19110501徳沢 愛子
2019.11.05 評論・研究論文「トンネルを過ぎてみると」投稿者:徳沢 愛子
葉山美玖詩集「約束」(コールサック社2019年7月発行)
「天窓- あとがきに代えて」を読んだ時、激しいものに鷲掴みされた気がした。これまで読んだことのないあとがきであった。度肝を抜かれる著者の劇的な人生記録である。
「…雨が今にも降り出しそうな空を私は電車の窓から見ていた。- ふと気がつくと、線路沿いにあるあれきり戻っていない実家の屋根が一瞬だけ見えた。実家はびっくりするほど小さかった。二十年間、閉じこもってほとんど寝て暮らしていた部屋。私がただ月を眺めていた
…。」
普通に暮らしていた私には、とても信じがたい状況ではある。然しそれがこの詩人をプラスにし、或いはマイナスに働き作者を強くさせ成長させていった、そんな気がした。
この詩集は四章に分かれ、「収穫祭」「さみしい鬼」「扉」「約束」から成っている。どれも現代に共通する諸問題を孕みながら、ドラマチックに展開していく。I 章では時にどうしようもない家族を冷静に見つめ、時に自立していこうともがく前向きな詩「善い魔女」もある。?章では「お正月」何もしないことが何かを始めることだというフレーズに象徴的な癒しの方法を見た。?章「あの日」は災害を被らなかった人々の、その時の平凡な日常を静かな言葉で自省している。「赤城山」では口うるさい祖母を、困りながら作者のこんな愛し方、見方があるのを面白く思った。
「おばあちゃんは…いつも鶏のように/ 背中を丸めて/ こつこつと小言を言う…/ 私はおばあちゃんに習った/ 水菜のサラダを作って/ 焼き鮭を食べて/ 半分冷蔵庫に入れた/ それから腹筋とスクワットを/ 五十回ずつした//ベランダの窓を開け放って/ 赤城山の方向に/ 二礼二拍手一礼/ した」。
反発しながら祖母の愛を感謝している。抑制のきいた愛の表現である。また「扉」は、作者の成長した視点を感じた。とてもよい作品である。人こそが作者にとって最上の治療薬最高の癒しであるという認識。そこに至った幸せが伝わる。悲しみや試練が、幸福へと著者を誘っていく過程に、読者は神の摂理を思うに違いない。愛する者になお試練を与えて成長させる。当たり前で、シンプルなこの真理を改めて思い出す。「約束」の中の「光り輝く奇跡」はとりもなおさず、作者自身の自負であろう。癒されていく過程を辿るのもいいものだ。