22121201松尾 ふみえ
Merry Christmas・・・2022クリスマスメッセージ
2022.12.12 穀粒記者レポート・『2022クリスマスメッセージークリスマスボックス』投稿者:松尾 ふみえ
2022/12/11 聖餐会のお話より
クリスマスは私たちにとって特別な時間となってきした。愛するための時間、与えるたの時間、思いだすための時間です、とウークトドルフ長老はおっしゃいます。この季節に私たちは今から2000年以上昔に誕生したイエス・キリストについて思いを馳せます。そしてエス・キリストの教えと生涯を聖典から紐解き、神が私たちのためにして下さったことを再び思い起こし感謝するのです。
「恐れるなみよ、すべての民に与えられる大きな喜びをあなたがたに伝える。きょうダビデの町にあなたがたの為に救い主がお生まれになった」
クリスマスについて思う時、沢山のことが心に浮かびます。みなさんもきっとそうだと思います。私たちの心の中にあるクリスマスの思い出を入れた箱を仮にクリスマスボックスと呼びましょう。皆さんの心のクリスマスボックスの中にはどのような出来事が詰まっていますか?
家族と共に暖かいリビングで食べたご馳走のことでしょうか?大きなクリスマスツリー。毎年の我が家の伝統。教会のクリスマスパーティでの出来事。聖典で毎年読んだキリストの降誕。クリスマスの演劇。友人と共に祝った年。独り暮らしの方を訪問した、家族を失った悲しむ方の元へ、貧しい人に食事を届けた年。初めて受け取ったクリスマスの贈り物を覚えていますか?きっと沢山の出来事がクリスマスボックスには詰まっているのでしょう。
クリスマスボックスは多くの愛が詰まった箱ですがこの中身は個人個人でみな違うものです。子どもに対する愛や恋人、他者に対する愛、親や家族に対する愛もあります。愛にはいろいろな形があります。
今から50年ほど前高校生だった私は学校の行事で映画鑑賞に行きました。映画館は貸し切りでしたが、座席に座れない沢山の生徒が通路の階段に座ったり、数人で立ち見をしていました。
あたりがゆっくりうす暗くなると同時に大きなスクリーンの画面にはゆっくりと空を移動する赤星がきらめいていました。この「ベンハー」という題の映画はイエス・キリストの降誕を表す場面から始まり、そして十字架の死をクライマックスで描いています。ベンハーという貴族の男性が友人の裏切りにより、家族や財産を全て失い、奴隷船に乗せられ、自分を裏切った友人への復讐のために生きる、というあらすじです。
彼の人生の所々に伝道するイエス・キリストの姿が映し出されます。横顔であったり、後ろ姿であったり、群衆を前にみ言葉を語られる姿であったり、ベンハーは後に死んだと思っていた母と妹がらい病にかかり死の谷で生きていることを知らされます。唯々憎しみに心を囚われている彼にイエスのみ言葉をきいてみるように勧める婚約者がいます。物語の終盤ベンハーは十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かうイエス・キリストに会います。キリストは鞭で打たれ、茨の冠を被せられ、体の至る所は傷だらけになっていました。
ベンハーは気づきます。彼は自分が縛られ、引きずられて奴隷船に連れて行かれる時に矢をも恐れず、自分に水を与えてくれた人だったという事を。
ベンハーはイエスの十字架を代わって担ぎます。イエスを救ってほしいと叫ぶ人々やイエスを囲む大勢の兵隊、十字架につけよ、殺せ、と叫ぶ群衆と共にゴルゴダまで行きます。そして聖書にあるように彼らはイエスを十字架につけて槍で突いて殺したのです。
ベンハーは婚約者に言います。イエスは「父よ彼らをお許しください、彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と。ベンハーは自分の持つ憎しみが愚かであったことを知ります。イエスの死んだ後、暴風や雷鳴の後、らい病にかかった母と妹は癒されます。
この素晴らしい作品は後に多くのアカデミー賞を受賞しますが、見た人の心に大きな感動を与えたのはいうまでもありません。クリスマスはイエスの誕生と共にゲツセマネとイエス・キリストの十字架の犠牲と贖いを思い起こす時でもあるのです。
