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2016.09.19 穀粒記者レポート・「国々の民」投稿者:岸野みさを

 チューク諸島(huut Islands)は、かってトラック諸島(Truk Islands)と呼ばれ
ご存じの方もおられるかと思う。随分前にU兄弟がチュークの教会へ行ったときのことをお話されたので皆さまにご紹介します。

 まず、どのような国なのかウイキペディアより引用しました。

チューク環礁に人類が辿り着いたのは西暦の紀元前だと考えられている。具体的なルーツははっきり解っていないが、現在のところ最も有力な説は、ソロモン諸島やビスマルク諸島方面からアウトリガー・カヌーに乗って北上してきた航海者たちがこの島々に住み着いたというものである。その後スペインの植民地となり、次いでドイツの植民地を経て、第一次世界大戦終結後の国際連盟決議にて大日本帝国の委任統治領となり、南洋庁の支庁が置かれた。武装化は禁止されていたが、1933年の国際連盟脱退、1936年のワシントン軍縮条約失効などにより、加速度的に基地の整備が推進され戦略上の要衝となり、第二次世界大戦の敗戦まで統治継続した。日本の敗戦後はアメリカによる国連信託統治を経て、1986年のミクロネシア連邦独立に至る。

以下はU兄弟のお話です。

ミクロネシア諸島の6つの島の中で一番貧しい2000人くらいが生活しているチュークに行ってきました。教会にはボートで来る人々や、3、4時間かけて歩いてくる人々などで
集会は40分遅れで始まりました。司会の兄弟は靴がないそうで裸足でした。皆さん讃美歌を歌うのにとても大きな声を出して笑顔で歌い、天井が抜けるかと思いました。30℃以上の暑さなのに電力が一定の時間しか供給されないため、私は汗がダラダラ、頭はクラクラでしたが、現地の皆さんはスッキリ、サッパリしていました。証会では自分の問題を訴える人は一人もおらず、キリストが与えられていて自分の贖いが可能になることを、ただ感謝するばかりでした。
 日本の海軍の基地があったので日系の人たちもいました。姓名の内の名が姓名になっている人もいました。三郎という姓の人がいました。

 神殿はフィリッピンのマニラ神殿で、他国まで行かなければなりません。

 ホテルのトイレもシャワーも水が出なくて天井にはヤモリがいました。労働することはなく、外国の援助で生活しているということは驚きでした。食事を用意してもらいましたが、お皿に蟻が入っていて、その蟻をお皿の外に出して、残りの部分を客に出しました。


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