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19081101高木 冨五郎

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2019.08.11 自分史・家族史「8.15前夜」 投稿者:高木 冨五郎

我が生涯  冷夢庵
我が生涯表紙ー7

はじめに      編著者 加藤芳弘

明治に生まれた高木翁の自叙伝を令和に拡大復刻致しました。娘の柳田聴子姉妹が私に複写を撮らせてくれた資料は翁二才から骨壷までの写真及び柳田家に厳重管理された日本外交協會二・二・六報告書(昭和十一年当時高木翁は日本外交協會理事)等貴重な資料を 翁の自叙伝に加える構想に夢を抱き是非にと云ったものの、時は過ぎ行き出版機会を逸してしまった。後に百才の誕生日にでもとの思いもあったが99才白寿で逝去され、御器所で日阪忍兄弟が纏めて下さった『柳田聴子姉妹に感謝する会』に於て私は教会関連写真を展示したのだが、その内に高木翁の写真も含まれており、この資料をこのまま眠らせるのは無責任極まりないので、亦、依頼者の柳田藤吉聴子夫妻に御世話になった者として無礼の極みとなるので此処に高木翁の書籍の追加版を制作致しました。征史様、喬夫様の御二人をはじめ関係者の皆様に御眼を通して戴ければ幸甚の極みであります。尚、時代背景を表す為に、別資料としてポツダム宣言受諾国書及び筆者に依る拙文を追加させています事を此処に記します。

8.15前夜  

1945 北京侯位胡同の社宅にて 昭和20年8月

ラジオのスイッチをいつものように重慶放送を傍受したら“日本軍は昨日ついに連合国に対して全面的無条件降伏を申し出ました“ と例によってあざやかな日本語で叫んでいた。
わめく小児の口を抑えるようにあわててスイッチを切ってあたりを見廻した。1945年8月11日夕刻7時30分北京侯位胡同の誰も居ない私の社宅で夕食を認めた後の出来ごとである。14日21時重大発表が有ると北支軍報道部から連絡があった。“その時はついに来た〃と悲壮なそして泣き嗤いに似た複雑な感情に胸一ぱいであった私達徳光社長、森下営業局長と私の三名は21時重大発表時までの2時間ばかりの余暇を最後の晩餐会を催そうというので一楽に席を設けた。ところが重大発表は明15日正午と変更された旨を新聞社から連絡をうけ事情は何であれ非常に力落ちして宴席を続けることも張り合い抜けの形となり,せっかくの晩餐会は結末に至らずして散会してしまった。

8月15日正午「天皇陛下の御放送がある」というので各所ではラジオを取り付け北京在住7万人の日本人達は随所に集まってこの放送を聞いたことである。「米英ソ中四国のポツダム共同宣言を無条件で受諾する」というにあって確かに”日本敗れたり“の宣言文であった。

北支軍は軍隊と居留民引揚げに全責任を持つべかりしを大本営の動揺が反映して直ちに打つべき手を知らない。参謀長も副参謀長も「居留民引き揚げには万全を期する」と口では力み返っているが、事実は重慶政府からの指示があるまではどうすることも出来ず、しかも中共の八路軍が北京周辺まで攻め込んで来ていたのでこれを防衛するためにも日本軍の武装は解除されない。「日本軍は武装のまま京津地区の防衛に当るべし」との命令を重慶から受けていたのである。しかし武装していた日本軍ではあるが武器を活用して大いに其の責を果たすには余りに無力で中国民衆でさえ馬鹿にし切っている有様だから居留民にとっては心細い限りのものである。
高木富五郎写真ー3
大使館はというと之はまた公使が軍人で大東亜大臣の区処をうけてはいるがやはり大本営直系の存在だから居留民措置は頗る緩慢だし、それに本国からの送金の途が途絶したので館員の俸給も払えず其の金繰りに狂奔している状態で急には頼りにならない。総領事館は、元来は外務大臣の系統だし、つまりは村長格の“総領事”は軍や大使館のように大本営の命令を俟つというような悠長はゆるされない。また居留民側も直接総領事を相手に善後策を急速に進めなければならぬから此処だけは若干軌道をつくって事の進捗を図るの余儀なきにあった。

そんな次第だから居留民各個人の不安動揺は凄じい。それに拍車をかけるもう一つの原因は敗戦と同時に変貌した一部中国人の対日態度の暴襲であった。それは日本軍閥の弾圧下に隠忍していた一部中国人は敗戦と同時に仮面をかなぐり捨てて日本人の前に君臨したことである。昨日まで居留民の商店に雇傭人として真面目に働いていた男が翌日は重慶政府の陸軍少佐の軍服を着けて其の商店へ現れた。こういう男は非常に親切で旧主人たる居留民が恐縮するほど帰国までの生活方法について心配してくれた。

だが理不尽に圧迫されていた一部中国人は日本敗戦と同時に憤懣が爆発して日本人の家を強襲して即時家屋明渡を要求したり、或は街の不良を利用したり、中国軍人を看板に居留民の住宅に闖入して器物の強要や金銭の強奪までも敢てし居留民側がこれに肯じなければ暴力に訴えるという事件が随所に惹起した。この不穏な状況に便乗して街々では夜と言わず昼と言わずホールドアップが出没して居留民の誰彼が怪我をさせられたり、金品を強奪された事件が頻発した。北京の街は暗黒街の形相を示し、居留民たちは家の中にとじ龍もっていても街路を通行しても不安なしには一日も過ごされない状態となつた。

  • 主によって備えられた加藤氏の粉骨砕身の働きによって、激動の明治、大正、昭和を生き抜いた高木冨五郎翁の生涯の復刻版がこうして目の前にあることに驚き、こうして穀粒にご登場頂いたことに大きな喜びと光栄を感じております。日本教会歴史の戦前編4冊と戦後編11冊合計15冊の完成をなされたことは正に神業であると思いました。加藤氏の他の著書「信仰篤き末日聖徒の女性」第20章60:25-27には次のように記されています。「筆者の
    私的思考であるが教会歴史とは今現在現世にいる私たちから、現在まだ天父の御許におり
    将来生まれてくる霊への贈物だと思って居ります。ですから今現在現世にいる私たちの間で、信仰の真髄を伝え、後世に残す事は大切な事と考えております」大切な贈物ありがとうございました。 -- 岸野みさを 2019-08-13 (火) 22:07:03

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