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2021.06.04 穀粒記者レポート・『祝穀粒8周年記念―ノブレス・オブリーズ』投稿者:岸野みさを

 日本国民は全体として民度の高さで見ると世界一の国と言われている。
「民度とは特定の地域・国に住む人々または集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる」

 2011年3月11日の東日本大震災における被災者の行動パターンは世界の賞賛を集めた。
暴動や略奪が起こらないだけでなく、避難所の配給でも列を作って順番を守り、弱者に対する譲り合いの心があった。災害時にこうした行動ができるのは一朝一夕に形成されたものではなく人々の根底に「武士道」の教えが根付いているからだ、と平野尚紀氏(心理カウンセラー)は説いている。
取り乱したりせず、冷静に対処できるのは略奪や暴動を恥だと考える「名誉」の心があるからで、順番を守るのは礼節を重んじる「礼」の心、正直さを表す「誠」の心であり、譲り合いは優しさの「仁」の心だと言う。

 これは日本においても欧米社会の基本的な道徳観である「ノブレス・オブリージュ」と同じものであると言われている。フランス語のノブレス・オブリージュとは「社会的な権力や地位を持つ者は相応の責任や義務を負い、身分に相応しい振る舞いをしなければならない」ということである。

 伊吹文明元衆議院議長が2020年12月3日に自民党会合に於いて次のように語った。
秋篠宮殿下が誕生日会見で、憲法に『結婚は両性の合意のみに基づく』とあるので眞子さまの結婚を認める、と発言されたことに対してのものだと思うが、以下抜粋すると

 「国民の要件を定めている法律からすると、皇族方は人間であられて、そして、大和民族・日本国民の統合の象徴というお立場であるが、法律的には日本国民ではあられない。
眞子さまと小室圭さんの結婚等について結婚は両性の合意であるとか、幸福の追求は基本的な権利であるとかマスコミが色々書いているが、法的にはちょっと違う」と述べられた。

 日本人ではあられるが、日本国民ではあられない、ということはどういうことか調べてみた。以下引用文。

1,天皇や皇族には戸籍や苗字がない、戸籍がないので住民票もない。その代わりに身分を証明する皇統譜及び称号・宮号がある。
2,国勢調査には皇族は入らない。人口は「日本国民」の総数である。
3,参政権も被選挙権もない。選挙は「日本国民」が国会を構成する議員を選ぶものであり、国民ではない皇族が選挙権を行使する立場にはない。
4,旅券は日本政府から日本国民に支給されるものだから、皇族は対象外である。
(引用文終り)

 小林節慶応大名誉教授(憲法学)は5月19日のコラムで「皇族の人権と制約 天皇制を支える公人としての特権と義務」について次のように公開している。(抜粋)

 歴史上、天皇に近づいてその権威を利用しようとする人物はいくらでもいた。だから、現行憲法は、皇室との財産の授受を国会の管理下に置き(8条)、皇室の財産は全て国有とし、同時に、皇室の費用は全て国会の管理下で税金で賄うことにしてある(88条)。

 以上要するに、日本国憲法の下で、天皇は最上位の権威が認められた「唯一」世襲の公務員であり、皇族はその天皇を支える公人たる家族である。従って、その地位にふさわしい高額の公費とそのお世話に特化された行政庁(宮内庁)に守られている。

 だから、婚姻の自由(24条)についても、皇族の場合、当然、普通の国民と同様に「両性の合意のみに基づいて成立する」ものではないはずである。象徴天皇制を支える公人としての特権の代償として、象徴天皇制を毀損しかねない事実関係の結婚は、それが本人の意思であろうとも、皇族の立場にある以上は認められないというのが、憲法的条理であろう。
(引用文終り)

 神武天皇以来男系男子によって約2700年間続いている「万世一系」の天皇と皇室の存在は日本の歴史の中心であり、いつの時代も日本人の精神的支柱の存在であり、国民に尊崇されてきた。

 それが今回思わぬ形で皇室に危機が忍び寄ってきた。
眞子さまは週刊朝日3月26日号によれば1万3057人のアンケートの結果、97%がNOといっているお相手と皇室離脱後にご結婚することが既定路線になっているそうだ。皇室の尊厳、維持、安全保障のために諸悪の根源を切り捨てることは、眞子さまを含めた皇室が「生きていくために必要な選択」であるとはっきり言える。

