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2019.11.21 評論・研究論文「視点・詩点 太平洋戦争下における文学の規制」投稿者:米村 晋

笛 2019.10 289号

 太平洋戦争下、我が国には戦争遂行のために国民の意志を統一する手段として、内閣情報局と大政翼賛会の指導のもとに「日本文学報告会」と「大日本言論報告会」という二つの組織が創られた。
 文学活動にたいする国家の統制および戦争参加への徹底・普及のためである。
 「日本文学報告会」は、太平洋戦争開始直後の、昭和一七年(一九四二)五月二六日に創立された。会長は、政財界に広い影響力をもつ徳富蘇峰であり、この会の目的は「皇国の伝統と理想を顕現する日本文学を確立し皇道文化を宣揚する」ことであった。

 会員としては、作家・評論家・歌人・俳人・詩人など三千名を数えるが、異論を唱えないと思える人物を勝手に選択して指名した。会員は、作品発表の機会を剥奪されることを恐れ、結局全員参加した。ついには本会員であることが作家としての資格とされるようになった。
「大日本言論報告会」は、昭和一七年(一九四二)一二月二三日に設立され、会長は「日本文学報告会」と同じく徳富蘇峰であった。
 この会の目的は「聖戦完遂のため進んで皇国内の思想戦に挺身すること」となっている。会員数は約千名になった。しかし、本会は次第に言論抑圧への加担を強めていったため、総合誌や新聞社などの言論機関と対立する。

 「日本文学報告会」が個人の文学者を対象としたのに対し、「大日本言論報告会」の方は、新聞社・出版社・ジャーナリズムなどの言論機関に対するものであった。
会員は各新聞社・出版社・大学・関係官庁であった。
ここでは、規制された文学の部門のうち、短詩型の歌壇・俳壇・詩壇が如何に対応していったのかを考察する。

【歌壇】
 近代短歌の世界を築いた歌人たちが、斎藤茂吉をリーダーとして、国民の戦意高揚のために皇軍の戦勝を祈念する歌を多作した。彼に同調して、北原白秋・佐々木信綱・土岐善麿など、各結社の重鎮たちが戦争賛美の歌を創った。

「俳壇」
 高浜虚子が俳壇のリーダーだったが、彼は戦争という巨大な悪に襲われようとも花鳥諷詠の悠久の思想からすれば些事にすぎないという考えであった。事実、彼の作品には戦争に関する句は一つもなかった。しかしながら、新興俳句派の水原秋桜子・山口誓子・西東三鬼らは虚子に叛旗を翻し、花鳥諷詠の伝統に反して新しい素材や文体を探求する。その一方、若い俳人たちが戦争という巨大なテーマに向かって果敢に挑戦していった。とりわけ渡辺白泉は戦争をテーマとして批判と詩情を見事に兼具している秀句を発表した。
( 戦争が廊下の奥に立ってゐた)

【詩壇】
 昭和一六年(一九四一年こ二月八日の真珠湾攻撃の日以降、NHKでは夜七時から連日「愛国詩」の朗読が放送された。これは太平洋戦争中の「詩歌翼賛運動」の一環である。政府から各詩人団体へ愛国的な詩を献納する要望が出された折り、たちまち三百余の詩が集まった。
高村光太郎はその先頭に立ち、愛国詩を数多く発表したうえ、軍歌・唱歌・流行歌の作詩も、多数手がけた。
光太郎は、真珠湾攻撃の日、つぎのような歌を発表。

<記憶せよ、十二月八日/この日世界の歴史あらたまる
/アングロサクソンの主権/この日東亜の陸と海とに否定さる>

 高村光太郎に続いて、殆どの著名詩人が戦争賛美詩を発表した。その中で戦争反対の意思を貫いた詩人は、金子光晴と竹内浩三である。
金子光晴は、父の莫大な資産を費消して遊蕩に明け暮れ、昭和三年(一九二八年)から五年間、無一文で東南アジア各地からパリまで放浪の旅をした。日本へ帰国した時には、詩人たちは戦時色に染まっていたが、彼は日本軍の暴挙を糾弾し、ファシズムや兵役制度を非難する詩集を発表した。

<うりわたされる魂どもの/ 整列にまじって/ 息子は立たされる/ ぬすまれたらかへらない/ たった一人の息子を>

 竹内浩三は、学徒出陣の無名の詩人であったが、前線にあっても、軍隊手帖の裏ページに反戦詩を書き込んでいた。彼の戦死後、遺品のなかに手帖を見つけた姉が自費出版して世に知られた。

< 戦死やあはれ/ 遠い国でひょんと死ぬるや/ ふるさとの風や 恋びとの眼や/ ひょんと消ゆるや>

結果的にみると、俳壇は比較的、戦争批判をする作品があったが、歌壇は戦争完遂・戦争賛美の作品が目立つのである。

 今日的な視点からすると、言論の自由への規制は、昨年あたりから、徐々に法制化されてきている。また、米安保条約の解釈もアメリカ側で変貌してきており、日本にも経済的負担と武器の拡充を迫ってきている。

 かかる現状からするに、言論にたいする規制は戦時下と同調する方向に傾斜していると考えられる。

  • 貴重な記録を残して頂きありがとうございます。如何なる時代でも反対のものがあるということはこの世の進歩の原則であると主は教えられています。戦争の世紀に関してはその時代と共に生きなかった者にとっては何を言っていいのか分かりません。 -- 岸野みさを 2019-11-24 (日) 21:43:29

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