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19100901加藤 芳弘

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2019.10.09 評論・研究論文「第11章 父が貰ってきた宿題・讃美歌改定に伴う詳細」投稿者:加藤 芳弘

信仰篤き末日聖徒の女性 柳田聰子

32-21 ▽昭和34年(1959年)06月02日父冨五郎は永年住み続けた浦和の家を処分し名古屋へ転居し
32-22 てきた。其の際アンドラス伝道部長から父は、ひとつの宿題を賤別代わりに貰ってきてい
32-23 て私に伝道部長から預かってきた紺色のHYMNSという本を差し出し、父は『編集はわ
32-24 しが行うので、翻訳は聰子がやりなさい』と言って私に本を手渡しました。
32-25 ▽父に依れば『でき上がったら、親子で伝道部長の所へ持っていく』との約束までして来
32-26 たというが、300曲近い総ての曲を翻訳し終えるのには、どれだけ時間が掛かるか解ら
32-27 なかったが、せっかく戴いた大きな宿題なので、それに挑んでみることにしました。

32-28 ▽家族が6人に増え、家事の合間に少しの時間を見付けては翻訳を行う事が多く、一日に
32-29 仕上がる量は僅かなものでした。讃美歌の作業を始めるときは、どんなに忙しい時でも、
32-30 御祈りをしてから行いましたので、充実した恵みのときを天父より戴くことが出来、感謝
32-31 を致して居ります。
32-32 ▽又翻訳をする際は、歌詞の原意を損なわない様に原詩から注意をし訳していきました。
32-33 大正三年に父が訳した讃美歌の歌詞は、さすがに古典的で今の時世には合わないものにな
32-34 つていましたが、私には歌い慣れ、懐かしい歌詞でもありました。

32-35 ▽歌詞の裏に潜む神意を学ぶ為に聖典を開き、原詩に記されている内容と突き合わせも行
32-36 い、親子三代恵まれた時間を戴きました。
32-37 ▽歌詞の翻訳が終わっても、その歌詞が旋律に合うかどうかの別の問題が在るので、旋律を
32-38 何回も口ずさみながら歌詞を書き込んでいく作業を進めました。

33-01 ▽まず始めに英語判の歌詞の翻訳を行い、次に父の翻訳した讃美歌集に同一曲がある場合
33-02 はその歌詞も参考にしながら、新しい歌詞を書き込み乍、口ずさんで四六時中いろいろ言
33-03 葉を変えながら納得がいくまで歌い、一つの歌の翻訳に何日も掛かる事もありました。時
33-04 には子供達に歌って聞かせ、どちらの方がしっくりするか尋ねたりもしていました。

33-05 ▽此の様な作業も全てが終わるまで一年以上掛かってしまいましたが、この間は不思議と
33-06 健康に恵まれ、家族と楽しく勉強出来た時間は大変祝福されたものでした。また大勢の信
33-07 仰の友人が私達家族を助けて下さいました。此の讃美歌の完成には名古屋支部の皆さんの
33-08 協力の御陰と感謝しております。亦年老いた父と二人で讃美歌を作る喜びは特別なもので
33-09 神様に感謝を致しております。
33-10 ▽神様の御祝福を戴き、父が貰ってきた宿題を伝道部長の所へ親子揃って届ける事が出来
33-11 嬉しく、感謝をしております。

33-12 ▽(編著者注)此の讃美歌は昭和三十五年(1960年)12月15日に発行され直に全国で使用さ
33-13 れ始め、平成元年(1989年)11月30日発表の、井上龍一兄弟監修の現行賛美歌(柳田聰子も
33-14 新賛美歌編纂委員の一人として参加)が出版されるまで約三十年の永きに渡り使用されま
33-15 した。

33-16 ▽この讃美歌と同時進行で進められた書籍があります。昭和34年の暮れ、佐藤龍猪兄弟に
33-17 依る、翻訳版の『信仰箇条の研究』がその本で、北部極東伝道部・ポール・C・アンドラス
33-18 伝道部長名により発刊されました。原書はジェームズ・イ・タルメージ長老の『信証講義』
33-19 で、過去に文語体で邦訳されていた書籍を口語体で再翻訳したもので、全24の章と付随文
33-20 章で構成されたものでした。
33-21 ▽いままで『信証講義』としてなれ親しんでいた書物がモルモン経と同じ黒表紙に金文字
33-22 で『信仰箇条の研究』と書かれており、時代の流れを感じた次第でした。聖典の副読本と
33-23 して、又、教義の勉強に素晴らしい書籍が与えられ感謝を致しました。
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(提供 岸野みさを)

 回復された主の教会が組織されるや数箇月のうちに、主は予言者ジョセフ・スミスの妻エマ・スミスに聖徒たちが礼拝の集まりの際に用いる聖歌を選べと命じたもうた。主はこの啓示の中で「すべて心の歌は、われの悦びなり。然り、義しき者の歌はわれに対する祈りなり。彼らの頭に祝福を与えてその応えとなさん」と仰せになった。
これら初期の時代から、聖歌を唱うことは末日聖徒イエス・キリスト教会の各集会に於ける重要な行事となっている。

