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2018.03.01 自分史・家族史「母の改宗に思うこと」 投稿者:草

実家にいる母が初めて教会に足を運んでから30数年。とうとうバプテスマの日を迎えた。何がきっかけ?と皆に聞かれるのだが、これという一つの理由はない。時が満ちたという言葉が一番相応しいように思う。

バプテスマに至るまで数え切れない程多くの方々が母に親切にして下さった。伝道会長が御霊に導かれ、同年代の夫婦宣教師の方々を母のいる場所に送って下さったことも、大きな影響だった。閉ざされた母の心が開かれ、改宗へと備えられていった。彼らの愛をはじめ教会員の方々の思い遣りなくしては、母はキリストの愛を肌で感じることはできなかっただろう。電話で共に祈るようになった。そして毎週のように奇跡を分かち合ってくれた。そうした奇跡を通して母は自分が日々何かしら大きな力に導かれているのがわかって来たのだと思う。

バプテスマを受けた後、母がこんな話をしてくれた。バプテスマを受けようかとまだ決心が付かぬまま聖餐会に赴いたある日のこと。その日はかなり早めに礼拝堂に向かったら、殆ど人がいなかった。静かでがらりとした空間には整然と並んだ椅子の列。その間に立っていると、ある一人のプライマリーの男の子と目が合った。「おはよう」と母は明るく声をかけた。その子は挨拶もせずにくるりと向こうを向いて行ってしまった。「あら」と意外な反応に驚く間もなく、あちらの端に行ったその男の子は振り返って戻ってきた。彼の手に余る程大きな緑色の賛美歌を一冊かかえて。男の子は小さな両手で無言でそれを母に差し出した。母は彼の背の丈までかがんで、「どうもありがとう」と返事をした。これが母には一生忘れられない経験になった。たった一人の男の子の無言の親切。この瞬間母は「まるで神様が私にどうぞバプテスマをお受けなさい」と誘って下さったかのように感じたそうだ。この日彼女はバプテスマを受ける決心を固めた。他の誰にもわからない、母だけに与えられた導き。元来御霊とはそういうものだと思う。自分だけにわかる方法で自分だけに語りかけられる言葉。他の人にうまく説明しようとしても、もどかしいほど。個人の啓示が与えられているということは、何て素晴らしいことだろう。人を改宗に導くのは人の力ではなく、御霊の力だ、と感じる出来事だった。

改めて悟ったことがある。伝道というのは決して大袈裟なことではない。伝道の業に携わる本人にその影響や成果が必ずしもわかるものでもない。心の変化は多くの場合人知れず、当人の心の中だけに起こっている。イエス様のようになりたい(子供の賛美歌40)、という真摯な願いをもって、私たちが自分のできる良い行いを精一杯する時に、いつの間にか主の御手につかわれる器となることができる。この小さなプライマリーの男の子のように。

  • 「心の変化は多くの場合人知れず、当人の心の中だけに起こっている」という証をお聞きして大変励まされました。ご投稿ありがとうございました。 -- 岸野みさを 2018-03-02 (金) 10:21:53

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