15122601 昼寝ネコ
‘’2015.12.26 エッセイ「気がつけば、今日はクリスマスだった」投稿者:昼寝ネコ’’
ピアソラ作品「チキリン・デ・バチン」に寄せて
chiquelin de bachin - Astor Piazzolla-soundtrack con arrangiamenti inediti-知人からのメールの冒頭に、Merry Christmasと書かれているのを見て、ようやくクリスマスがやってきていることに気づいた。連日、処理案件に追われていたので、日付は意識していたのだが、クリスマスはすっかり視野から消えていた。
そういえば、何週間か前の記事で、「紙に描いたクリスマスツリー」というタイトルで短編作品を書きたいと記した。今から書き始めたのでは、もうすでに季節外れになってしまう。
登場人物である母親と小さな男の子は、作品の世界に登場するのを、脳内でずっと待っていたかもしれない。悪いことをしてしまった。
温かい暖炉や飾り付けられたクリスマスツリーとは無縁の、電気もガスも止められた、底冷えのするアパートの一室。二人は身体を寄せ合い、寒さを凌ごうとする。
男の子はあどけない表情で母親を見つめている。母親は、言葉を発することのできないわが子を抱き寄せ、頬に涙が伝わる。
空腹は何日も続くと、ひもじさも感じなくなる。
消えかかった命の灯が、か弱く光を放っていたが、クリスマスの早朝、二人は静かに、眠るように天に召された。
街の人たちは不思議な光景を目にした。二人の住んでいた部屋から、ふたつの光がゆっくりと空に向かって行くのを、神聖な気持ちで見上げていた。
部屋には何も残されていなかった。粗末な紙に、クレヨンで描かれた1枚の絵だけが、すきま風に晒されたまま、震えながら横たわっていた。
子どものために、母親が描き上げたクリスマスツリーの絵だった。絵には赤い字で「Merry Christmas」、そして緑色で子どもの愛称が書かれていた。
残すところ2時間あまりでクリスマスの夜も終わってしまう。来年のクリスマスには、「紙に描いたクリスマスツリー」という短編を、ちゃんと仕上げてあげようと、あてにならない決心をしている。
*追記:冒頭の演奏は、オラシオ・フェレール作詞、アストル・ピアソラ作曲の「チキリン・デ・バチン」です。知恵遅れで孤児の男の子(スペイン語では小僧=チキリン)が、売れ残りの花を市場で分けてもらい、バチンという名のステーキレストランのテーブルを回って買ってもらっていました。売れなかったときは教会に行ってパンを分けてもらい、普段は路上の荷車の下で寝起きしていました。ある日、パンをもらいに教会に行ったのですが、誰もいない日が続きました。早朝、道行く人たちが荷車の下で冷たくなっている男の子を見つけ、いいました。「この子は天に召された」と。
ピアソラはアルゼンチンタンゴの作曲家とされていますが、ワルツの曲は数曲しか作っていません。この「チキリン・デ・バチン」は、その1曲です。「紙に描いたクリスマスツリー」は、フェレールの歌詞に通底するものがあり、ぎりぎりまで追い詰められた小さな存在が、天に召されて安息を得るという、俗世を超越した神聖さを描きたいと思っています。思っているだけで、なかなか時間を確保できず、来年までのおあずけとなりました。
穀粒読者の皆さまが、佳き年末年始をお過ごしになれますように。
- 昼寝ネコさま
「紙に書いたクリスマスツリー」来年のクリスマスまでのお楽しみとなりました。 -- パシリーヌ 2015-12-28 (月) 19:07:04 - パシリーヌさん
そのうちに忘れてしまう可能性の方が高いかもしれません。 -- 昼寝ネコ 2016-01-01 (金) 21:49:30