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2019.09.22 自分史・家族史「ハワイ神殿団体参入で高木冨五郎を迎える佐籐龍猪」 投稿者:高木 冨五郎

我が生涯 冷夢庵(17)

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1965(昭和40)年7月22日

末日聖徒の歴史に残るハワイ神殿への団体参入。
この団体を受け入れる為に帳(とばり)の言葉をはじめ、各儀式の言葉を邦訳する必要があった。
この大役の為、佐藤龍猪は1965年初より、数か月ハワイ神殿に龍り四月までに翻訳を完了。龍猪の格調の高い翻訳は、聞く者の心を洗い、心を世俗から解放し、主の御傍( みそば)に誘う(いざなう)鉄の棒であったと現在でも言われ且語り継がれている(現在では此の言葉は使われなくなってしまったが、当時を知る多くの方は、今でも神殿に於て、当時の言葉を思い起こし己を律する機会があるという方もおいでです。)多くの参入者は此のハワイ神殿が最初の神殿であった為、人生最初のセッションから母国語でその意味を心に刻む事が出来たわけである。神殿内の儀式は家庭と家族に直結する為、此の訪問の後日本に帰ってから、急に仲の良くなった夫婦もいたと云う。此のハワイへの団体参入が検討される前、日本よりソルトレークヘの団体参入が出来るか討議されたが、人数、経費、時間、等諸問題を考慮したときソルトレークよりもハワイの方が多くの負担が少なく、より多くの訪問が実行されると判断され、決定したのである。参加者全員が、けっして裕福ではなかった時代と云うより、ほとんどが初の海外でその為の資金集めに奔走した時代であった。此のハワイ神殿訪問の経験は、数多の参加者一人、一人の心に「神の奥義」に接した経験としてその心に深く刻まれました。
時代は下り2007 年9 月10 日、ハワイ団体参入経験者の手により「日出づる国と共に」が発刊され、当時の参加者の証詞と、一行を迎えたハワイの関係者の労苦への感謝を掲載。当時を知らない世代にも此の本を読み洛涙せし会員も多い、この書籍は各支部に配布されているので、あらためて、各監督、支部長が、会員に読む機会を与えて下さる様、願う今日この頃である。

文 加藤芳弘 記

写真 高木冨五郎氏のアルバム(現柳田聴子氏所有)より転写


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