

Roberto Goyeneche - Sólo
 
届かない会話と届いた言葉
 
 
昼寝ネコ
 
一人の人間を理解するには・・・
本当の意味で深く理解するためには、
その人のずっとずっと昔まで遡り、
時系列で出来事を並べてみないと・・・

ある女が、あれこれ考えた末に、
人生の終末を生きる人の役に立ちたいと考えた。
彼女には無理に働かなくても、一生涯暮らしていける
経済基盤が与えられていた。
なので、お金を目的に働く必要はなかった。

指定された日に、施設に面接を受けに行った。
書類選考を経て、適性を確認する最終面接だった。
その日のうちに電話による連絡があり、
週明けの月曜日から金曜日までの6日間、
通うことになった。

月曜日の朝、9時から1時間の事前説明を受けた。
担当するのは、80歳を過ぎた男性で
両下肢が衰弱しているため、車椅子で過ごしている。
脳波は正常なのだが、話しかけても反応がない。
専門家の所見では、自閉症と失語症その他
心因性の障害で無感覚状態になっているという。
言葉は発しないが、洗面所に行きたいときには
かろうじて指先で合図するという。

女にとっては、相手がどれだけ重篤な状態でも
一向に構わなかった。煩わしい会話で
神経をすり減らす必要がない方が気楽だった。

雨が降らなければ、敷地内の木立を縫うように
車椅子を押して散策するようにした。
雨が降ると、施設内の長い廊下を何度も往き来した。
残りの時間は、高台から水平線を見渡せる展望室で、
ただじっといつまでも遠くを見つめていた。

女は自分に起こった出来事が、何ヶ月経っても
頭から離れないのを自覚していた。
何の未来像も描けない、行き場を失った
人間になってしまったことを実感していた。

2週間ほど経った頃、車椅子を押しながら、
ふと年齢の割に白髪が少ないなと、
初めて男性のことが視野に入った。

そういえば、規則だということで一切の個人情報は
知らされていなかった。
過去の職業、家族構成、国籍も出身地も何もかも
知らないことだらけなのに、ひと言の会話もなく、
ずっと行動を共にしている。
考えてみれば、ずいぶん奇妙な関係だと思った。

東條さんという名前が、男性の唯一の情報だった。

「東條さん。もう秋ですね、寒くないですか?」
その日、女は初めて言葉を発したが、反応はなかった。
ダウンコートで男性の身体を覆い、車椅子を押して
いつもの散策コースに出た。

このところずっと女は自分に閉じこもり、
誰とも会話することがなかったせいか、
徐々に人に対する億劫さが薄れているのを感じた。

「東條さん。人生って、いつ何が起きるか
分からないものですね」
返事はなかった。
返事がないことが、虚ろに感じられた。

それまでは、寡黙で単調な毎日だった。
しかし女の心境は徐々に変化し、
飽和状態になった感情を、言葉とともに
吐き出さずにいられなくなっていた。

翌日から、女は徐々に饒舌になっていった。

「東條さん、今日は少し暖かいですね。
いつもと逆のルートを行ってみましょうか」
女は同意を待たずに、逆ルートを進み始めた。

「北海道で、初雪が降ったんですって。
・・・わたし、本当はとてもおしゃべりで
明るい性格なんですよ。
でも、いろんなことが同時に起きてしまい、
突然、独りになってしまったものですから、
人と接するのがすっかり億劫になってしまって」
彼は相変わらず何も反応しなかった。

無反応の相手なので、女は警戒心を持たず
いつしか、子どもの頃の思い出、父親との確執、
母親の病死、留学時代のエピソード、学生時代の
希望と挫折の繰り返しを、徐々に語るようになった。

彼はいつしか、無言のカウンセラーになっていた。

1か月ほどが経過した。
不安や葛藤など、女はいつしか
無言のカウンセラーに対し、素直に内面を
伝えるようになっていた。

「わたし、ようやく先のことを考える気力が
出てきたようなんです。このままでいいのかなって。
やりたいことは何もないんですけど、でも
何かしなくては、って思うようになってきたんです」
女の言葉は、遠い水平線を見つめる彼の耳には
届いていないようだった。

