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2017.10.15 エッセイ「年経(ふ)れば」 投稿者:岸野みさを
 
集会所喫茶
地域の集会所の利用を有効活用しようということで立ち上げた集会所喫茶。ボランティアで月2回参加している40代の主婦の話を聞いた。コーヒー屋さんが講習会を開いて豆から挽いて作るコーヒーを教えてくれた。100円払えばコーヒー、紅茶、麦茶が何杯でもお代わり自由。コーヒーは浄水が良く、紅茶は水道水が向いているそうだ。それで集会所のキッチンには浄水器が取り付けられた。食べ物持ち込みや将棋、碁なども可能で大盛況だという。

 午前の部は10時から13時で午後は13時から16時。午前中だけでも15人くらいは集まっておばあちゃんたちはおしゃべりを、おじいちゃんたちは将棋をやったりして楽しんでいる。お昼になると弁当持参の人たちやお寿司をとっているグループもある。

 認知症の発症を研究している団体は同じような生活環境の人でなければ統計を取るのに適さないということで、生活リズムが同じ修道女たちを対象としたそうだ。また彼女たちは死しても人の役に立とうとして信仰による献体を登録している。研究の結果、たとえ脳の委縮が見られてもアルツハイマーの発症には至っていないそうだ。福音を人に伝える為に人と接触して、よく話をするからだと結論づけられたという。

 集会所喫茶は地域の人々の交流の場であり、かつ認知症予防に役立っていることになる。

お役立ちシルバー
中学校の技術の先生が園芸好きで校庭に花壇を作った。地域のお年寄りに声がかけられて親戚の祖父がせっせと参加している。中学校は筆者の家の裏でうちの前の道路を通って行く。それでうちの庭には彼が持ってきて、置いていった鉢植えの花たちが咲き誇っている。今は黄色のマリーゴールド、千日紅(センニチコウ)が通行人の目を引く。

シルバー・ポリスの登下校の見守りもお年寄りの大事な地域の役割となっている。

弱者にやさしいとは
 東京神殿には車椅子や足の不自由な人のための広い更衣室があることは知っていたが、普通の狭い更衣室しか使っていなかった筆者に、あるとき奉仕している女性が「こちらをどうぞ」と示した更衣室がそれであった。「いいんですか?」「どうぞ、どうぞ」と言って杖を持っている絵を示したのである。私は杖をついていないのだが、変形性膝関節症と診断されて3年目を迎える。歩行がスムーズにいかず、長時間立っていられない。広い更衣室で座った状態で着替えて外に出ると車椅子の50代くらいの女性が入って来て、入口に近い別の広い更衣室に入った。そして「あっ、届かない」と言う声が聞こえたので、振り返って見ると車椅子に座ったままではロッカーの鍵に手が届かないのだ。立てないのだろう。「今担当の者が来ますから」と通りかかった奉仕者が言った。「鍵穴の位置を下げて取り付けたらどうだろうか、そうか、中のハンガーなども位置が高くて手に取ることが出来ない」。足が不自由になってから分かったことはできるだけ人の手を借りずに自分のことは自分でやりたいという自尊自律の気持ちだった。

 私の知り合いなどは「子供の世話にはならない」と言って、買い物の袋も持たせず、車で送っても「ここでいいから」と言って自宅の近くで降ろさせるそうだ。どうせ通って行く道だからと娘が言っても「降りる」と騒ぐらしい。「後ろから車が来ているのでここでは止まれない」と言って、ようやく了承となるらしい。筆者はそこまでは…。

 かと、思うと主人は腰が悪いのでエレベーターで神殿の3階まで行ったのはいいが列の最後尾のグループに入ってしまい、部屋も最後尾へ着席して、帳を通るときも最後尾で次のセッションに入るのに時間の余裕がなかった。目に見えて腰の悪いことが判明できるのだが先に帳に行くようには指示されることはなかった。そんなわけで、それ以降、主人は足の悪い筆者の肩に手を置いて廊下を歩き、階段は手すりにつかまって登り、エンダウメントの部屋の前の方に着席できるようにしたのである。

人生色々
 随分前の事だが箱根の温泉宿で露天風呂に行くと一人の女性が湯船の向こうの方に入っているのが見えた。50代くらいだろうか。「いい湯だな♪」などと浮かれて入った筆者だった。茜色に染まる夕暮れの富士山はひと際雄大だ。何気なく女性の方を見ると湯船から出て岩に座り、何かジーッと思い詰めている様子が目に留まった。何回か湯船に入っては出て、出ては入るを繰り返している。長湯が出来ない筆者はその女性の事を気にかけながらも先に露天風呂を後にした。
 夕食時ホールで隣のテーブルにその女性がいた。父親くらい年令が離れているように見える男性と同伴だった。女性が何かしゃべると聞こえないのか大きな声で「ええっ?」とダミ声で何回か聞き返すので周りの人たちがチラと一瞥する。女性は恥ずかしそうにして少し声を大きくするとまた「ええっ?」。世の中にこんなことってあるんだと思った。

Keep on going
 「前進また前進」の教えを遺して日野原重明医学博士(105歳)は7月18日この世を去った。その少し前の取材番組を観た。「Keep on going」だけでなく貴重な教えを述べていた。「人は病むことによって本当の人間性を現してくる。どんな苦しみの中でも生きることの歓びは満ちています。自分も今おろおろしていますが、そうした新しい自分を発見しました。次はどんな世界が待っているのだろうと思います」。
死の数か月前まで患者を診て励ましていた博士の業績の一番は1954年に民間病院では初めての年一度健康診断を行う人間ドックを開設したことだ。これが日本の長寿に大きく貢献したと言われている。成人病を「生活習慣病」と言い換えるよう提案し、予防医療や終末期医療の普及に尽くした。博士の名言を二つ読者の皆様にご紹介して、「ありがとうございました。ご苦労様でした」と日野原博士に哀悼の意を捧げます。

「自分のためにでなく、
人のために生きようとするとき、
その人は、もはや孤独ではない」

「人間の体には3万6000もの遺伝子がある。
その多くが使われないままなんです。
それはあまりにもったいない。

違った環境に身を置けば、
うちに秘めた未開発の良き遺伝子が、
思わぬ花を咲かせるかもしれない」


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