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20031601牧瀬美代子

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2020.03.16 自分史・家族史「祝 ジョセフ・スミス最初の示現200周年記念―ジョセフ・スミスと出会って44年」 投稿者:牧瀬美代子

 私がまだ20代前半の頃、新米ママだった私はある教会の宣教師の訪問を受け、直ぐに改宗しました。ずっと、神様の存在を信じ福音を待ち続けていた私の前に、慎ましい服装と礼儀正しい女性が現れ、福音について話し始めました。お住まいもご近所との事で、警戒心は少しずつ薄れていきました。その年配の女性は、ご自身のことを少し話し始めました。結婚はしているが子供はなく、ご主人と二人暮らしである事、ご主人は教会員ではない事など少しずつ話して下さり福音の勉強をしてみませんかとのお誘いがありました。

 その後、2~3人の方がいらっしゃるようになりましたが、どの方も清楚な服装と慎み深い言葉遣いで、本当に人の善さを感じるようになり、福音の勉強を始めました。そしてバプテスマを受け、ある教会の会員になりました。

 人は、見かけではないと言いますが、見た目が与える影響は話の内容よりも大きな割合をしめると、以前心理学の先生がおっしゃっていました。その清楚な姉妹達に引かれ会員になった私は、子供(当時一人)を連れて、会員の皆様と一緒に熱心に伝道したものです。会員の方々は、優しくフォローしてくださり、会員の方のお宅にも招いて頂くようになり、その生活ぶりは慎ましく生活しているのが見てとれました。ただ、今から思うと幸せとか楽しさはあまり感じられませんでした。私達は、互いに思いやりをもって信仰を育んでいましたが、私の心にはいつも疑問符がつくのです。いつも、もやもやしたものがありました。どうしても幸せや楽しさを感じないのです。今になって思うのは、み霊を感じなかったのだと思います。次第にその教えに納得いかない事が多くなり、喉に骨がひかかっているような、違和感を感じるようになっていました。質問をしても、その回答が私の喉につっかえたものを取り除くことはありませんでした。

 悶々とした日々を過ごしていたある日、祖父が肝臓癌で倒れ入院したという知らせが入り、身内の女性陣は交代で祖父に付き添う事になりました。あの頃、病院では付き添いが必要でした。私と私の母、伯母達、伯母の娘、伯父も仕事の合間をぬって付き添いました。父もお見舞いに通いました。私達親族は、長女である母を筆頭に皆仲が良かった為、犠牲などとは思わず助け合いました。私は交代する時、病院に近い伯父の家に泊めてもらっていました。そして、ついにあの日がやって来たのです。

 そうです、あの日私は、目から大きな鱗か落ちたのです。既に末日聖徒イエス・キリスト教会に改宗していた伯父と話していると、私が子供を連れて伝道に出ているのは、おかしな話しだと言うのです。伯父は、権能、召し、神権、専任宣教師、み霊…などと言う言葉を口にしました。当時の私には、全く理解ができませんでしたが、何か大切なことだという事は感じ取りました。長い間、喉につっかえていたものが取り除かれました。街頭伝道やハウジングなどは、専任宣教師が行う事を聞いた時、とても嬉しい気持ちと何かから解放されて明るい気持ちを感じました。私の中でも、以前の教会の伝道の方法は間違っているのではないかと、疑問に感じていたからです。もしかしたら、あの時初めて御霊に触れたのかも知れません。

 私は、矢継ぎ早に色々と伯父に質問したことを覚えています。ただ、それがどんな内容だったかは、うっすらとしか思い出せません。今となっては、そんなに大きなことで無くなっているのかも知れません。それからしばらくして祖父は亡くなり、私達はそれぞれの生活に戻りました。

