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2016.06.02 エッセイ「祝 穀粒3周年記念ーちょっといい話」 投稿者:岸野みさを

祝 穀粒3周年記念―ちょっといい話
 
 Welcome家族と呼ばれている家族がいる。どのような人をもwelcomeだからだ。特に困っている人たちには何カ月も無料で宿泊させている。ある時、十分の一の話を聞いた。それは、改宗する時「内は収入が乏しくて貧乏なので十分の一を払えません。免除してください」と監督に申し出たそうだ。監督はニコニコして「主の戒めを守れば、あふれる恵みが与えられます」というので2人はそれを信じた。しばらくすると、いつも子供連れで一緒に遊んでいた友人が「双子をお風呂に入れてもいいかしら?帰りの遅い主人はできないの」と言う。「どうぞ、どうぞ」と言って彼女は6か月の双子の女の子を裸にして次々と、先にお風呂に入っているママに渡し、お風呂から出る子の体をバスタオルで拭き洋服を着せた。
 ママは「度々お願いしたいので1回500円を払います。その方がお願いしやすいのです」と言った。ありがたく頂戴したそうだ。予防接種も一緒に行き、散歩や買い物も一緒だった。
 
 そのwelcome夫婦の27年前の、当時の断食献金は740円だったという。1年半の間その居住地から転居するまでお手伝いの生活は続いた。
 
 ある時、断食献金を多めに払いなさいとの預言者の教えに従うために10円未満は四捨五入ではなく繰り上げにしたそうだ。つまり3円と言う半端があるとそれを繰り上げて10円にしたのだ。財政管理を任されている妻は「十分の一が多くなるという事は収入が多くなることだから、きっちりしなければ気が済まない」のだという。
 
 2人は税金が納められるようになって、ようやく日本国民になれたと喜び、十分の一の年間の合計が「当時の年収よりも高くなった」と喜んだ。
 
 時は過ぎ去り子供が5人になり、長女が高校進学する時にどう計算しても月謝の分が少し足りなかった。しかし、4月に昇給があって、まさにその月謝の足りない分が昇給したのだという。多くもなく、少なくもなく、その分きっかりだった。
 
 2人は「十分の一の祝福は自分たちの為にだけ使ってはいけない」という信念で困っている人がいればすぐ救助の手を差し伸べる。自分たちの生活のむだ使いは切り詰めるが他の人の為に使うお金は全く計算しないので今までどれくらい費やしたのか見当がつかないそうだ。
  
 筆者が知っているだけでも救助の手を差し伸べた人数は数え切れない。(完)

 Welcome家族の新婚のお嫁さんの話。「私たちはとても仲がよいのですが、時々ケンカをします。殆どがちょっとしたことで私が不機嫌になるのです。すると最後には夫が『お祈りしよう』と言います。私はそうして不快感を払しょくせざるを得なくなり、主に思いを向けることができて、神権の導きを受けています」
 
 他の新婚さん、新郎はプロポーズしようと決心して3日後、デートプランだった池袋サンシャインの水族館に行き、夜景が見えるレストランでサプライズでプロポーズしようとしたのだが、あいにく個室が取れなかったので、さすがに勇気が出ずに断念したそうだ。しかし、ハッと最適な場所がひらめき、2人はそこへ足を運び、すでに閉まっていた東京神殿の入口でプロポーズに至った、ということである。
 
 約450件の会員を持つ自治会の今年度の会長を決める時、昨年のブロック会長だった筆者の義理息子は誰もが引き受けることがイヤで黙秘作戦に転じているのに、1人祈り続けていた。祈り終わると同時に「ハイ」と手を挙げてしまい「では、私がやります」と言ってしまったそうだ。自分でも何でそう言ってしまったのか分からなく、みたまが声を発したのだと思っているようだ。
 
 大昔の話だが、先週卒業式を終わったばかりの小学校の校長先生が、汽車に乗ろうとするとホームで雑誌を売っているではないか。何で?と思った。どんな職業でも真面目に努めなさい、という偉大な教訓だと判ったのはずっとずっと後になってからのことだった。
 
 舌が短くて母乳に吸いつく力が弱い新生児が泣きながら30回も繰り返したという。ママも辛かったと思うが、生まれ出てそのような試練に会った赤ちゃん、よくがんばったね。そろそろ3か月になるがとても元気がいい。ママの声がする方向へ首を廻してホーホーと声を発している。新米ママは抱き方が慣れていない。差し出すようにして抱いている。自分の体にぴったりくっつけて、頭と首をしっかり右肘の内側に挟み、右手は赤ちゃんのお尻まで廻して左手は空けておく、と横抱きを教えた。赤ちゃん体操をやると、最初は怖がってこわばっていた赤ちゃんの体は次第に慣れてきて柔らかくなってきた。喜んでいる。寝てばかりなので赤ちゃん体操は必要だ。
 
 寄っ亭松川という道の駅がある。リンゴ園から始まり、近くの農家の野菜が色々売り出されていて活気がある。長男は「寄ってけ松川」と言うのだ。確かにその意味はあるのだが…。
 
