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2015.01.09 読書感想文「賢母の教えー中江藤樹(なかえ とうじゅ)」投稿者:岸野 みさを

尺八 都山流本曲 峰の月 Shakuhachi Tozanryu MINENOTUK

賢母の教えー中江藤樹(なかえ とうじゅ)
 
 
岸野 みさを
 
義姉(80歳)から子どもの頃読んだ講談社の絵本の話を聞く機会があった。親が毎月購読してくれて、絵がとてもきれいなので楽しみにしていたという。
偉人の伝記物もあって、その中でも中江藤樹の子どもの頃のお話に驚いたという。

国立国会図書館デジタルコレクション 高等小学読本 巻4 第14課(コマ番号34-39) 賢母の教 で検索することが出来た。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1874141

雪ならば幾度袖を拂はまし花の吹雪の滋賀の山越」と始まり、花の吹雪のそれならで、霏々たる雪は路を没し、凛冽たる風は膚をつんざく~。日が暮れようとしているのに山の向こうの故郷に帰りたい一心で吹雪の山道を一人越えていく少年藤太郎(とうたろう、藤樹の幼名)は岩につまづき木の根に倒れ血さえ足より流れ出で、道の邉の雪を紅に染めながら、尚も心を励まして風雪の中を登り行く~足にまかせて此の深山路へかかりしが今は足疲れ身體凍りて、先へも出られず後へも戻られず。こうして進退窮まった藤太郎は行き倒れになってしまいます。
幸いにも通りかかった小牛のような黒犬に探し出されて、凍死寸前を老僧に助けられます。

翌朝生家にたどり着いた藤太郎は門や柱も雨に朽ちて傾き、土塀も崩れ、庭の古松も竹も刈る人も無くうっそうと茂り、雪に耐えられない風情を目の当たりにします。屋敷の中に入ると誰か車井戸で水を汲んでいました。それは母の姿ではありませんか!昔は数多くの使用人がやっていたことを、この寒空の朝に母が一人でそれをやっているのです。「あゝ 母様わたしがやりませう」と藤太郎は駆け寄ります。突然のことに驚いて振り向いた母は、どうして帰ってきたのかと尋ねます。事情を話す藤太郎に「そなたは此の母の言葉を忘れましたか。そなたを御尊父様にお頼りした時、いったん國を出たからは、りっぱなひとにならない中は、決して中途で帰るなと、あれほど固く言聞かせたではないか~その足ですぐ大洲へお帰りなさい。」余りの事に藤太郎は黙然として言葉も出ず、力抜けして雪の上にひざまずきぬ~やがて「はい、わかりました。」とすなおに答える藤太郎に母は袖をかみしめて泣き声を呑むのです。藤太郎はきっとして立ち上がれり。「母様、此の薬はあかぎれの妙薬で、世にも得がたい品。差し上げたいと思って、わざわざ持って参りました。これだけはお受けとりなされて下さいませ。」と差し出す。母は快く「おゝ、そなたの忠、これだけは受けませう。」と手に取らんとて下を向く。藤太郎は渡さんとて上を向く。見合はす顔互いの目には涙一ぱい。母は恥づかしと、じっとこらふる心の苦しさ。子は堪えざりけん
薬を手より取り落としてうつむけば、雪の上にほろほろと落つる涙。雪はなほ霏々として寒風に飛べり。母が汲みおきし水を見れば、何時の間に張りけん、上は一面の薄氷。藤太郎は遂に心を励まして、泣く泣く我が家を立出でたり。見送る母、見返る子。満天の風雪路悠々。        (おわり)        (村井寛「近江聖人」による)

中江藤樹(1608年3月7日―48年8月25日)は江戸時代初期の儒学者で日本の陽明学派の祖である。没後は近江聖人と称えられている。
近江国高島郡小川村(現滋賀県)農業中江吉次の長男として生まれた。幼くして父を亡くした藤太郎は9歳の時米子藩主加藤貞泰の家臣であった祖父中江徳左衛門吉長の養子となり米子に住む。2年後、あかぎれの薬を届ける為に帰ってきた藤太郎に母(名前は市)は文中にもある獅子は子を千じんの谷に落とすかのように接した。

