穀粒(こくつぶ)会員のための、創作および出版支援サイト

2020030401工藤駿一

トップページへ 自分史・家族史トップへ画像の説明

2020.03.04 自分史・家族史「祝 ジョセフ・スミス最初の示現200周年記念―バプテスマの不思議な証」 投稿者:工藤駿一

祝 ジョセフ・スミス最初の示現200周年記念―バプテスマの不思議な証

丸山幹夫兄弟の証を読んで、私もバプテスマを受けた頃のことを思い出しました。九州から大学受験のために代々木の駅前にあった予備校に、下宿先のある西武池袋線の江古田駅から通っていました。当時は同じ九州から来た友達と二人で、下宿して居ましたので、寂しさはなかったのです。そのほかにも予備校の中で友達が出来ました。皆九州の連中でした。6、7人居たと思います。ある日、予備校から下宿に戻る途中で、池袋駅から西武線に乗り換える時、一人で池袋のパルコの前の歩道に出ると、6人ぐらいの帽子(当時の宣教師は帽子を被っていました)を被った宣教師(この時は宣教師とは思っていません)達が、歩道の真ん中に山高帽子を置いてその周りに何人かの行きずりの人々が輪を作って集まっていました。私はマジックでもやっているのかと思いその輪の中に入りました。しかし、しばらくしても何も行われる様子はなくただその帽子を見ているだけでした。つまらないのでもう帰ろうとした時、度の強いメガネをかけた一人の外人が、私に、声をかけてきました。『あなた、モルモンを知っていますか?』この言葉は当時ゴールデンクエスチョンだったそうですが、私もその質問をされましたので、それに答えました。『いいえ、全く知りません。』当時の宣教師たちは今日のように宣教師訓練センターで、伝道する国の言葉をあらかじめ勉強してくるわけではなかったので、たどたどしい日本語でした。こちらが質問しても全く返事はチンプンカンプンでした。私は日本人特有の相手を哀れむ精神で、その宣教師の言葉をなんとか日本語に頭の中で変換しながら聞いていました。その宣教師は、『私はモルモン教会の宣教師です。モルモン教会について知りたいですか?』と聞いてきました。私は色々言ったところでどうせ日本語は分からないでしょうし、私も英語は得意ではないので、モルモンなんて聞いた事もないし、知ってもいいかなという気持ちになりましたので、『知りたいです』と答えました。その宣教師は大変喜び、その場で家庭集会の約束をされました。
 そして宣教師とのレッスンが始まりましたが、下宿先のおばさんから東京には不良外人が多くいるので、注意するように言われていましたので、もし彼らが不良外人だったらという不安もあって、一人ではどうも心もとないので、当時東京に来てから友達になった全ての九州から来た友達を連れ一緒に家庭集会を受けました。何回か受けているうちに、友達は一人抜け二人抜け、結果的に私一人が最後まで残ったのです。かなり長い時間かけて家庭集会を終え、『ジョセフ・スミスの見神録』を聞き、『神の存在』を知り、また暖かい宣教師の心に触れて、いよいよバプテスマを受けることになりましたが、18歳でしたので親の許可が必要だということでした。その前に下宿のおばさんは私のことを九州に手紙で知らせていて、そのために母から大変小言の手紙をもらいました。予備校生の分際で宗教に入るよりも勉学に励む方が先だと言うことでした。つまり親は反対でした。親から見ればこれは当然なことでしょう。が、親からの良い返事はもらえないとわかったので、私は親から許可を得たと言って、自分の責任でバプテスマを受ける事にしました。
 当時私は年に1、2回頭痛に襲われることがありました。おそらく小さい時大変な熱病にかかり41度の熱に丸2日間犯され、そのためにこの頭痛が生じたのだと思います。なぜなら親から時々頭痛がしないかよく言われておりましたので、今考えればその小学生の頃の熱病による頭痛が生じることがあることを医者から両親は聞いていたのであろうと推測しています。私自身には何も教えられてなかったので、全くそのことは知りませんでしたが、不定期にくるこの頭痛は当時の私にとって持病なのかと考えておりました。
 バプテスマを受ける当日、ちょうどその頭痛の日に遭遇しました。日曜日集会後、池袋から山手線に乗って恵比寿駅まで行き下車、そこから徒歩で今の東京神殿の場所にあった北部極東伝道本部まで行きました。この時代正式なバプテスマフォントは東京横浜地区を含めて、この場所にしかなかったのです。頭痛はさっぱり治りませんので宣教師と一緒に伝道本部に向かっている間、何度も「今日はバプテスマをやめようか?」と心の中に浮かんで来ましたので、宣教師にそれを告げようかと思いました。恵比寿駅のホームについて下車したとき、宣教師に今日のバプテスマを断ろうと思ったちょうどその時、まったく偶然にも同じ高校で学んで東京にやって来ていた、旧友に会い、そちらの方に心が向いてすっかり宣教師に断る言葉とタイミングを失ってしまいました。
 やがて伝道本部に着き、バプテスマを受けるスタイルになり、フォントで宣教師からバプテスマを受けました。頭痛は全く治りません。白衣から通常の服装に着替え、確認と聖霊授与の按手礼を受けるために、椅子に座りました。当時東京北支部の支部長(支部会長)、福田濃兄弟が私の頭に手を置いて、その他そこに出席された全ての宣教師と何人かの兄弟たちが手を置かれ頭が重くなったのを感じました。福田支部長が、私の名前を呼び。『汝、聖霊を受けよ!』と言われた瞬間、まさにその瞬間思っても見ないことが私の体を包みました。今まで頭痛だったことがピタリと止まり、同時に体全体がものすごい暖かさに包まれ、そして、つま先から頭のてっぺんまで軽くなっていく自分に気付きました。本当に不思議な、生まれて初めての経験でした。祝福が終わってまた同じように頭痛が戻ってきました。
 しかし私はこのような経験があるために、信仰に浮き沈みはありましたが、主を思い出しこの時の経験を思い出し、教会を離れることは出来ませんでした。主はおそらくこのことを通して、主の前にへりくだることの大切さと、主に心を向ける大切さ、主の油注がれた者の祝福は本物であり神から来たものであることを教えてくださったのでしょう。このことを心から主の御名より証いたします。

