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2022.01.16 自分史・家族史「贖いの喜び」 投稿者:A・T

2022.1.16 聖餐会のお話

 皆さんこんにちは。コロナ渦で教会にこうして集まれない期間、何かテーマを与えられて聖典を読んだり話を作ったりというのを全くしていなかったので、久々によい機会だと思い、聖典やらテキストやらを色々と調べました。
 すると納得いかない箇所、疑問なところ、よくわからないところが多くありました。単純に聖典勉強を自主的にあまりやってこなかったツケ、というのもあるでしょうが、大学の勉強のためにカトリック神学や反対に宗教学をやったりしていたので、その辺の知識が邪魔をしてしまい、誤った解釈などをしてしまったのも原因でした。

 話を準備するにあたり、祖母の岸野姉妹に電話をし、わからないところは聞くようにしました。それは大変参考になりました。ただやはりお祈りの力が大きく、それによってしっかりと準備することができたと思います。大学の授業で聖書を読む、ということを何回かやっていましたが、今回は信仰による聖典勉強の大切さを、お話を準備するにあたり改めて感じることができました。

 本日私に与えられたテーマは「贖いの喜び」です。まずは贖いとは何か、ということをしっかりと把握しないと、得られる喜びも無論分かりません。あまり日常では耳にしない「贖い」という言葉は辞書的には、賠償の古語で罪を償ったりする行為を指しますが、当然私達の教会の用語としては、イエス・キリストの贖罪と罪からの解放を指す言葉です。辞書的な「贖い」との違いは、個人的に犯した自分の罪に対する償いであるか、人の解放のためのイエス・キリストの御行為であるか、にあると思います。

 ではイエスによる贖いはいつごろから始まったのでしょうか。贖いの計画には創造、堕落、贖罪、律法、儀式、教義の全てが含まれています。ですから始まりはどこか、といえばだいたい全ての始まりからだ、と言ってもあまり差し支え無いような気もします。ただ重要なポイントというのがあります。それが創世記三章から四章で繰り広げられるアダムとエバの堕落の場面でしょう。

 私が一番、引っかかったのはこのあたりでした。堕落が計画の一部であり、よって堕落も我々の言う善悪では図るのが難しい、必要なことであるとされていたからです。今週の「わたしに従ってきなさい」には「アダムとエバの堕落は、この世に肉体の死と霊の死をもたらしました。さらには逆境や悲しみ、罪も入り込んできたのです。そのどれもが堕落を悔やむべき理由のように思えます」と書かれています。しかしながら勿論、悔やむべきことではありません。

 この部分を理解するには、聖書だけではなく、モーセ書を読む必要があります。
モーセ書第五章9節引用

 贖いとはイエス・キリストによる人類の罪の償いとさきほど言いました。ですから贖いのためにはまず罪が必要です。
 堕落する前のアダムとエバには罪がありませんでした。罪がないということは善悪もない、何かしらの規範もない、だから裸であっても平気だったのです。しかし罪が無い状態へ至るためには、まず罪がある状態にならなくてはなりません。罪がないようにするには、罪がなくてはならない、そのため、アダムとエバは堕落する必要があったわけです。

モーセ書第五章十一節。引用
 勘違いしてはいけないのは、今の私たちの罪というのはアダムとエバの罪がそのまま引き継がれているということではなく、自分の選択によって犯した罪のことです。
この辺りで頭のなかの余計な知識でごちゃごちゃしてしまい、個人的に改めて理解するのが阻まれました。あまり深く考えすぎるのもよくありません。

 モーセ書第六章五十四節から五十五節。引用
 アダムとエバの堕落、ここはとても大切な箇所です。ここから罪というのが生まれ、また私達子々孫々が生まれることとなるのです。

 今日のテーマは「贖いの喜び」でした。しかし、堕落したエバの喜ぶ様子や、そもそも贖いの計画は永遠の命をもたらす完全な福音であることをここにいる私達はすでに知っています。ですからこの喜びを今改めて言う必要はない気がします。

 ただ、ここにいる私達だけが、贖いの喜びを受けるわけではありません。もちろん死者にもそれが与えられます。リチャード・G・スコット長老は2012年の「死者を贖う喜び」というお話で、死者を贖う重要性、私達が死者のために儀式を行うことによって得られる祝福について強調されています。

 計画は果てしなく大きなものですから、今ここで生きる者という視点だけではなく、死者についても思いをはせる必要があります。こうした家族と先祖について結びつけ、ぜひ贖いについて考えてみてください。「贖いの喜び」を深く感じることができると思います。

ただ計画を知り、喜ぶだけではもちろん足りません。またジョセフ・F・スミス大管長は次のように教えています。

 引用
 イエス・キリストの贖罪によって人類は罪から解放され、復活ができるようになりました。この福音を信じ、この世では律法に従って生きる必要があるのです。贖いの計画の一部分のみに注目したのでは喜びを得るのは難しい。エバが喜んでいる聖句を読むとそのことがよくわかります。全てを知ったアダムとエバは嬉々として息子と娘に神の名とともに、いままで聖霊に言われたこと、預言を教えたに違いありません。

 最後に私の好きな聖句を分かち合いたいと思います。イザヤ書四十四章二十二節引用

わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、
あなたの罪を霧のように消した。
わたしに立ち返れ、
わたしはあなたをあがなったから。

 今日お話した全てのことがこの聖句に詰まっていると思います。
 イエス・キリストの御名によってお話いたしましたアーメン。

  • キリストが何故自らの血を流さなければならなかったのか?という質問にジョセフ・フィールディング・スミス大管長は「福音の質疑応答」の中で「アダムによって入った血は、贖罪によって流されねばならなかった」と回答しています。 -- 岸野 みさを 2022-01-19 (水) 18:58:07
  • 素晴らしい証に感謝しています。 -- 塚原俊英 2022-01-19 (水) 20:38:30
  • まず、旦君が大学生になった事に驚きました。
    月日の経つのは速いですね。

    旦君の年齢で、そんなに一生懸命に神様の事に目を向ける事ができるのは素晴らしいですね。
    第2ニーファイ2章24〜25節に、24 しかし見よ、すべての物事は、万事を御ご存じである御方の知恵によって行なわれてきた。
    25 アダムが堕落したのは人が存在するためであり、人が存在するのは喜びを得るためである。
    と書いてあります。そして、堕落と言うと日本人にとっては違う意味に解釈されてしまいますが、英語では「落ちた」と書いてあります。

    高い位からから落ちた訳ですね。
    ここだけ見ても、やっぱり聖書だけでなく、モルモン書が必要な事がわかります。この2冊が揃わないと完全な解釈は出来ない事がわかりますので、伝道が必要な事がわかります。

    万物を作った方の知恵を、理解するのは簡単ではないですね。私は、英語が得意ではないですが、宣教師さんの話を聞くと、微妙な解釈のニュアンスの違いを感じます。 英語の聖書も読んで見てください。 若いので、この先沢山時間があるので、これから益々知恵を増し加えられて行く事でしょう。楽しみです。素晴らしい証を有難うございます。(. ❛ ᴗ ❛.)



    -- 牧瀬美代子 2022-01-19 (水) 22:08:04
  • 理路整然とわかりやすくまとめられていてさすが!です。Aくんらしい素直なお話ですばらしいですね。

    子供たちも、とてもわかりやすかった!って言ってました。
    おばあちゃんという福音のアドバイザーがAくんにとって頼れる、また自慢のおばあちゃんなんだな、ってほっこりしました! -- サブストローム純子 2022-01-20 (木) 07:54:06

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