 相当昔の話、サンフランシスコの町を歩いているとジョギングですれ違った女性が「イチロー」と声をかけてきた。「ハーイ」と返事をしたが「イチロー」と言った方がよかったと後で思った。
 イチロー選手は、アメリカのシアトル・マリナーズでプレーしていて、10年連続200安打の記録を作った。これは誰も達成できなかった大記録である。「イチロー!」
 
 バンクーバーに一緒に行った友人は「皆ビールばかり飲んでるんだなぁ」と思いながらレストランの客のテーブルを眺めて通り過ぎようとしていた。と、水が入っているコップを見つけた。水だ!その客の顔を見るとなんと知り合いの日本人ではないか!2人共同時に「なんでここに?」こんなことって有りなのだ。
 
 息子が十代の頃、妹が小樽の短大から戻ってきて楽しく過ごし、また小樽へ帰って行くと「モルモン書読もうっと」と言った。彼は19歳の時の交通事故の後遺症を抱えていて、更に今3つの難問に直面している、それで毎週金曜日に神殿に通って主の助けを得ようとしている。
 
 私ら親子3人とも神殿で奉仕していた時、疲れた息子が休憩室で目を閉じて休んでいると名前を呼ばれてハッと目を開けると、そこに神殿長が立っていた。「私ですよ。主だと思いましたか?」
 
 「大仏がとってるポーズに親近感」鎌倉に行ったとき息子が詠った句である。そう言えば…あっ、そうか!
 
 中学2年の孫が2歳頃履いた靴下がタンスの隅から出て来た。高尾ワードで丁度サイズが合いそうなお子さんにあげようと親御さんに見せていると、そこへ孫がきた。「これ頂戴していいんですか?それとも履きますか?」と親御さんは言った。「ハハハハハ」と孫。お日様の柄で気に入ってもらった。
 
 孫娘(小学4年)のプライマリーの先生が結婚した。ウエディングドレス姿の先生の写真をジイッと見ている。「あっ、ごめんなさい。それお父さんとのツーショットよ。こっちだわ」と母親は慌てた。ようやく新郎とのツーショットを見て「○○○○!」と新郎の名前を言うと走って部屋を出て行った。しっかり名前を覚えていたのだ。
 
 4歳の男の子「ママとおばあちゃんの分は?」兄と弟のケーキを先にテーブルに出すと心配そうに言った。「ハイ、どうぞ」2人の分もキッチンから持っていく。「ねえ、もしママとおばあちゃんの分がなかったらどうする?分けてくれるかな?」と聞いてみたかった。
 
 知り合いの家に行くと5、6歳の双子の男の子が出て来た。「ママいますか?」「いるよ。ママ!」もう一人が「ねえ、イエスさまって知っている?」訪問者が来ると誰にでも質問するのだという。素晴らしい!
 
 常磐線の電車の吊革にぶら下がっていた時、「綺麗ですねえ」と声をかけられた。横を見ると初老の男性である。「あっ、すみません。あまりにも綺麗な夕焼けなので、つい…」
「ほんとに綺麗ですね」広大な関東平野に沈む太陽が空一面を染めている。
 
 陵南公園の川辺に座して桜を見ていると「疲れましたね」と声をかけてきた中年のカップルがいた。「ハイ」「ここの桜もいいですね。河津の桜を見に行ったんですが、海からの風が強くてね」「河津の桜は有名ですよね」と私は答えた。しばらく桜を見ていて男性は向こうへ行ってしまった。連れの妻らしき女性は「鳥がいませんね」「あそこに飛んでいますよ」と空を指さす私。「あゝ、あれはハトですね。川にはいませんね。あっ!いた!うわさをすれば…」みると小さな小鳥のようだ。後で夫に聞いてみると「しじゅうからじゃないか?」夫は駐車場を捜していてそこには居なかったのだ。
 
 立川の駅へ向かって歩いているとすれ違った男性が何か言った。通り過ぎたがとっさに私の仕事の保険の顧客かも知れないと思い振り返った。「どなたでしたか?」すると男性は「お茶しませんか?」「…失礼します」これは遥かなる20年前のことである。
 
 日本のパウロと若かった頃私らが名付けた男性は「隣に来る人は隣人であるからして(これも私らが勝手に付けた言葉)福音を必ず伝える」という有名人がいた。電車の中であれ、街角であれ、公園であれ、彼はどこでも口を開いて福音を伝えたのだった。上記3つの小話は見知らぬ人から声をかけられてきたのであるから、日本のパウロだったら絶好のチャンスと捉えたに違いない。信仰が薄くスキルのない私はせめてチラシでも持ち合わせていれば渡すことができたのに…。
 
 このような小話はいつの話?と娘に聞かれそうだ。過去現在未来は主にとっては現在だからその気持ちで書いたのよ、と私は言おう。しかし未来については何一つ書くことができない。母が度々言ったように「想像はできても、実際に通ってみないと判らないのが老いへの道よ」
 
 祖母が私ら孫に度々言って聞かせたのは「食って終わりの一生ではよろしくない。人の役に立ちなさい」だった。一休さんの「食って糞して寝て起きて子が親になり子が親になり」を妙に納得していた私は考えさせられた。しかし、今のこの時代食べることもままならない場合がある。さて、人の益になったことはいくつあるだろうと振り返ってみる。人を救いの道へ導いただろうかと振り返って見る。

