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19093003加藤 芳弘

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2019.09.30 評論・研究論文「高木冨五郎・柳田聰子が過ごした時代の記録 其の壱」投稿者:加藤 芳弘

出典 信仰篤き末日聖徒の女性 柳田聰子

孫文先生と私 高木冨五郎 著 昭和三〇・四・三「大亜細亜復興」 誌 掲載

(2019.08.31 「孫文先生と私」 高木 冨五郎 著 掲載済みにつきそちらをご覧下さい)

72-23 この当時、孫文はロシア革命に憧れを懐いており、ロシアとの繋がりを強固にしており此のこと
72-24 を日本政府は嫌い、孫文を東京に入れなかった、それまで孫文を養護し、良き理解
72-25 者であった犬養毅も政府の一員として表立って彼を支援できない状況であった。亦孫文の
72-26 大亜細亜主義は、中国大陸に派兵している関東軍の忌むところであった為、神戸で一般大
72-27 衆に訴えた集会となっており、記録によれば三千名の聴衆の前で一時間半に及ぶ大演説会
72-28 となった。これは大陸へ進駐している軍部へ民衆の力で圧力を掛けようと考えたものであ
72-29 つたが、歴史は逆に辛亥革命を応援していた日本活動写真の梅屋昭吉等の日本人の記録が
72-30 表に出せない状況となってしまっていた。

72-31 現在の孫文評価

72-32 イデオロギーの差で対立する中国と台湾であるが、辛亥革命の孫文への評価は、中台共に
72-33 『国父』であり、敬意を集めている。二千十一年十一月一日、建国記念日(国慶節)天安
72-34 門広場に孫文の写真が飾られ、人民大会堂において胡錦涛国家首席は下記の様に述べた。

72-35 『孫中山(孫文)先生と辛亥革命の先駆者達の功績は中華民族の歴史に刻まれている。中
72-36 国人民は辛亥革命で犠牲となった志士達を尊敬し顕彰する。辛亥革命は中華民族の歴史上
72-37 永遠に、燦然と輝く道標である。』

72-38 亦台湾に於ても双十節に同様に孫文への記念式典が開かれている。
72-39 資料出典 NHKTV孫文』より 点線より下段 昼行灯記載


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