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2020.07.09 旅行記・紀行文「稲沢市立明治中学校未公認自転車部」 投稿者:HolynameJC

その1

それは中学一年の夏、一人の転校生から始まった。イニシャルはYH、転校早々についたあだ名は“ビリ”。誰がなぜそんなあだ名を考え出したのか記憶がない。びりびりの服を着ていたわけでもないし、テストやかけっこでびりになったわけでもない。転校元は名古屋市西区にあった市立山田中学校。
自分の姓と同じ名前の学校から来たということが原因だったのか、姓の並びが近かったため、なにかと一緒にいる機会が多かったことがそうだったのか、あるいは身の丈がほぼ同じだったことによる親近感からなのか、とにかく私たちはすぐに仲良くなり、いつの日か親友になった。この稿の最終場面に出てくるはずの中学卒業を祝うサイクリング以来、一度も会っていないことを思うと、はたして本当の親友といえるのかどうか疑問ではあるが、当時はまさしく親友と信じて疑わなかった。

ビリは無類の機械好きで、中学を卒業したら自動車整備士の学校に入ることをすでに決めていたが(後にその通りの道を歩んだ)、とりあえずの対象は自転車だった。当時の明治中学校では自転車通学の生徒の自転車は今で言う“ママチャリ”に毛が生えたようなもので、要するに走ればいいという感じだったが、ビリの登場で明らかな変化が起きた。
ビリの自転車はいわゆるスポーツタイプの、シルバーと薄紫のメタリックのツートーンで、ドロップハンドルというそれまで見たことがなかったハンドルに、しかもあろうことか外装5段変速の高級車(?)だった。
走りながらオモチャのように小さい変速レバーを手前に引っ張ったり、前に押したりするとチェインが大きさの違う5枚の後輪のギアの上をなめらかに滑り、お望みのギアに移動する。ペダルに固定された主ギアの口径に近いほどペダルは軽くなり、坂道も比較的楽に登れるようになり、口径の小さいギアにすればペダルは重くなる反面、スピードを速くすることができるのだが、当初はペダルが軽く感じることで、早くなったと思い違いをする程度の知識しか自分にはなかった。

ビリの転校が、明治学区の自転車屋さんに与えた経済効果は非常に大きく、数ヶ月のうちに、ほとんどの男子生徒の自転車がスポーツタイプに変わった。そしてごく自然に行動範囲が広がるようになり、それまで学校の外ではあまり交流がなかった生徒の家に遊びに行ったり、一緒に遠くへツーリングしたりするブームが起きた。
私はというと、きょうだいが五人の母子家庭ということで、母に新しい自転車を買ってほしいと告白できない状況があり、自分だけがもはや旧タイプとなってしまった自転車で通学することさえ恥ずかしく、江戸時代の人間が現代にタイムスリップしたような不自然さを感じて、とうとう歩いて通学することになってしまった。歩くと言ってもせいぜい30分から40分程度のことだったが、教科書をいっぱい詰めた手提げの学生カバンを持っての歩行はやはり辛く、朝の太陽を浴びて颯爽と走りすぎてゆく同級生たちの姿をうらめしく感じたこともあった。
 そんな私の心を最もよく理解してくれていたのはビリだった。口には出さなかったが、わが家が新たに、それも今が旬のスポーツタイプの自転車を買えるほど裕福ではないことをビリは気づいていたのだ。もちろん、自分のせいで私が追いつめられたことまでは気づいていないようだったが。

 夏休みが近づいたある日曜日の午後、ビリは突然わが家にやって来た。ビリはいつも笑顔でとても人なつっこい性格だったので、母ともすぐに親しくなり、いつの間にか母に対して自分の夢を熱く語っていた。自動車整備士になることもその夢の中に入っていたが、ビリの直近の夢は仲間と一緒にサイクリングをして、遠い未知の世界を旅することだった。
 ビリは母を庭に連れだし、自分の自転車を見せた。普段以上に磨き上げてあることが私にはわかった。母はその美しく、未来的で非日常を感じさせる自転車のスタイルに驚いて見せ、チラッと私の顔を見た。私はと言えば母の顔をまともに見ることができず、母の心の悲しみを感じて胸に痛みを覚えた。母は買ってあげたいがそれができない自分を責め、心の中で私に謝っているのだろう。 
 ビリはそんな親子の心の葛藤に気づくこともなく、一緒に琵琶湖を一周したいとか、将来は日本を縦断したいなどと語り、絶対実現してみせると言って話を結んだ。ビリならそれをやり遂げるだろうと、私は信じて疑わなかった。しかし、その時その場に自分はいないということもまた、疑いようのないことだった。
 ビリは私の母に、私に自転車を買ってあげてほしいとは言わなかったが、彼の言葉の中にそれは強いメッセージとして入っていた。私は母の心を思い、彼のそんなお節介な態度をわずかに憎んだが、私の思いとは別に、それは母の心を前向きに動かす結果になった。  
と言うのは、その日からしばらくたったある日の午後、学校から帰ると母がにこにこして、「Y君と同じ自転車を買っておいで」と言って、まとまったお金を渡してくれたのだ。私は驚き、疑い、すぐに疑いを消し(なぜなら確かに私の手の中にそのお金があったからだ)、そして最後に母に感謝した。母は私を幸せにするためにディズニーが送り込んだ魔法使いではないかと、一瞬思った。

 次の日曜日、私は部活を休んで、ビリと一緒に一宮市(当時私は稲沢市に住んでいた)にあった大きな自転車店に行き、彼のアドバイスを受けながら一台の自転車を選び出して購入した。全体がパールホワイトのメタリックで、もちろんドロップハンドルの外装5段変速。アクセサリーとしてハンドルに巻く白いテープとパンク修理などに使う工具セットも一緒に買った。
 帰路、真新しい自転車に乗りながら、ビリとサイクリングの夢について語り合った。ビリは実に堅実で計画的なところがあって、すぐに琵琶湖は難しいから、まず近場を経験してサイクリングになれる必要があると言い、どこか近くていい所はないかと尋ねてきた。
 私の心の中にはすぐにアイデアが湧き上がった。まず犬山城、次は養老の滝、そして伊勢神宮。ビリはそれがいいと言い、犬山と養老は日帰り、伊勢は二泊三日で計画することに決定した。
 その日の夜は、私は夢の中でも少し背を曲げながら風を切って、自転車を乗り回していたような記憶がある。翌朝は学校中の誰よりも新しくて光り輝く自転車に実際に乗って登校したことは言うまでもない。そして親しい仲間たちを、私とビリの計画に誘った。「一緒に犬山城までサイクリングに行かないか?」
 それは私にとって、青春の新たな一ページの始まりだった。

  • 転校生のビリ君と胸躍る青春物語が始まりましたね。どのような展開になるのか次回を楽しみにしています。 -- 岸野みさを 2020-07-11 (土) 09:23:26

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