ホランド長老は2003年の総大会で神を愛するというイエス・キリストの使命についてこうおっしゃっています。神の愛、すなわちご自分の子どもたちに注いでおられる深い愛についてはキリストがおいでになるまでは十分に知ることはありませんでした。天の父が慈悲と恵みに満ち、怒るに遅く、長く耐え忍び慈しみのお方であることをキリストの死を通して宣言しておられたのです。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛して下さって、私たちの罪のために贖いの供え物として御子をお遣わしになった、ここに愛がある」なんと深遠な真理でしょうか。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを心から愛して下さったのです。この深い愛を私たちはどのようにお返ししたらよいのでしょう。
このお話を準備していた時、私は夫に「あなたのクリスマスの思い出は何ですか?」と尋ねたところ「自分は社会に出てからのクリスマスはケーキを何十個、何百個と作ってばかりで、どちらかというとクリスマスはクルシミマスという感じだった」と言いました。けれども舘ヶ丘団地にいた時、クリスマスでも夜遅くまで子どもたちの病気をみてくれた石井小児科と、私たちの安全を守ってくれた駐在所のおまわりさんの元に毎年家族で届けたクリスマスケーキの思い出は良いものだったと夫と話しました。確かに私たちは毎年その2件と、その年に悲しい出来事に見舞われた家族などにケーキを届けていました。その中の一つの思い出をお話します。
夫がビショップだったとき、りりはちゃんから2通のお手紙を頂きました。一つは夫宛でもう一通は天のお父様当てでした。彼女は覚えたての平仮名で一生懸命に書いたと思われる文字でA4サイズ一杯に書かれていました。クリスマスにケーキが欲しかったのに何かのわけがあってそれが無くなってしまった時のことだったそうです。
(手紙の文面)
まつおきょうだいへ
ケーキつくってくれてありがとうございます。りりはのじゅうぶんのいちがかみさまのところにいっていることがわかりました。いつもわたしてくれてありがとうございます。
りりはより。
かみさまといえすさまへ
りりはにケーキをつくってください、とまつおきょうだいにいってくれてありがとうございます。じゅうぶんのいちをしたらしゅくふくをくれるってわかりました。また、じゅぶんのいちをします。かみさまといえすさまだいすきです。
りりはより。
そしてイエスさまの絵が描かれていました。
クリスマスボックスの中は愛で満ちています。私たち一人一人はキリストの光を授かって地上に来ます。救い主の模範に倣い主が生きられたように生き、主が教えられたように生きる時、その光は私たちの内側で燃え、人々のために道を照らします。私たちは救い主がなされたことを行うことによって救い主を知ります。人に奉仕する時、自分も奉仕を受ける人も主に近づきます。
モンソン長老はおっしゃいました。
「惜しみなく誰かのために金銭を与える人は心の広い人であり、時間を与える人はさらに心の広い人である。しかし、自分自身を与える人は誰よりも心の広い人である。」
この言葉が似つかわしいクリスマスの贈り物をしようではありませんか。
今年のクリスマスボックスの中に私たちが入れる思い出はどんなものでしょうか?
楽しみです。イエス・キリストのみ名によりアーメン。
- 高校生の姉妹の若い心に伝道しているキリストの姿がくっきりと刻まれたのですね。それに倣って、その業を行っているお二人にキリストの光を見ることが出来ます。今年一年お世話になりました。ありがとうございました。 -- 岸野 みさを 2022-12-15 (木) 10:46:38
- 松尾姉妹の行いの中に、キリストの特質を見ることがあります。模範を示して下さり、感謝しています。来年も、更なる恵みが注がれますように。 -- 牧瀬 2022-12-15 (木) 11:11:51
- 松尾兄弟、松尾姉妹、りりはちゃん、ありがとうございます。 -- 塚原俊英 2022-12-17 (土) 08:44:41
いただいたコメントは即座に反映されないことがあります。送信後は30分以上お待ちいただいてからご確認ください。