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2016.03.16 エッセイ「18年前の新聞記事」 投稿者:増井 重治

一つの扉が閉まっても別の扉が開かれる

日記を整理した。1998年4月21日に信濃毎日新聞の切抜きが貼ってある。『木曽郡大桑村の製材業「テラシマ」は自己破産申告した、負債総額は十億円を上回ると見込まれる。
同社はヒノキを専門に扱う製材業者で、従業員三十四人。積極的な設備投資を行ったが、需要の大幅な減少や輸入材も含めた競争激化で経営内容が悪化した。』
この4年前に私はテラシマに就職が内定していた。
長時間痛勤と日曜出勤や残業疲労に別れを告げ、祖父のふるさとに転職を決めた。ところが直後思わぬ交通事故。脳挫傷を含めた損傷に九死に一生を得たものの、住宅ローンの支払いが滞り、泣く泣く新築の家を手放した。一家9人は先の見通しもつかぬまま長野に旅立った。
テラシマは社宅まで準備してくれたが、からだの不具合は一向に快復されず就職は白紙に戻り、失意の中大桑村をあとにした。
それからの激動の人生は割愛するが、ただ扉が一つ閉まると、別の扉が新たに開かれる例えのように現在の商売に出会い独立することができた。苦闘の始まりではあったがキンボール大管長が言及しているように、人生の他の領域にも希望と祝福をもたらす扉が開かれたと思う。
テラシマの社長一家は夜逃げ同然で行方は知れず、従業員全員が途方にくれていた。
4年前すんなりテラシマに就職が決まっていたらどうなっていただろうか?ほかの人は、おそらく気にも留めないような記事を読みながら、「主はあらゆることをご存知であり、私は圧倒されている。心臓がドキドキしている」と書かれた日記を読み返した。

  • 増井重治 様
    振り返ったときに日記は確かな証明になりますね。それにしても試練の後の祝福は長い時間がかかったとしても劇的な変化でしたね。 -- パシリーヌ 2016-03-17 (木) 10:46:22
  • 増井重治様
    このような話を読ませてもらうと、苦難のさ中にある時でも、必ずこの経験が自分が思ってもいない方法で役立つ時がやってくる、と改めて思う事ができました。
    -- 向谷 亮 2016-03-20 (日) 21:03:56

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