 また、安定的皇位継承確保を論じる「有識者会議」が5月10日に4回目が開催された。
小室問題に言及された識者の言説が記録からそっくり削除されていることが明らかになった。各自がアンケートに回答を書き込み、それを説明するという形の会議だったが、小室問題は質問になかったから削除になったということらしい。女性宮家が設立されれば制度上圭殿下誕生となる。

 そもそもGHQの占領政策である皇室改革によって昭和22年(1947)10月14日に11宮家の皇籍離脱が行われ、その前年の1946年1月1日に「新日本建設に関する詔書」を発表するに当たり天皇の神格化を否定する「人間宣言」が行われた。1945年12月15日には「国家神道廃止例」が出された。

 GHQの目論見通り、皇室の弱体化によって、天皇と共に残された秩父宮、高松宮、三笠宮の直宮三家(昭和天皇の弟君)には現在皇位継承者がいないのである。

 それで今、旧宮家を復活させてはどうかという議論が持ち上がっている。

 ケント・ギルバート氏の「天皇という『世界の奇跡』を持つ日本」の中で彼は次のように語っている。
「もともとマッカーサーのさまざまな政策にしても「日本のため」というよりは「連合国やアメリカの利益のため」です。また、個人的に昭和天皇に対して尊崇の念を持ったとされていますが、天皇や皇室を残したのは、あくまで占領政策をスムーズに行うためという理由の方が大きかったと思います」(引用終り)

 よって、主権は国民にあるのだから、一人一人が安定的皇位継承についてのしっかりした考えを持たなくてはならない。また、日本という国家の象徴となって存在している天皇は、日本民族全体の圧倒的な求心力を持っているからである。

  • 難しい問題提起ですね。身分の高い方は、私的な幸せよりも国民の幸せ安泰を願うのが、今までの流れでしたが、最近は私的な幸せを望んで何が悪いと言う風潮ですね。私も、若い頃は思ったかも知れません。
    けれども、様々な経験を通して思うのは、他の人の幸せを願って行動する時に、不幸になる事はないのではないかと、思うのです。大抵の場合、自己を中心とした考えを貫くときに、失敗が起きている気がします。私も、先人の方々の言葉に耳を傾けておけばよかったと思う事が、ありました。人の意見を、真摯に受け止めて一度立ち止まって熟考するのは、大切だと思います。この思いに行きつくのに60年かかりました。
    若い方は、失敗してください。失敗から多くを学んでください。
    それが、私達が地上に生まれてきた理由ですから。試練のない成長はないと、教会の指導者の方もおっしゃっています。
    どんなに、転ばぬ先の杖を出したくても、転んでみないとわからない痛みもあるのだと思います。 見守るのは、苦しいですが……的外れなコメントでしたら、お許し下さい。 -- 文美 2021-06-04 (金) 14:09:54
  • コメントありがとうございます。眞子さまはご自分が皇族に生まれたことを、言うならば主のみ旨によって選ばれて皇室に誕生した不思議を考えなくてはならないと思います。
    今からでも遅くないので国民の声に耳を傾けて、ご両親や天皇を敬って、ふさわしい振舞の中に光を見出してほしいのです。 -- 岸野 みさを 2021-06-04 (金) 15:39:27
  •  ノーブレス・オブリーズ、どこからこのような言葉を見つけられるのですか。内容も考えさせられますね。
     日本国憲法もアメリカ憲法も神様の御心が入っていると思います。
     しかし、福音に勝るものはありません。イエス・キリスト様の統治される世界がもうすぐ来る備えを私達はしていますね。
     皆が福音を聞き受け入れるのは自由ですので、どのような世界がこれから来るのか? -- 丸山 幹夫 2021-06-04 (金) 18:09:53
  • 日本国民は民度の高さ世界一というのはうれしく理解できます。日本は古来武士道精神が脈々と受け継がれ、素晴らしい民族です。岸野さんの文章に新しい発見です。やはり神さまの方法で決定してほしいと思います。私個人としては圭殿下とは?です。 -- 徳沢 愛子 2021-06-12 (土) 20:19:29

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