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2020.05.17 自分史・家族史「主イエスの光を受ける」 投稿者:向谷鈴子

 先日ある方が、この新型ウィルスによる緊急事態宣言の中での行動について、「真剣に取り組む必要があるが深刻にならないように」と言って下さいました。それを聞いたとき、預言者や使徒たちが「楽観的」という言葉をよく使われるのを思い出しました。その言葉に希望や励ましを感じてはいましたが、改めてそこに「真剣に取り組む」という前提が必要であったことに気がつきました。主に真剣に従うとき、私たちは主から光を受けることができると感じました。
 モーサヤ16:9「キリストは世の光であり命であられる。まことに、決して暗くなることのない無窮の光であり、また決して死ぬことのない無窮の命であられる。」にあるように、私たちは主の光によって「暗」から「明」になれます。それは単なる「明」ではなく永遠の命につながっています。主の光は私たちを導き、励まし、暖め、平安を与え、変わる力を与えて下さいます。
 総大会でマキューン長老が伝道の奉仕をしていたときに息子が大けがをした時の経験を話して下さいました。「わたしたち家族は病院の一室の床にひざまずき,心を注ぎ出して神に祈りました。複雑で悲痛なときを過ごす中,わたしたちは天の御父の愛と平安に満たされました。どのような未来が待ち受けているか,つまり息子が生きてまた会うことができるか分かりませんでした。非常にはっきりと分かっていたことは,息子の命は神の御手に委ねられており,その結果は永遠の観点から見れば,神にとってもわたしたちにとっても良い方向に働くということでした。御霊の賜物を通して,わたしたちはどのような結果も完全に受け入れる覚悟ができたのです」長老家族はつらい状況でも、主の光によって愛と平安に満たされたのです。彼らは主の光を受けるために、心を注ぎ出して祈り、信仰をもって主にゆだねたのです。真剣に主に従ったのです。
 また、ゴードン姉妹は「主の福音の回復により,わたしたちは救い主の光に満たされることができます。しかしながら,その光は皆さんやわたしのためだけに向けられたものではありません。イエス・キリストは,わたしたちにこう呼びかけられました。「あなたがたの光をこの民の前に輝かせて,この民があなたがたの善い行いを見て,天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」1「この民が……〔見〕るようにしなさい」という表現が気に入っています。これは,道を見いだし,それによってキリストのもとに向かえるよう人々を助けることに関して,さらに意識を高めるようにという主の心からの招きなのです」と教えて下さいました。私たちは受けた光を輝かすことを求められています。
 私たちは信仰をもって、主に真剣に従い求め、主の光を受け、受けた光を分かち合うことにより、主の招きに応じ、主に近づくことができます。主が与えて下さったこの状況を、深刻になるのではなく、真剣に従い、少しでも主に近づきたいと思います。
 主が私たちの贖い主であられることを、心から証します。       

  • <私たちは主の光によって「暗」から「明」になれます。>真逆になれる<変わる力を与えてくださいます。>この証をありがとうございました。 -- 岸野 みさを 2020-05-18 (月) 22:42:53

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