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2018.01.27 エッセイ「年経(ふ)れば(3)」 投稿者:岸野みさを

どなたですか?
 ある男性が「あの人認知症になったんじゃないか?僕のことどなたですか?と聞くから、名前を告げても、知らない、と言ったんだよ」きつねに包まれたような話だった。二人共何十年の付き合いの間柄であることは周りの誰もが知っている。不思議に思ってつらつら考えてみるに、知らないと言われた人は、言わば厄介な人物だった。無心をしたり、職を転々としたり…、家庭を投げ出したり。「知らない」は自己防衛の一つなのかと思えば思えなくもないが…。

生きていてよかったですね
 盲腸で入院した女性の患者が手術をしたくない一心で「散らす」ことを選び副院長もそちらを勧めた。若い医師たちは「手術した方がいいですよ」と言う。副院長の方を信じた患者はすぐ手術すれば4日の入院で済むところを、結局35日入院するはめになった。散らしたはずの盲腸が回りに悪さをして腹膜炎となり、結局手術したのだった。これって診断ミス?その後、彼女がある人から聞かされた話では、以前同じような状態で死亡したケースがあったという。そして「あなたは生きていてよかったですね」と付け加えたそうだ。

顔さえ見ればおかげんいかがですか?
 体調不良の年配者にさらに年配の女性が、顔さえ見れば「おかげんいかがですか?」と質問してくるので、煩わしく感じていた体調不良者は自然と避けるようになった。すると質問者は近所の人たちに「人間関係って難しいですね」と言ったそうだ。自分は人を気付かって親切なことをしているのに、ということらしい。昔「小さな親切大きなお世話」という流行語が流行った。相手の気持ちが分からない人は何もしないでよろしい、ということになろうか?

体調は快調
 久しぶりに出会った昔の友人は珍しく太ったようだ。長い間変わりのなかった容姿に感心していたのだが、そうそう加齢も見逃してはくれないのだろう。「でも、体調は快調」だそうだ。そう思えることが一番の快調だろうと思う。どこもさして悪くないのに、不調を訴える半病人が多い世の中「呵呵大笑」で行こう。えっ?はい。「ひどく笑うことは罪である」(D&C59:15)「あなたがたの無益な思いと過度の笑いを遠くに捨ててしまいなさい」(D&C88:69)「あなたがたのすべての軽々しい話、すべての高笑い……をやめなさい」(D&C88:121)と戒められているのを知ってはいるが……。

終活
 ほとんどの地域の法律で禁じられている土葬を在日イスラム教徒が行い、地域住民と軋轢を起こした。お役所は右往左往したらしい。信教の自由か法律か?ということらしい。「法律を守り、尊び、支うべきことを信じる」我らが神の教えは完結明瞭である。

 2011年の東日本大震災では斎場が被災して、火葬が間に合わず、建設業者がトラックで遺体を運び自衛隊員が仮の土葬(数年後に火葬を前提としたもの)を担当した模様だ。

 日本の歴史では江戸時代までは土葬が主流で、戦後土地不足や公衆衛生上の観点から火葬に変更になり、現在99.93%が火葬だという。天皇、皇族に関しては基本的には土葬であり、陵(墓)が築かれ埋葬される。しかし、2013年11月14日、宮内庁は江戸時代から続いてきた「土葬」での埋葬を見直し、400年ぶりに「火葬」にすることを決めたと発表した。歴史的な転換の背景には、両陛下の国民生活や環境への負担軽減の思いがあったという。

 筆者の事務所のすぐそばに八王子88景に選ばれているテニスコート16面ほどの面積の武蔵陵墓地、天皇家の墓がある。昭和天皇の陵が造営される前は全体を多摩御陵と称され、今も通称として使われている。大正天皇は多摩御陵に、貞明皇后は多摩東御陵に眠っている。武蔵野御陵には昭和天皇、武蔵野東御陵には香淳皇后が眠っている。4陵とも形状は上円下方墳である。

 甲州街道からの外参道には高さが20mもするケヤキが160本植えられていてアーチを作っている。敷地内に入ると広い参道に敷き詰めてある玉砂利をザクッ、ザクッと踏みしめて、聳えている荘厳な北山杉の森を見上げ、静寂な世界の持つ神聖さを感じながら奥へ奥へと進んで行くと広場に出る。鳥居が見えてその向こうに上円下方墳が見えてくる。

 知り合いで火葬が嫌な人がいた。焼かれるのが嫌なのだそうだ。嫌だといっても遺体は脱ぎ捨てられた衣服のようなものだから、そこに霊はいないのだから、といくら言っても嫌なものは嫌なんだそうだ。山梨県に「土葬の会」があるので問い合わせてみては如何?

それは訓練だった?
 40年ほど前のことだが、ある年頃の女性に、とある年頃の男性を紹介した。面会が終わるとその女性はプンプンしていた。禿げた男性なんか紹介されて、ということだったらしい。禿げているというほど禿げてはいないと思ったのだが…。「それは申し訳ございませんでした」と謝った。何年かが経過して結婚した旨の手紙が届いた。写真も入っていたが見ると、「あっ!」なんと新郎は禿げているではないか。あのときに訓練されたのだろうか?少しは役にたったのだろうか?と思いホッとした。


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