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2021.05.15 自分史・家族史「納涼祭あれこれ」 投稿者:岸野みさを

 かの北条氏照の築いた城下町だからと知っていたわけではなかったが、私ら夫婦はあちこち探したあげく、南向きひな壇のここ松子舞団地が「その地である」と子ども二人を連れで館が丘団地から移ってきた。時は昭和60年(1985)12月だった。念願のマイホームを手に入れることができたのだ。ここは昭和30年代までは長閑な里山風景だったそうだが、昭和40年代になると経済の高度成長に伴い八王子市の人口が急増し、市では各地に宅地造成を行い松子舞団地もその一つであった。造成工事が始まったのは昭和45年(1970)だった。引っ越してきた三年目の63年(1988)に主人は第17代地区会長に推されてしまい、「この地域の事情がよく解っていないのに引き受けてッ」と私は苦言を呈したのだった。

 昨年2020年「松子舞団地の歴史」~50年の営みを振り返る~という記念誌を作るため原稿の依頼が元地区会長たちにあった。32年も前のことを思い出せるわけがなかったが、幸い私がつけていた日記の下記文章から夫は抜粋して投稿することができた。

 8月7日(日曜日)納涼祭のやぐらを組み建てる為に集まった。9時に集合して男性はやぐらを、女性の半分は花つくりで殆どが役員夫妻の31名だった。毎年土建業の白鳥さんが鉄骨を寄付した上に、その鉄骨でやぐらを組んでくれているということで、今年もまた、奉仕して頂いた。昼食は内倉食堂のカツドンで、どなたかの(当時はわかっていたが、今は誰なのか思い出せない)ジュースの差し入れがあった。又、副会長の下山さんがとてつもなく大きなスイカ(一玉15kg)を山形の実家から運んでくれた。甘くてとても美味しかった。副会長の浜田さんも働き者で女性陣もさっさと仕事をこなしていた。終わったのは15時過ぎだった。皆一致して熱心に事に当たっている姿が頼もしく力強かった。

 8月19日(金曜日)盆踊り当日
朝ザーザーと雨が降っていた。昼ごろ曇ったかと思いきや雨雲が流れてきて、又、ザー。
なにしろ盆踊りができるかどうかで9時に集まったものの、また、15時に判断しようとなった。15時過ぎ、ものすごいドシャブリが5分くらい続いて、しばらくするとようやく雨足が安定してきた。
元八一丁目は朝の段階で早々盆踊りを取り消したそうだ。松子舞の役員一同は最後まで諦めなかった。雨雲の方が諦めてくれたかのようで盆踊りは無事開催することができた。7時から9時まで楽しく過ごした。
缶ビールのセンを抜いて来客に出す責任を果たしていた私だったがアルコールの匂いで頭がクラクラしてきた。私らは酒類を一切呑まないせいだった。

 夫が任期中に自治会館運営要領作成と自主防災組織作りができた。

 完成した「松子舞団地の歴史」を拝読していて<松子舞余話>知られざる水道の水質管理、について2019年第48代地区会長進藤丕氏の文章をご紹介したい。

 昭和47年に松子舞団地への入居が始まったが、当団地は高台にあり高尾街道より海抜が15~20mも高いため、市の水道管を接続しても圧力不足で水が出ない状態であった。そこで八王子市住宅供給公社では西公園の土手の上に巨大な貯水槽を設置して、そこから各戸に配水する水道システムを構築したのである。(この水槽は平成21年に撤去された)ポンプ室は松子舞団地入口坂道の右側に設置され、現在も残っている。
 問題は、水質を如何に管理するかであったが、19ブロックの南側に補助タンクを設置し、ここで八王子市の職員が毎日定期的に水質(塩素濃度など)をチェックしていた。
八王子市の職員が毎日通って来るのは大変だからと言って水質管理を依頼された5ブロックのKさん夫妻はボランティアで気軽に引き受けたものの、一年365日毎日午後8時に検査を実施するという業務でさぞ大変であったと思う。何とこの業務は昭和48年12月から市の本管につながる昭和59年までの約10年間も続いたという。水道水の安全確保にはこのように陰にかくれた地道な作業があったことを知っていただければ幸いです。

  • とても懐かしく読ませていただきました。
    私も経験がありますが、地域の活動や繋がりは大変ですが、必要な事だと思います。 -- 丸山 幹夫 2021-05-16 (日) 16:25:13
  • コメントありがとうございます。静御前のように「昔を今に成す由もがな」と呟いています。 -- 岸野 みさを 2021-05-16 (日) 19:25:03
  • 誰かの奉仕のおかげで、皆さんが安心して暮らせる事になったのですね。継続して奉仕するのは、本当に忍耐と慈愛がないと出来ない事です。Kさんの働きに脱帽です。人の為に働く人は、誰かの為になどとは考えず、必要ならやりましょうと、買って出てくださる精神が、自然に備わっている方なのでしょうね。そういう方々で、世の中は回っていると思います。感謝ですね。 -- 牧瀬美代子 2021-05-16 (日) 21:35:03
  • 今日に至るまでお名前も明かさないのですから、奉仕奉仕と騒いでいる私たちが恥ずかしいです。 -- 岸野 みさを 2021-05-17 (月) 13:19:27
  • 10年間、1日も休まず奉仕されたKさんのお話に感動しました。岸野ご夫妻が地域に溶け込まれてご活躍の様子も嬉しく拝読させていただきました。ありがとうございます。3年前、私の住む地域で“青パト隊員募集”という記事のチラシを見ました。以前から住むこの地域にこれまでお世話になったこと(移り住んで20年)で何か恩返しをと思っていた矢先のことでしたので、すぐに申し込みました。青パト隊というのは、さまざまな犯罪に気をつけましょうとプロの方の声を録音したものを拡声器で流し青いランプをつけた車で町内を廻る人たちのことです。行政と警察からの正式な委任を受けた活動です。その最初の集まりに行って、びっくりでした。参加される多くは市会議員さんや町内会長レベルの方々、いわゆる以前から喜んで奉仕活動をしているような方々でした。あれから3年、青パトのそれは非常に地味な活動です。でもそれが地域の犯罪防止に少しでもお役に立っているならという想いだけで続いてきました。そしてもう一つ、一緒に廻る方々が皆真面目で無断欠席することなく、実に楽しそうに参加され続けているという模範があったればこそです。
    -- おーちゃん 2021-05-18 (火) 15:45:52
  • 青パトでご活躍されていて楽しそうですね。コメントありがとうございました。
    地域に出向くことは末日聖徒として大切なことです。安息日を守るために、公園の掃除や集会に欠席した過去何十年間を後悔していた指導者がいました。折角の地域住民との交流の機会を逃していたわけです。言葉と行いによってみ言葉を伝えなさいと教えられている私たちですが、やはり行いが最も効果と力を持っていると感じます。植えられた場所で咲きそして実る、その実によって見分けられると痛感しています。教会員である無しを問わない原則だと思います。 -- 岸野 みさを 2021-05-18 (火) 19:31:43

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