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2020.09.20 自分史・家族史「奇跡」 投稿者:ルシア

奇跡

うちの子たちが病院に行くのは本当に稀なのに今週は3人をそれぞれ別の曜日、違う病院に連れていった。

木曜日の外科の次男に続き、突発的で引き延ばせない症状の次女を午後、眼科に連れていくことにした。

ひさしぶりに行くその病院の駐車場に着いた時、お一人暮らし故にずっと気がかりだった方の家が近くだったことに気づいた。でも病院が終わったらバイトの次女を連れてすぐに帰らないといけない。「1時間以上はかかる待ち時間にお宅に行けば、お顔だけでも見れるかも。だけど留守かもしれない」と考えながら待合室に入る。
と、「お久しぶり!」と声をかけられた。その会いたいと思っていた方だった。

午前の診療が長引いて今、帰るのだという。「会いたかったわ!」と言われて同じ気持ちだったのが嬉しすぎてお互いハグしそうになってしまった。涙ぐまんばかりに喜んでくださり、お宅に寄るようにすすめてくださる。収穫したばかりの作物を分けてくださるため、と急なのにお宅での食事のお誘いを受けた。今までもいつもそうだった。
お会いできただけで嬉しかったのにその変わらぬお気遣いに愛を感じて胸が熱くなった。立て続けの慣れない病院に心配と緊張でつかれていたわたしの心は一気に嬉しさに満たされた。

あと5分遅かったら、病院で会えなかっただろう。午前診療のその方と午後診療の私たちが会える可能性はその重なった「5分間」しかなかったのだ。「偶然」で片付けることもできる。でも本当は「偶然」ではなく日々、色々なことの中に散りばめられている神様の愛と奇跡なのだ。そして主への信仰が強まるほどより多くの愛と奇跡に気づき、毎日は光と感謝に満たされる。
ふと昔、夢中で見てたアニメ「ポリアンナ」を思い出した。大ファンで原作本2種、アニメノベライズ本、続編も購入して今まで何回も何回も読みかえしている。「よかった探し」はただ単に「よかった」を探すだけでなく、人との出会いや出来事の中に神様の愛や祝福を見つけるゲームだったのだとやっと気づいた。 

  • 素晴らしい奇跡です。通常では有り得ないと思える出来事を、人は偶然とか奇跡と呼びます。私はこの言葉の違いは、神を信ずる者と、そうでない者の違いの様に思います。神を信ずる者に取って偶然はあり得ないはずです。何故なら全ての物事は神の摂理の中の出来事だからです。試しの生涯というのはこの様なごくごく普通の日常生活の中でも試されているのかもしれません。それを奇跡と取って主に感謝するか、それともただの偶然と取るか?この違いは大きいと思います。 -- 工藤駿一 2020-09-21 (月) 17:53:46
  • 全ての出来事に主の御手を見ることができるのは幸いです。 -- 岸野 みさを 2020-09-21 (月) 19:54:26

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