 皆さんの記憶にもあると思うが、ある伝道部長は宣教師たちに「口の中に10円玉を入れなさい。そうすると口を開かざるを得なくなります」と言うと、宣教師たちは不思議そうに靴の中へ10円玉を入れたそうだ。「クチとクツ」確かに間違えやすい日本語である。
 
 認知症の母親が部屋でうんちをして、それをタンスの中の洋服で丁寧に拭き取って、今度はその洋服を畳んでタンスに収納したということである。娘は「まあ、汚れはきれいにして、洋服はタンスにしまうことを忘れていなかったのね」と感心したそうである。既に人としての尊厳を失っている行為の中にさえ、尚、尊厳を見出している娘の究極の思考回路である。しかし、そのように思えることは幸せであり、救いがあると思った。幸せと言えば、幸福度の高い人ほど認知症の発症が少なくなるという研究データーが2016年4月に発表された。
 
 孫娘のピアノの発表会。エルメンライヒの「つむぎ歌」だった。終わってから本人に出来栄えは何点かと訊いたら、「99点」と言った。マイナス1点は何?と訊くと「1つの音符を弾かなかった」と言った。
 
 教会に行かなくなった母親が娘の就職活動に「日曜日の仕事はだめよ。安息日だから」と言った。娘は活発会員だ。
 
 中学校の通学路にある坂道の川の向こうの老人ホームに中学生たちが名づけたバイバイじいちゃんがいる。朝はベランダに待っていて「オハヨー」と声をかけてくる。中学生たちはヘルメットを着用し制服姿で坂道をエッチラオッチラと自転車を漕ぎながら片手を挙げて「オハヨー」と返事をするそうだ。当然、よろけるそうだ。行きはまだしも下校時はスピードを抑えながら、「バイバーイ」というおじいちゃんに片手を挙げて「バイバーイ」と返事をするそうだ。偶々姿が見えない時などは皆で「どうかしたのかしら」と心配するのだという。最近はもう一人、今度はバイバイばあちゃんが同じようにベランダに出て声をかけてくるようになったという。これだけの交流なのに心が温かくなる。地域の活動は「オハヨー」と「バイバーイ」から始まる。
 
 AI(人工知能)の研究者の男性が彼女と付き合っていく上で重要だと考えて「愛している」と言ってみたそうだ。AIの回答は即座に「やめて下さい」だったそうな。
2045 年には完全 にコンピュータが人の知能を超えるという予測(singularityシンギュラリティ「技術的特異点」)がされている。特にアメリカに於いては脳科学やナノテクノロジー,ロボット技術の発展など,人工知能を中心とする大きな変化が起っている。
我が国の平成28年版の科学技術白書でもAIに焦点を当てている。政府もAIを軸とした技術革新によって30兆円の市場を創出するとしている。人間の存在価値を軽々と超えていく巨大な知の到来に対して「人工知能の発展は人間の敵ではなく必ずや人間のためになるはずである」と人工知能学会の会長は語っている。
 
 介護ロボットパルロ君が介護現場で働いている番組を見た。身長40㎝体重1.8kg何となく可愛らしい。男の子の声だ。「今日はいい天気ですね」と認知症患者に話しかける。患者はパルロ君に話しかけられると落ち着くのだという。患者が同じことを何回繰り返しても、人間のように「さっき、言ったじゃない」などとは決して言わない。向き合っている患者に笑顔が現れる。ペットでも愛でるかのようにパルロの頭を撫でたりする。歌やダンスは100種類ほどできて、赤あげて、白あげて、などの旗揚げゲームもできる。パルロ君がレクレーションを教えている間、介護職員たちは手が空くので書類の整理などをやっていた。

  • たくさんのちょっといい話、ありがとうございました。読んでいて、ほほえましい話、考えさせられた話、自分はどうかなと考えた話、朝の忙しい時間で大変でしたが、自分はどれだけ今まで人の役に立ってきたのか?と自問してしまいました。これからもう少し生きられるかもしれないので、その大切な時間を主のために使いたいと思います。
     ありがとうございました。 -- 丸山 幹夫 2016-06-03 (金) 07:09:00
  • ちょっと長いい話。またまた炸裂マシンガンエッセイ。サンフランシスコ物語は説明請う。どうしたもんじゃろの~。祝 穀粒3周年! よかったぁ置き去り少年無事保護! -- こくつぶやき 2016-06-03 (金) 10:30:50
  • 丸山幹夫様
    「これからもう少し生きられるかもしれない」なんて10年先を行く私ら、なんて言えばいいのでしょう。そりゃぁ「お先に失礼」でしょうね。 -- 岸野みさを 2016-06-03 (金) 11:04:33
  • こくつぶやき様
    ホント 日本中がホッとしましたね。では、サンフランシスコ物語を書きましょう。祝 穀粒3周年と思われましたら、祝文を賜りたいものです。お待ちしております。 -- 岸野みさを 2016-06-03 (金) 11:12:21

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