19081201高木 冨五郎
2019.08.12 自分史・家族史「居留民集結開始さる」 投稿者:高木 冨五郎
我が生涯 冷夢庵
1945年 北京 西苑集結所にて 昭和20年12月17日
集結開始さる 十月十日、双十節に「日本受降式」なるものが城内の大廟で施行され我が方から日本軍司令部と大使館高官が参列して中国側に恭順の礼をとったが、市中の不穏は依然として劣らなかった、かかる不穏な情勢下に居留民七万人の内二区在住者二万人は西へ、内一区のもの一万二千人は西苑へそれぞれ集結して帰国準備するよう命令が発せられた。西郊集結事務は西郊区長が担当したが西苑集結事務の引き受け手がないので独身生活で身軽な私はそれを引受けざるを得ない破目に陥ったのである。
二十四日には西田瞬一(日僑自治会長)と同道して北京市政府に熊希齢市長を訪ねて、集結後の帰国手配について交渉したが熊市長と楊秘書長は理解ある好意を示して万全を期する旨表示していた。さて一万二千人の大部隊を一挙に北京から西苑へ移動するということは容易ならぬ大事業である。そこで第一に集結希望者を募集したら数日ならずして予定人員に達した。次にこの大部隊を如何にして移動するかが大問題で其のためには必要なことは(1)集結部隊を本国まで誘導するためのスタッフを組織すること(2)居留民の生活に適すよう西苑兵舎の設営をすること(3)北京から西苑に移動する当日の輸送部隊の自動車分配を精密に案画することなどであるが、此のうちに集結部隊のスタッフは私から次のようにそれぞれ委嘱して承諾を得た。
◇ 北京日僑自治会西苑分会( 西苑集結所)ヽ
分 会 長 高木冨五郎
総務班長 坂田彦夫(正金副支配人)
同 代理 佐久間誠治(三井運輸課長)
同 代理 黒住征士 (朝日・支局長)
帰国室主任 原 信四郎(華北懇業課長)
同 笹尾克己 (東亜・整理部長)
警務班長 佐野宗男 (外務省警視)
同 代理 石島 弘 (同 警部)
渉外班長 高雄辰馬 (同盟・通信部長)
医療班長 及川国雄 (医博、前平壌医学校長)
同 代理 塩沢七晟 (医博)
物資班長 鈴木 真 (北京青果組合長)
同 代理 寺島貫一郎(三井収買課長)
厚生班長 波多 尚 (華北新報副社長)
救性班長 相原仙史 (軍人援護会理事)
営繕班長 大浦勝太郎(大林組参与)
電気班長 田中久次郎(北支電業社長)
△各班長は総て“幹事”と呼称す
集団生活はあくまで自治でなければならない、殊に「日本に帰国する」ことを唯一の念願としている一万二千人のためには分会の任務は「帰国事務」に専念することだけであった軍司令部も大使館も総領事館も其の機能を停滞していた際だから、民間人の組織たる自治組織のために献身的努力をしていた人たちは勿論全くの無報酬でひたすら帰国の日を待つ同胞の希望を満たす喜びを分担してやっていたのである。”いつ帰国できるだろう”というのが生活できる余地があるからとの不安はあったが矢張りどんなみじめな風貌に変わっても祖国に帰りたいのは一同の願望であった。
文 柳田聴子姉妹より高木冨五郎著「我が生涯」よりの引用許諾を得、記載致しました。寫厦 高木冨五郎翁のアルバム(現柳田聴子姉妹所有)より転載致しました。
- 12000人の大編成の指揮を取られた高木翁は普通の人ではなかった、編著者の加藤氏の
言う「正にモーセのような人物」だったと私も思いました。 -- 岸野みさを 2019-08-13 (火) 22:11:40