 葬儀を終えた私には、大きな変化がありました。末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師のレッスンを週に何回か受けることになったのです。伯父に依頼して、宣教師に来て頂けるよう手配をしてもらっていました。私は、乾いた砂漠に水が染み込んでいくかのように、レッスンの内容が染みこんでいきました。待ってましたと言う感じでしょうか。
そして、バプテスマを受けるのが待ち遠しくてたまりませんでした。正直、当時入っていた教会の友人は皆善い人でしたので、私が抜けることを告げるのはとても辛かったです。近所にも、何人かの仲の良い会員がいましたので、彼女達は別れを惜しみ泣いてくれました。けれども、私の決心した理由を聞いて無理やり止める人はいませんでした。逆に考え込んでいました。一人の姉妹には、あの時の私なりの証しを話したように思います。

 そして数日後、私が退会を決めてから、今までお会いした事もない教会幹部の方がいらっしゃり、今後は仲の良かった人達との付き合いはしないように、声をかけたり話をする事も遠慮してほしいと、静かに丁寧に言われ少し怖かったのを覚えています。それが、かえって私を退会へと後押しする事になりました。「ああ、やっぱりこれで良いんだ」と心の中では納得しました。背教者としての烙印が押された時、一瞬ひるみましたが、直ぐに気を取り直して、全ての条件を飲んであの教会を退会しました。

 そして、私は本格的にレッスンを受けることとなり、ジョセフ・スミスについてのレッスンを受けてから44年、主は沢山の試練を用意しておられ、私は葡萄のつるにしがみつき、鉄の棒を強く握りしめながら生きる事となりました。時には、手を放してしまったらどんなに楽になるのだろうかと、迷う事もありましたが手を離した先には虚しさしかない事を感じ取っていたので、決して離しませんでした。

 沢山の試練と召しと祝福の中で精錬され研磨され、どうにか現在に至っています。まだまだ完成品ではありませんので、これからも磨きをかけられる事と思いますが、その痛みを忘れずに裁きの日まで喜びに変えながら耐えて行きたいと思います。末日の今、近い将来ジョセフ・スミスやエマ・スミスにお会い出来る日を楽しみにしています。あなた方の信仰と犠牲によって生きてくることが出来ましたと、感謝の言葉をお伝えしたいのが今の望みです。その時は、声にならないかも知れませんが…。

 ジョセフ・スミスが、預言通りに働いて下さった事に感謝しています。彼が、召しを放棄しなかった事に感謝しています。どんなに困難で辛い状況にあっても、信仰を捨てずに耐えてくださった事に感謝しています。私達は、彼と開拓者の方々の模範のおかげで頑張っていられる事にも感謝しています。あなたが、希望を失わずに頑張りぬいたので、私達も頑張ることが出来ていますと、お伝えしたいです。

 主が、いつも支え、右にも左にもいてくだっさり、私達が歩けるようにしてくださった事に感謝しています。この教会が真実だと心から言えることに感謝します。家族や、親族、兄弟姉妹、友人知人を備えてくださった事にも感謝しています。ジョセフ・スミスは、200年もの間多くの人の光となり、模範となり、力を与えて下さった事に心から感謝しています。

  • 映像を見ているかのような表現力に感嘆しました。比喩だと分かっていても「葡萄の蔓にしがみついている姿」が瞼に浮かぶようでした。「忍び抜いた人たちはさいわいであるであると、
    わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである」(ヤコブの手紙5:11) -- 岸野 みさを 2020-03-18 (水) 07:14:34
  • 人の改宗談は人の顔が皆違う様に色々有るものです。しかし、その時には皆何らかの啓示なり御霊なりを受けていることも確かです。いや私はそんなことはなかったというかたでも気がつか無いだけなのだと思います。主に関する事は必ず主がお答えになさるものです。ただどんなにその時に強い導きを受けたとしてもその時の証を持ち続ける事は難しいものです。何故なら人の環境は変化するからです。どんな人でも自分を取り巻く環境の中でいきているからです。したがって人の信仰も軌道修正する必要があると思います。ちょうど地球を回る人工衛星の様に絶えず軌道修正をしなければ、人工衛星は暗闇の宇宙に放り出されてしまいます。という事を感じました。有り難う御座います。 -- 工藤駿一 2020-03-18 (水) 11:44:49

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