 当教会の会員の中には霊感を受けた讃美歌の作者が数多くいた。これら多くの作者が残した讃美歌は、喜びの時にも悲しみの時にも唱われ、聖徒らが開拓者の旅に在った時には彼らを元気づけ試練と艱難に出逢うとき聖徒らを力づけた。またこれらの讃美歌は、広く各地に旅行する当教会の宣教師たちの特徴となり、信仰と慰め、励ましと力の源となった。今日これらの讃美歌が唱われる時、それらはわれわれの集会に力を加え、それらを口にする者耳にする者のすべてに霊感を与えている。

 エマ・スミスの時代から、たびたび教会の必要に応じて讃美歌について各種の編集が行われてきた。この度新しく改訂増補された末日聖徒讃美歌集の日本語版は、日本に於て当教会の会員数が多<なると共に生じた大きな必要を充すに相違ない。

 この新しい讃美歌集をつくる仕事は、この重要な責任を遂行する資格を充分に具えた柳田聰子姉妹とその父君高木冨五郎兄弟の手によって成った。柳田聰子姉妹は千九百五十八年に出版された「レクリエーション歌集」の翻訳を行い、日本語の歌詞の歌集制作の大部分は
同姉妹の仕事であった. また高木兄弟はさきにエッチ・グラント・アイヴンス伝道部長と協力して千九百十四年の夏中に百五十篇に及ぶ末日聖徒讃美歌を日本語に翻訳した。これらの讃美歌はジョセフ・エッチ・ステンプソン伝道部長の指図によって千九百十五年に発行された讃美歌集に載っている。

 この度新しく改定増補された讃美歌集所載の讃美歌は、前記の日本語讃美歌集および千九百五十八年版の改訂増補英語讃美歌集の中から選ばれた。古い日本語讃美歌集の中には高木兄弟とアイビンス伝道部長の手に成る百五十篇の讃美歌に加えて、ロイド・オー・アイヴィー伝道部長が翻訳した七十篇の讃美歌が収録されている。
古い日本語讃美歌集から採った讃美歌中の歌詞には、歌意を一層よく伝えその上唄い易いようにするため幾分の変更を加えたものがある。柳田姉妹と高木兄弟は、これまで日本語で公にされていないいくつかの讃美歌を翻訳した。千九百五十八年版の英語讃美歌集に基づく楽譜をできるだけ用いたのは、一般にそれが低い調子で記してあるので大ていの人々が一層容易にまた一層快く唱えるからである。

 私はこの讃美歌集が一般に広く用いられるよう熱心に申し勧める。また、ここに収録されている讃美歌が、信仰、献身、祈りそのほか回復された福音の諸原則を教わる手だてとなるよう切に望むものである。この讃美歌集が世に出されるのは全くそのためである。すべて音楽指揮者、聖歌隊員、オルガン奏者等はこの目的をよく心に留めて、聖徒たちの間に信仰が一層強くなる助けとなるような音楽を計画するよう切に申し勧める次第である。

   1960年12月
           伝道部長 ポール・シー・アンドラス

 上記の讃美歌ですが、私は通常販(紺色布製表紙)を所有しています。岸野姉妹所有の方が大阪セイビ印刷となっており私の所有より古く価値が高いものです。

 この讃美歌には特別製版があります。書籍の三方に金を塗布し外装は黒色の革製です。
この特別製版は高木冨五郎・柳田聰子が教会(ポール・C・アンドラス)よりいただいたもので、教会歴史保存委員会上席研究員の津田政廣が所有しています。此は高木冨五郎柳田聰子の功績を讃え、教会により2冊特別製販されたと聞き及んでいます、津田上席研究員の所有は1冊ですので、もう1冊の行方は解っていません。推測では柳田家に在ると感じていますが未確認です。

 亦、神殿用として、白革の装丁で三方に金を塗布した讃美歌も御座いました。

 柳田姉妹は父高木冨五郎の資料を加藤に、柳田藤吉聰子夫妻の資料は津田政廣に託され来世に行かれました。今、加藤も津田も教会歴史保存委員会の会員であり、互いの資料を利用致しております。

  • 日本の教会の黎明期、初期の裏歴史というか、本当に貴重な証言集になっています。感謝です。この10月の総大会の説教で、ある七十人が紹介していた、コンゴの一組の夫婦と、ひとりの若い改宗者によって始まった伝道の業もそうですが、まさに主に選ばれた信仰深き、謙遜な人々によって密かに主の業が始められ、やがてそれは神殿が建設されるまでに大きく育てられる礎になっているのだと、感動と感謝の思いにかられます。それはユニット単位でも言える事かと思います。みなさん、がんばりましょうね。 -- おーちゃん 2019-10-12 (土) 17:47:32
  • おーちゃんさま
    コメントありがとうございました。「敗戦に伴うGHQ~後編」に著者からあなたさま宛の返信が入っていますのでご覧ください。 -- 岸野みさを 2019-10-13 (日) 07:43:02
  • 岸野姉妹  加藤兄弟からの返信文を読まさせていただきました。ご丁寧な文章に感じ入ってございます。名古屋の方々のお名前など拝見し嬉しゅうございました。ありがとうございます。改めて加藤兄弟の以前の著作を読まさせていただきたく思いました。これからもよろしくお願いします。 -- おーちゃん 2019-10-13 (日) 23:58:40

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