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2016.12.18 自分史・家族史「子育ての中に主の御手(2)」 投稿者:わすれなぐさ

 長男の淳人がちょうど会話ができるようになった3歳くらいの頃にある経験をしました。日曜日の夕方に、教会の映画を見ていたとき、イエス・キリストがゲッセマネの園で苦しんでいるシーンを見ました。その時に、淳人が急に涙を流し始めました。理由を聞くと、「悲しい」と言いました。今思えば、なぜ自分が悲しんでいたのか分からなかったのかもしれません。涙を流し、悲しむ淳人にイエス・キリストの贖いについて話しました。言葉を全て理解はしていなかったかもしれませんが、その時、淳人が確かに御霊を感じていることが分かりました。
 その経験が今の淳人の御霊を認識する力を助けているように感じます。
自ら聖典を開き、個人の聖典研究をしてみたり、教会で奉仕したいと言ったり、外で遊んでいるときに進んで教会のことを大人に話したり。まだ明確に理解はしていないかもしれませんが、御霊を通して感じることを選ぶことをしているのだと思います。
そして彼は今少しづつ、自分の証を増し加えています。
 御霊を感じることは、とても大きな奇跡です。神様の存在を知り、主を知ることができるからです。息子を通してその大きな奇跡に気付くことができ、また、自分たちもその大きな奇跡を受けていることに気付きました。
 救い主がこの地上を去る時に与えられたこの御霊というプレゼントは、神様と救い主が確かに生きている証拠であり、奇跡です。そして、私たちが心を主に向けるという単純な条件で、その結果を得ることができます。確かに神様とイエス・キリストが生きていて、私たちを知っていて下さること、そして、その限りない愛で私たちを包み込んで下さっていると、証します。イエス・キリストの御名によって、アーメン。

  • わすれなぐさ様
    あなたのような母親に、主はご自分の霊の子供たちを預けることで安心されるのではないでしょうか?敦人君は(4歳)昨日のバプテスマ会ではアロン神権者がフォントに水を張っている状態を裏側のトイレ側に見に行ったり、水の中に沈められるのを見たくて最前列でも立ち上がったり、それってもうアロン神権者では?と感心しました。 -- パシリーヌ 2016-12-19 (月) 09:53:24

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