翌週の月曜日、女は退職届を提出した。
話し合いの結果、後任の手配が可能になる
金曜日までは勤めることになった。

その日まで、女は何度か謝罪の言葉を伝えた。
何の会話もなかったものの、錯綜した話を
ただ黙って聴いてくれた彼を残して去ることに
後ろめたさを感じるようになっていた。

金曜日、最後の日の夕方になった。
外は朝から雨だったせいで、展望室から見る水平線は
空に溶け込んでしまい、境界線が見えない。
重い空気だった。

あと数分で、お別れだ。
もう二度と会うことはないかもしれない。
女は彼に別れの言葉を告げた。
「東條さん。短い間でしたが、私のお話を
聴いてくださって、有難うございました。
本当のことをいうと、生まれて初めて
死ぬことを考えたんです。
でもこうして東條さんに励まされて・・・
何もおっしゃってはくれませんでしたけど、
寛容な心を感じることができました。
・・・さようなら」

女は立ち上がり、車椅子のハンドルに手をかけた。
その時、彼は初めて言葉を発した。
「どうもありがとう。ご自分を大切に」

女は一瞬、耳を疑った。彼は無表情に水平線に
目を向けたままだった。
しかし「どうもありがとう。ご自分を大切に・・・」
確かにそういった。
この人は、ちゃんと聞こえて話せて、
思考力も理解力もある人なんだ。

その瞬間、女は理解した。目の前の彼が・・・
ずっと無反応で無感覚な人間だと思い込んでいた彼が、
実は自分よりもずっと深い闇に閉ざされたまま
ずっと長い時間を生き続けている人間であることを。

言葉にならない感情が一気に溢れ出て、
嗚咽したまま、女はその場から動くことができなかった。

海の色と空の色は、忍び寄る闇に同化し始めていた。
 
 
 

  • 昼寝ネコさま
    人に必要なのは「無言の傾聴カウンセラー」なのですね。 -- パシリーヌ 2014-11-15 (土) 07:56:49
  • パシリーヌさん
    自分で作ったモノに評論を加えるのは変な気分ですが、一番いいたかったことは、社会的に無きに等しい、まるで生ける屍のような老人にも、実はちゃんと心があり存在価値もある。そんなところです。世を捨てようと思い詰めた女性との、一見すれ違いの関係が実はちゃんと交流していた、という感じでしょうか。読み手がどう感じるかは自由です。 -- 昼寝ネコ 2014-11-15 (土) 20:06:49
  • 多忙で読めなかった投稿作品を一気に読ませていただきました。昼寝ネコさんのファンなのでとても感動して読ませて頂きました。創作短編とはこんなに奥深いもので難しいものだと分かりました。投球がとても上手て変化球をいかにキャッチするか楽しみです。その女性と男性の会話とも言えない会話に生きることの切なさが滲み出ています。素晴らしい文の運びに次の作品を期待しています。
    因みにわたしのペンネームは雀の番人として頂きたくよろしくお願いいたします。 -- 外村寛子6586 2015-02-13 (金) 20:12:50
  • 外村寛子姉妹
    感想を聞かせてくださり、有難うございました。私がイメージした情景と同じものを、脳内で再現してくださったようで有難うございます。この女性の背景には一切、具体的な説明を加えませんでした。その方が、読む方の感性で行間を読み、ご自分の人生と重なる部分が際立つと考えたからです。

    本来は創作短編をもっと書きたいのですが、仕事が忙しく、現実的なことばかりに対応していますと、なかなか登場人物が脳内に現れてくれません。困ったものです。 -- 昼寝ネコ 2015-02-13 (金) 23:05:40
  • これぞまさに究極の聞き上手… -- 興津 2015-02-14 (土) 00:21:30
  • 興津兄弟
    そうなのかもしれませんね。これが、あれこれお説教したら絵になりませんね。 -- 昼寝ネコ 2015-02-14 (土) 21:20:21

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