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2016.04.10 エッセイ「家族歴史活動」 投稿者:増井 重治

偶然 必然 当然

 約40年前、当時の東京ステークでは長老の職に召される条件に系図探求がありました。父と母、父方と母方の祖父母の名前を調べて提出するのです。あいにく兄が調べ終わっていましたので、わたしはそれ以外の親族を調べました。わたしが家族歴史記録に初めて関わる機会になりました。
ただ動機が動機だけに長老になったとたん系図探求はやめてしまいました。
そして数年経ち、結婚してから妻の模範により再び家族歴史探求を開始しました。ただし継続することは困難でした。家族歴史記録を作成するには時間と粘り強さが求められます。書いてはしばらく休む状況が続きました。当時は横長の紙に手書きでした。あるときパソコン入力に代わりました。この変更が決定的でした。そのときのわたしはパソコンが苦手でした。メールにも興味がありません。インターネットもできません。自然と家族歴史記録作成から遠ざかりましたが、妻は引続き熱心に進めていました。
 家族歴史記録のソフトもいくつか代わるなか、わたしのパソコン操作もいくらか上達していました。仕事で商品の受注、発注、経理などパソコンを使うことが欠かせなくなり、苦手意識もなくなりました。
 安息日を有効に過ごすことがわたしの長年の課題でした。七人の子どもたちが独立して巣立った今、安息日に家族歴史作成をすることで長年の課題はクリアできました。あいかわらず時間と根性は必要ですが、ご先祖様のひとりでも神殿儀式要請できるたびにガッツポーズをしています。
 「生涯力を尽くし、ひとりでもわたしのもとに導くならば、わたしの父の王国で彼とともに受けるあなたがたの喜びはいかに大きいことか。」
 一日中家に引きこもり生活や仕事をしているわたしには、教会員以外の友人をつくる機会がたいへん少ないです。それでも福音や教会を紹介したいと考え、家族歴史記録から親類を探しました。謄本やむかしの横長の記録、兄から受けた資料などを探りましたが該当者は見つかりません。ところが思いかけず、22年前に長野県東筑摩郡四賀村に引っ越したときに書いた記録から生まれてから110年経った親戚6人を発見しました。長野県にいた当時は110年経っていなかったので、そのまま保留にしていたようです。
わたしにとって不思議なこと、あるいは小さな偶然の積み重ねが、定期的に家族歴史記録を作成し、神殿儀式要請をして、神殿参入する証と動機になっています。福音と神権による儀式を通して先祖供養ができることを感謝します。

  • 増井重治さま
    過日、増井一族の写真を拝見しました。既に30名以上ですか?その中心に居られたお二人は正に王であり女王であると思いました。主に対する従順の賜物なのですね。大会で神殿の結び固めの部屋の鏡に死んだ娘の姿が写っていた、というお話がありましたが、増井一族の繁栄にはご先祖さまの応援もあるのですね。 -- 岸野みさを 2016-04-11 (月) 18:13:09

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