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2015.09.23 エッセイ「自分にとっての根源的な問いかけ」投稿者:昼寝ネコ

Susana Rinaldi "La ultima curda"

ピアソラをヴォーカルで聴きたくなって、いろいろ探してみた。
好き嫌いは別として、存在感のある歌手というのは、
そんなに多くはないということが分かった。

掲載して聴いてみて、気に入らなくて差し替えて・・・
を繰り返すうちに、冒頭の動画を見つけた。

最初にチラッと顔を出し、リナルディを紹介したのは
なんとシャルル・アズナヴールだった。
一瞬、間違えてアズナヴールを選んでしまったのかと思った。

で、次に驚いたのは、一体これは何十年前の動画なんだろう。
リナルディにも、こんな若いときがあったんだ。
でも、歌唱法は昔も今も変わらないのだなと、感心した。

このところずっと、作業に追われる毎日だったが、さすがに
5連休の直前で、少しだけほっとしている。

で、ふと思い浮かんだのは、そもそも人間は根源的に
なんのために生きているのだろうかという疑問だ。

私の母は90歳で、義母は92歳だ。
とっくに平均寿命は過ぎているのだが、もういつ死んでもいいよ、
だなんていうことはいってない。

長生きしてください、というのは簡単だが、では一体
人間は何歳まで生きれば、目標を達成したことになるのだろうか。
先日、101歳という女性がある会合に参加し、自分で歩いて
登壇してコメントをいうのを見た。

150歳まで生きられる秘薬を手に入れたとしても、
ただ生きるだけでは意味がないと思っている。

誰だってお金は欲しいだろう。
いくらでも好きなだけお金をあげるよといわれたら、
一体どの程度の金額をいうだろうか。

1億円でもいいし、1兆円でもいいといわれたら。
しかし、お金は遣うためにあるのだから、重要なのは
何に遣うかだと思うのだが、ただ資産が増えることに
執着する人も存在する。

結局、人間にとって一番大切なのは、何歳まで生きるかではなく、
どれだけの資産を所有するかでもなく、どんな目的、目標、
使命感、達成感、充足感、平安を得るか、なのではないだろうか。

ある程度生きてきて、最近はそのように考えるようになった。

青春時代から、ずいぶん時間を浪費したのは事実だ。
大人から見れば、無意味なことに労力を費やした。
でも、決して言い訳や負け惜しみではなく。
無駄な時を過ごせば過ごすほど、真に大切なものが
見えてくるのだと、最近になって理解できるようになった。

人生はそんなに単純な構造ではないと思う。
いろいろな人たちの言葉を味わっている。

人は成功するときのために、何度も失敗する。
人は真理に戻るときのために、真理を離れる。
人は他人の苦しみを理解し、その人を思いやれるよう、
最初に自分自身が苦しみを背負う。
人生でやり直すのが手遅れというときはなく、
やり直すべきと思ったときが、やり直しに最適な時期である。

30年来の知人が、重篤な病であると電話で知らされた。
医者からは、実質的に余命を宣告された。
でも彼は、淡々と職責を果たそうとしている。
ある新規プロジェクトを、責任者として遂行する立場になり
私に相談してきた。
すべてに優先して、何日かがかりで報告書をまとめた。

そのためには、いわゆる公開情報を収集し分析するという
インテリジェンスの基本知識がなければ、短時間では
まとめられなかったと思う。

サイト上に新設ページを設置し、さらに何ページも
リンクページを作って仕上げた。
さらには、組織的な運営構造を考案し、概念図と
概要説明書を作成して、今日送付した。

すべてを自分で考え、判断し、製作できなければ、
数日では終えられなかっただろうと思う。
いちいち編集者や、ウェブデザイナーやライターに
相談しながら進めていたのでは、数倍の時間を要したと思う。

余命を宣告された彼にとっては、たとえ一日でも貴重な時間だ。
文字通り、寿命を削りながら使命を全うしようとしている。

私とコンピュータの出会いは、おそらく20年ほど前になると思う。
これまでも現在も、技術の習得が追いついていない。
決して楽な道ではなかった。
でも、その苦労をしたのは、今の彼の役に立てるためだった、
と考えれば、これまでの労苦も報われる。

能力もあり、真摯な人間なので、少しでも長生きして
使命を達成し続けてほしいと、心から願っている。

人間というのは、たとえ何歳になっても使命感と達成感が
生きる上での原動力になると思う。

徒労感や挫折感、焦燥感、失望や絶望は、ある意味で
やがていつか、人生の視界が開けるときのために
必要な試練なのだと思えるようになれば、
人並みの大人になったと思っていいのではないだろうか。

音楽には誰だって好みがある。
しかし、ピアソラの作品の根底には、人間や人生に対する、
とくに地上で最も小さく、弱い人間に対する
優しい眼差しがあると、いつも感じている。

  • 昼寝ネコさま
    死期を悟って生きる、ということは、私にとってはその時になってみないと判らないことで、自分は大丈夫、今回は大丈夫、まだ大丈夫と考えるのは正常性バイアスというのでしょうか?「たとえ何歳になっても使命感と達成感が生きる上での原動力になると思う」は確かだと思います。智に働く人の苦悩は凡人にとっては容易に理解できないものですがピアソラの不滅の音楽が癒しをもたらしてくれたのですね。偉大なるピアソラに感謝! -- パシリーヌ 2015-09-24 (木) 07:21:45
  • パシリーヌさん

    コメントを有難うございました。「智に働く」って、もしかして私のことですか?痴とか恥の方が自分に合っていると思います。ピアソラに中和してもらっているのは、事実ですね。これであとは、ネコがそばにいてくれれば、いうことがありませんです。 -- 昼寝ネコ 2015-09-24 (木) 21:35:59
  • 「知に働けば角が立つ、情に掉させば流される」夏目漱石の「草枕」の冒頭の言葉から引用したはずが「智」となってしまい大変失礼しました。ですから痴や恥である筈がありません。 -- パシリーヌ 2015-09-24 (木) 22:16:34
  • パシリーヌさん
    解説を有難うございました。勉強になりました。 -- 昼寝ネコ 2015-09-25 (金) 13:41:20
  • 父が亡くなる前のことでしたが、支援が必要な様子が見て取れましたので、私と兄とで相談して、父に内緒で役場に要支援申請に行きました。そうしたところ、父は役場からその申請受理の連絡を受け取るやいなや「ワシはそんなものはまだいらん」と取り消しにいってしまいました。今では笑い話のようではありますが、昼寝ネコ様のエッセイを読ませていただいて改めてその時の父の事を思い返しました。当時は母が体調を悪くしていたので、父にとっては「自分がへたっているわけにはいかない」という使命感のようなものがあったのだと感じました。肉体は衰えても人の精神というのは衰えないものなのですね。 -- 向谷 亮 2015-09-26 (土) 10:53:16
  • 向谷 亮様
    コメントを有難うございました。余命年数不明の私ですが、使命感を失わずに生きていきたいと思います。 -- 昼寝ネコ 2015-09-28 (月) 01:55:09
  • ピアソラの楽曲は、酸いも甘いも噛み分けたダンディ昼寝ネコ氏だからこその選曲ですね。ところで近年上手に年を重ねる秘訣は、副交感神経を高めることといわれています。笑うだけで副交感神経が優位になり、落語、漫才、コント、喜劇を観るのも有効です。
    「家の周りに囲いができたんだねぇ」「へい」 -- おあとがよろしいようで 2015-10-04 (日) 08:23:58

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