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2016.12.01 穀粒記者レポート・「クリスマスメッセージ2016―主の生誕」投稿者:岸野みさを

ダビデはイスラエル12支族を統一して、その1000年前にアブラハムを通して契約の民に約束された領土を完全に勢力下におきました。
イスラエル国家は全盛期を迎えたのです。イスラエルの勢力がそこまで達したことは、かつてなく、それ以後も二度となかったことを歴史は示しています。
ダビデに次ぐソロモンの栄華も束の間、紀元前740年にはすでにイスラエル王国は北と南に分裂して、南王国ユダを統治していたアハズ王は北王国と同盟したアッシリアに攻め込まれようとしていました。
契約の民が悔い改めるために、主は北王国に預言者アモスとホセアを送り南王国にはイザヤとミカを送りました。預言者イザヤが告げました。「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルととなえられるであろう」(イザヤ9:6)彼はダビデの位に座してとこしえに公平と正義をもって国を治める」(イザヤ9:7)と。
主の降誕を記録したマタイは冒頭でこの予言が成就したことを宣言し、インマヌエルとは「神われらと共にいます」という意味である、と記しています。

イザヤの時代の契約の民の偶像礼拝と不従順ははなはだしく「悪をよんで善といい、善をよんで悪という」(イザヤ5:20)とイザヤに糾弾されました。預言者が何を善として何を悪とするか、明らかになった時は、それにどこまでも従うことにより個人も国家も守られるという原則をないがしろにしたのです。その結果「ああ、アッスリヤはわが怒りの杖、わが憤りのむちだ」(イザヤ10:5)と主はいわれて紀元前721年北王国はアッスリヤに滅ぼされメデイヤの町々に連行されます。そして、その本体は北方に進みやがて歴史から消えて、失われた10支族となりました。(列王下17:6)南王国も紀元前586年にバビロニア帝国に滅ぼされバビロン捕囚が始まりました。
その直前紀元前600年頃、リーハイとその家族はエルサレムを脱出し、大海を隔てた約束の地、アメリカ大陸に導かれました。南王国の王だったゼデキヤの息子たちはミュレクを除いて皆殺しにされ、主はミュレクを約束の地に導き、やがてミュレクの民とニーファイの民はゼラヘムラの地で一つの民となりました。

バビロン捕囚にあってはダニエルやその友人たちシャデラク、メシャク、アベデネゴの高貴な霊は、他国にあっても、その国の重要な地位につき、ペルシャの王妃に選ばれたエステルはユダヤ人絶滅計画から民族を救いました。エステルという名前はペルシャ語で星という意味です。その名にふさわしい女性でした。バビロン捕囚にあっては詩篇137章で「われらはバビロンの川のほとりにすわりシオンを思い出して涙を流した。と始まり要約すると、とりこにした者がシオンの歌を歌えと言うのですが、外国にあってどうしてシオンの歌を歌えようか、もしエルサレムを忘れるならば琴を弾いている右の手が動かなくなってもよいし、エルサレムを最高の喜びとしないならば、わが舌をあごにつけてください」つまりおしになってもよい、と悲しみました。
バビロン捕囚70年後(エレ24:11)ペルシャ王クロスによって解放されたユダヤ人は荒れ果てた祖国に戻りエルサレムの城壁を修復し神殿を再建します。預言者ハガイは告げました。「万軍の主はこう言われる。今一度、私は天と地と海とかわいた地とを震う。万国民を震う。私は栄光をこの家に満たす」(ハガイ2:6-7)と。

こうして救い主の降誕はアダムの時代から聖なる預言者たちの口を通して繰り返し宣言されてきました。そしてついにイザヤの予言から700年後、紀元前1年4月6日に救い主はベツレヘムでお生まれになりました。あわてたヘロデ王が祭司や律法学者を集めてキリストはどこで生まれるのか?と追及したところ、「ユダヤのベツレヘムです」(ミカ5:2)と彼らはミカの予言でその場所を特定していました。
ベツレヘムはダビデが生まれ王として油を注がれた場所です(サ上16:4-13)ヘロデはベツレヘムとその周辺の2才以下の男の子を殺せと命令しました。
そのことをヨセフは夢で告げられマリヤと幼子を連れて急いでエジプトに逃がれました。
バプテスマのヨハネの父ザカリヤは妻と息子を山に逃しその居所について決して口を割らなかったために、神殿の入り口と祭壇の間で殺害されました。彼はキリストの時代の最初の殉教者となったのです。

イザヤは主のみ名をダビデの子と呼び「ダビデの家の鍵を彼の肩に置く。彼が開けば閉じる者なく、彼が閉じれば開く者はない」(イザヤ22:22)とメシヤの有する絶対的な権威と権能を宣言しています。

当時のユダヤ人はローマの支配から救い出してくれるメシヤを待ち望んでいました。しかし彼らはキリストを十字架に架け、2000年以上経った今も尚メシヤを待ち続けているのです。キリストが再降臨したとき「両手と両足の傷は何ですか?」と質問され「私の友の家で受けた傷である」(D&C51-52)と証言するその日までそれが続くのです。

キリストはアダムの時代から今日まですべての人類の犯す罪の代価を支払って下さいました。ご自身を「最大にして最後の犠牲」(アル34:10)として捧げられました。

私達は予言と啓示がすでに成就していることに関しては信仰を必要としていませんが現在も啓示を受けているこの教会に属し、この時代に成就する啓示の目撃者となれると共に、これから先の「まだ見ていない真実のことを待ち望む信仰」(ヘブ11:1アル32:21、エテ12:6)を養い育てていきます。

キリストの降誕とその教えと生涯、そして贖罪は私達が受けている最も偉大な贈り物であり、イエスはキリストであることを証します。
(2013.6.24 投稿「ユダヤ人と歴史の中のイエス・キリスト」より抜粋)


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