16120501岸野みさを
2016.12.05 穀粒記者レポート・「証の力(3)」投稿者:岸野みさを
(12月4日 高尾ワードの皆さんの証をまとめました)
今月は私と妻のバプテスマ記念日があります。―岡本忠司ビショップ
私のバプテスマは12月17日で妻が25日です。当時、クリスマスの時期には沢山のバプテスマがありました。クリスマスが近づくと二人でキリストの降誕を祝い、バプテスマの祝福について話し合います。
私の両親は自分たちの信仰を持っていました。毎朝、仏壇の前に座って祈る母の姿を見て育った私は目に見えない大切なものがあることを学びました。
バプテスマを受けてもうすぐ23年になります。21歳の大学生の時、これから何をしようかと思っていた時に宣教師に会いました。神は生きていて、人に賜物を与えてくれて、導いてくれます。ジョセフ・スミスが祈ることをしなかったならば何も起こらなかったと思います。祈ることと聖典を学ぶことが大切です。預言者が与えられ、神殿が与えられています。子どもの頃、親に連れられて近くの神社に初詣に行きましたが1月9日は神殿に初詣したいと思います。
家族歴史を通して御霊を受けられます。―M兄弟
今年は教義と誓約を研究しました。ジョセフ・スミスが預言者であることを再確認しました。イエス・キリストの降誕に感謝します。教会堂の入口にはクリスマスツリーが飾ってありますが、私はファミリーツリーのピンを胸に飾りました。謄本を集めるだけ集めても尚、先祖は多くいます。家族歴史を通して会員たちと交わりを持つときに御霊を受けられます。青少年が身代わりの儀式を受けてくれるので感謝します。
エステルが印象に残りました。―A姉妹
先週でセミナリーが終わりました。今年は旧約聖書でした。私はエステルが一番印象に残りました。王妃となっても高慢にならず命がけでユダヤ人を救いました。彼女は心から
主を信頼していたのでそれができたのだと思います。箴言3:5-6に
「心をつくして主を信頼せよ、
自分の知識に頼ってはならない。
すべての道で主を認めよ、
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」
とあります。セミナリーには預言者が言うように、「人生を変える力がある」ことを証します。教師の向谷鈴子姉妹や、朝起こしてくれる親に感謝します。
福音を継続して学ぶこと。―R兄弟
4年間のセミナリーが終わりました。福音を継続して学ぶことをやり遂げたと思います。
今年は旧約聖書でしたが、ダニエルとシャデラク、メシャク、アベデネゴのように火の中に投げ込まれても信仰を失わないで、示せる人になりたいと思いました。教師や両親に感謝しています。
神の思いは自分の思いよりも高い。―N兄弟
仕事の出向で三重県に行かなくてはならなくなりました。気が重いのですがイザヤ55:8-9に
「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、
わが道は、あなたがたの道とは異なっていると
主は言われる。
天が地よりも高いように、
わが道は、あなたがたの道よりも高く、
わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」
とあります。また、先ほどの姉妹の読まれた箴言3:5-6も身に沁みます。
改宗して5か月が経ちました。―萩原淳兄弟
生活が変わりました。セミナリーには始発に乗っても間に合わないため、みんながセミナリーに行く時間の5時半ごろに家で課題を行なっています。
先日、母が夜ごはんにカレーを作ってくれました。
「隠し味にコーヒーを入れてみたわ」と言いました。「!」食べないのは母に申し訳ないので白米だけを食べました。家族の改宗ではないので色々ありますが、僕は家族の時間を大切にします。セミナリーでアルマ35:3 について学びました。
「さて、ゾーラム人の中で多数派を占める者たちは、ゾーラム人に宣べ伝えられた御言葉について協議した後、御言葉のために自分たちの慣行が崩れたことに腹を立て、宣べ伝えられた御言葉に聞き従わないことにした」
主は学ぶことを望んでおられます。また、教会を霊的に支えているのは会員一人一人の霊性であることを証します。
影響力について。―A宣教師
友達や会員に会って元気な態度で接すれば御霊を受けることが出来ます。聖典を学ぶと御霊を招くことができてモルモン9:21にあるように
「見よ、あなたがたに言うが、何も疑わないでキリストを信じる者には、キリストの名によって御父に求めるものは何でも与えられるであろう。この約束はすべての人に、すなわち地の果てまで及ぶものである」
この約束はすべての人に及びます。疑わないでキリストに祈れば神の愛を感じ幸せを感じることができます。
ダニエルが好きになりました。―S姉妹
それまで聖書を自分で開くことはありませんでした。セミナリーで学び始めて「意外といいこと書いてあるじゃん」と思い、特にダニエルが好きになりました。尊敬しました。ダニエルのようになりたいです。朝早いので不満もありましたが教師や皆が支えてくれました。
セミナリーの教師に召されて。―向谷鈴子姉妹
セミナリーの教師に召されたとき、教師会で今までの教師たちが「この責任に感謝しています。楽しかったです」と言うのを聞いて、その都度気持ちが落ち込みました。でも、責任を果たしているうちに徐々に変わっていきました。そこに主の助けがあり、子ども達から学んだからです。ヨナが悔い改めを叫んだニネベの町は100年後に再び悪くなったことが、たった4ページのナホム書に記されています。Sちゃんが「続けることが大事なんだね」と言いました。
例えどんなに悔い改めをしたとしてもそれを継続しなければ意味がありません。ヨシュア24:15を読みます。
「もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなた方の住む地のアモリ人の神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」
ヒンクレー大管長は福音によって楽観的になりました。―J兄弟
2016年はいいことよりも大変なことが多かったように思います。主は私たち一人一人を見ておられ、導いて下さることを証します。
主が私たちを地上に送られた時、地上で学ぶための必要な環境をお与えになりました。
来年度の「歴代大管長の教え」はゴードン・B・ヒンクレーを学習します。ヒンクレー大管長は生まれ持った性格ではなく、福音によって楽観的になったということをリアホナで学びました。