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20060401岸野みさを

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2020.06.04 自分史・家族史「祝穀粒7周年記念―聖約:最初の神殿団体訪問」 投稿者:岸野みさを

 バプテスマの聖約は人が神と交わす最初の聖約であり、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員になるために必要である。それに先立ってイエス・キリストを信じる信仰と悔い改めが求められ、バプテスマを受けた後に聖霊の賜物を授かることによってバプテスマは完全なものになる。バプテスマフォントは墓の象徴であり(D&C128:12-13)「古き人」は「死に預かるバプテスマによって彼<キリスト>と共に葬られ(ローマ6:4,6、D&C76:51)水から引き上げられて新たな霊の人として再び生まれる(モーセ6:59-60)。過去の罪深い自分を葬ることによって罪の赦しを受けられるのである。そして、主に仕えて主の戒めを守ること、キリストの御名を身に受けることを聖約し(D&C20:37)キリストの息子、娘となる。

このようにして天国の門から入った私たちは更に人の救いと昇栄に不可欠である神殿の数々の儀式に至り、神と聖約を交わすことになります。
聖なる壁―1
私は1964年にバプテスマを受けて1969年にハワイ神殿団体訪問に夫と生後4か月の長男と共に参加して、初めて神殿の儀式を受けました。参入の準備として、当時は神殿衣やマーカソン、シールドまで扶助協会の指導により自分たちで製作しました。シールドはごく簡単で一枚の布を二つ折にして首回りをくり抜くだけでした。厚手の白色の木綿生地だったので、試着してみると肩幅が昔の和服のかみしもみたいで兄弟と二人でお互いの格好を見て、不謹慎にも笑った記憶があります。ドレスはサイズが小さくなった時に人に差し上げてしまい手元にないので思い出の品とはなりませんでした。ハワイでガーメントを購入するとき人々がサイズやパターンを選ぶのに手間取って、長い行列ができてしまいました。

 エンダウメントを受ける前に司式者から注意事項を勧告されました。持ち物はロッカーに収め一切所持できません。メモを取ることは出来ません。聖約の練習をしてはいけません。それを聞いて緊張感が更に高まりました。
エンダウメントはライブセッションでアドニーY・小松元伝道部会長(1965-68北部極東)(1982-85 東京神殿長第2代目)がアダムの役になり彼の親友であるサム・K・島袋(1981-84 伝道部会長仙台)(1985―88東京神殿長第3代目)がサタンの役でした。この時奉仕されたと同じメンバーが翌年のソルトレーク神殿でもライブセッションを行ってくれました。

 エンダウメントとは上から力を授けられる(エンダウされる)のでエンダウメントと呼ば
れています。

最近購入した「聖なる壁」の著者であるジェラルド・E・ハンセン、Jr.は第Ⅳ章:命の木へと帰る ニーファイ第二書第2章 の中で以下のように述べています。(P26)

「エンダウメントは、末日聖徒が聖典の中で命の木にたとえられている神のもとへ帰ることを可能にしてくれます。エンダウメントとはどのようにして堕落が現世における最初の試しとなったのか、また、贖いはどのようにして男性や女性がこの試しを乗り越えるのを可能にするのかということを象徴的な教えによって説明してくれます。死すべき人間が堕落の状態を経験していることを明確にし、また各人の生活において贖いの効力が十分に及ぶように適合し、守らなければならない条件と聖約を説明してくれるのです。堕落と贖いはエンダウメントの儀式という円の中心であり円周なのです。それぞれがもう一方を理解するのを助けてくれるのです。そして両方が一緒になって命の木、すなわち昇栄への道を示してくれるのです。
エズラ・タフト・ベンソン大管長が教えたように、もし堕落と贖いの関係がわからなければ、救い主の必要性を本当には理解できません。『堕落に関する教義と、堕落が全人類に及ぼした結果を受け入れるまでは、なぜキリストが必要なのかを正しくまた十分に理解することはできません。』リーハイは明らかにこの重要な原則と二つの関係を理解していました。そのために彼は亡くなる前に息子たちに最後の説教の一環として堕落と贖いの関係を説明したのです。そして贖いを選択するように勧告しました。ですから、私たちも本章で堕落を詳しく調べ、そしてリーハイがどのようにこの教義を使って、息子たちに悔い改めるよう熱心に勧めたのかを学びましょう」
 
 1980年に奉献された東京神殿ではビデオによりセッションが始められました。

孫娘の一人が小学校低学年の時ママにいきなり「どうしてイエスさまは十字架にかけられたの?」と聞いてきました。ママはうまく説明できなかったと言いました。

1972年発行のジョセフ・フィールディング・スミス大管長の「福音の質疑応答」にも同じような質問が書いてありました。
質問: キリストはなぜ自らの血を流さねばならなかったのか?
解答: キリストの血が流されねばならなかった理由は、堕落以前のアダムには血がなかったからである。アダムの体には堕落後血が入った。従って堕落によって来た血は、贖罪によって流されねばならなかったのである。

「肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、
わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、贖うことができるからである」
(レビ17:11)

私の最初の神殿参入は前記の通り1969年7月21日ハワイ神殿団体訪問で、それは米アポロ11号月面着陸の翌日でした。私たちはBYUのドミトリーのテレビで人類が初めて月面に第一歩を踏み出すのを見ました。こうして私たちは神の国の奥義を授かったのです。

「そして、主のすべての定めに従って歩むことが、わたしたちの聖約となる」
 (D&C136:4)

  •  聖なる壁、今読んでいます。私は、皆さんがハワイ神殿に行っている期間は、改宗前で、吉田兄弟姉妹がハワイ神殿に行った帰りに空港に迎えに行ってパイナップルをお土産に頂いたことを覚えています。私たちは、東京神殿ができてから1月12日に結び固めを受けました。正直言って、残念なことに私たちはここまで詳しいことを学んで入ったわけではありませんでした。私もリーハイのように、子供たちや孫たちに族長としての祝福を残したいと思っています。アメリカにいる、聖衣子たち家族には、昨年、それらしいことができたのですが、これからどのくらい生きられるか分かりませんが、生きている間に、祝福を、それもはっきりとした祝福を残したいと思います。 -- 丸山 幹夫 2020-06-07 (日) 12:55:27

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