陽明学の三つの根本思想の一つは「知行合一」(ちこうごういつ)であり、真に知るということは既に行っているということだという。(「行いを伴わない信仰は死んだものである」と信仰と行いについて述べたイエス・キリストの弟ヤコブの言葉を思い出す皆さんもおられよう。ヤコブの手紙2:17-18)門人に熊沢蕃山、泉仲愛(蕃山の実弟)がおり、その流れは大塩平八郎、佐久間象山、吉田松陰へと続く。

戦前の小、中学校の修身の教科書には「近江聖人 中江藤樹」の名前があるが、敗戦と共にそれは断裂された。

滋賀県高島市にある藤樹の住居跡、日本で初めての私学熟跡「藤樹書院」は国の史跡に指定されて、中には藤樹直筆の「致良知」などが展示されている。

藤樹の教え

「父母の恩徳は天よりもたかく、海よりも深し。あまりに広大無類の恩なるゆへに、ほんしんのくらき凡夫は、報ゐんことをわすれ、かへつて恩ありとも、恩なし共、おもはざるとみえたり」

「善を為すは、耕耘(こううん)のごとし。当下の穀を得ざると雖も、必ず秋実を得る。悪を作(な)すは、鴆酒(ちんしゅ)を飲むがごとし。即席の燕楽を得ると雖も、必ず死期来る。」

「それ人心の病は満より大はなし」(満とは慢心のこと)

「母たるもの、夫のみじかき所あしき事などを、その子に語りきかせてよろこぶもの、間(まま)に有。これは正しくその子に不孝をおしゆるなり」

「家をおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、あくなくて行くことをねがふにひとし」
 
 
 

  • 何やら日本伝統の尊い教えのようですが、何度か繰り返してじっくり味わうようにしたいと思います。 -- 昼寝ネコ 2015-01-09 (金) 23:26:20
  • 『母たるもの、夫のみじかき所あしき事などを~~』は共感します。お母さん無意識にお父さんに対して愚痴を子どもの前で言っていませんか?(影の声:わたくしは無意識に子どもの前で言ってはいません。意識的に夫本人に悪口を言っています。)できればどちらも、ほどほどにしていただければうれしいのですが・・・。「粗大ゴミ よりも捨てたい 旦那様」よりは「仲イイ夫婦 審査したのは 子供たち」でいかがでしょうか? -- 一語一笑 2015-01-10 (土) 09:12:55
  • 一語一笑さま
    確かにそれは「その子に不幸を教えている」のですが、母たるもの分かっていないのでしょうか?
    また親に恩があるのか無いのか考えてもみない、という様は人としての自覚が低下している所以でしょうか?夫婦仲の良さを見る子供たちは幸せです。お見事な一句でした。 -- 岸野みさを 2015-01-10 (土) 12:13:17
  • 日本古来からの教えや発想には、湿度と適度な温かさがあり、独自の哲学体系が脈々と流れているのだなと感心しました。日本には、目立たないけれど伝統の深みと繊細さがまだまだ埋もれているように思います。不勉強な私の視野に入っていない内容でしたので、貴重な知識を有難うございました。 -- 昼寝ネコ 2015-01-10 (土) 14:24:09
  • 昼寝ネコさま
    今から約400年も昔の中江藤樹は
    内村鑑三が19世紀末欧米に日本を紹介するにあたって、以下5人を選んで英語で出版された「代表的日本人」の一人です。
    「西郷隆盛」「上杉鷹山」「二宮尊徳」「中江藤樹」「日蓮上人」。
    日本のレガシーですから未来に生きる子供たちに伝えたいのです。

    -- 岸野みさを 2015-01-10 (土) 16:31:15
  • 前々から調べたいと思っていた「賢母の教え」の教科書を今日やっと図書館で閲覧、コピーも手に入れました。子どもの頃、母(大正13年生)からよく聞かされて一度原文を読んでみたいとの想いが念願叶いました。暗唱した母のように読み込んで私も暗唱できるよう、努力します。 -- 太田千鶴子 2016-02-01 (月) 14:20:53

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