  •  工藤兄弟、素晴らしい証をありがとうございます。
     工藤兄弟のような、日本の教会の発展がはじまったころの先駆者の証を聞くのはとても御霊の促しを受けます。
     私も、自分自身が祝福を受けたり、召されたり、また、年を取ってからは、私が人に祝福を与えたり、召したりしているとき、多くの時、体中が温まり、涙が出たり、主の思いを感じることが多くあります。
     いつも自分自身がそのような状態でいられるようにしたいものです。 -- 丸山幹夫 2020-03-04 (水) 11:21:20
  • 山高帽伝道見たかったですね。文字伝道は知っています。長老たちが道路に文字を書いて
    人がそこへ集まる、当時の宣教師たちの人の足を止めさせる工夫に感心します。生涯を貫く神聖な経験をされて聞く者にもその祝福が伝播されるようにシェアしましょう。 -- 岸野 みさを 2020-03-05 (木) 11:11:33
  • *丸山幹夫兄弟、こちらこそ証をありがとうございます。おかげさまで昔の純粋な頃の事を思い出しました。丸山兄弟の娘さんご家族が府中にお住まいになられ、ご主人は府中のビショップでしたが、先日、兄弟はビショップを解任されました、本当に素晴らしいビショップとご家族だと心から思っております。丸山兄弟姉妹が娘さんをしっかりと福音に沿って育てられたことがわかります。そして娘さんも良い兄弟と結婚され素晴らしいご家族を作られていることを知ることができております。川島家に感謝と丸山家に主の祝福を祈ります。

    *岸野姉妹、昔の宣教師たちは本当に奇抜な伝道をされてましたね。昔は宣教師達とかなり緊密に会話をしたり歌ったりゲームをしたりスポーツをしたり、家庭集会に参加して宣教師の伝道を手伝っていましたね。昔の宣教師は2年半の伝道でした。おそらく直接にその国に行くためにその国の言葉と習慣に慣れるために今現在よりも半年長く電動時間が設定されていたのでしょうね。懐かしい思い出です。 -- 工藤駿一 2020-03-05 (木) 12:51:47

認証コード(4606)

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional