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2023.04.06 自分史・家族史「主人との出会い」 投稿者:オーマン 康子

主人との出会いや家族について述べようとおもいますが、この本題に入る前に私がアメリカに渡る前のことから話をはじめます。まずなぜ私がアメリカのソルトレークに行くことになったのかですが、それを述べる前にさかのぼってみます。今でも日本の各都道府県に青少年海外研修というプログラムがあるかどうかわかりませんが、私が20代だったころ、私の故郷の群馬県では県内に居住する青年たちを募って短期間ではあるが、海外体験をさせて、見聞してきたものを県内に役立てて欲しいという主旨で農業に従事する青年、行政に従事している青年、なにがしかの社会奉仕に携わている青年、福祉事業に携わっている青年等々を募りヨーロッパの国々(5か国)をめぐるものでした。私は当時教会員として生活している中で社会奉仕に興味をもっていましたので、応募しました。恵まれて海外研修団の一員として選ばれ、ほかの青年たちと日本をでて、研修してきました。訪問した国の中で私が一番興味をもったのはオランダで見聞きしたことでした。帰国して私はどうにかしてまた、オランダへ行きたいとおもいましたので、すぐに日本にあるオランダ大使館に手紙を書き尋ねてみました。しかし、考えてみるに知り合いがいるわけでもなく、言葉も知らない私がその国に行ってもどれだけ十分に学べるかということでした。そうしているうちに、頭の中に教会がそして教会は人々への福祉も重要視していることに気がつきましたので、そこで国を変えてアメリカに行こうと決心しました。アメリカのソルトレークには末日聖徒イエスキリスト教会の本部があり、私が東京の吉祥寺にある教会に出席していたころ、知り合った人もいるので、そこへ行くことにしました。アメリカについてからは知り合いのお宅にお世話になりながら、先ずはボランティア活動に参加し、学校へも行くことにしました。活動は老人施設で生け花をどのように美しく生けたらよいのかを教えてあげることにしました。そして学校では専門のクラスを取る前に先ずは語学の上達をとおもい、そのクラスをとりました。クラスは海外(メキシコ、ペルー、アルゼンチン、スイス、イラン、サウジアラビア、日本等々で他からの国の学生もいましたが、忘れました)からの学生でしたので、語学以外の彼らの国、言葉、習慣、文化、食べ物等々についても学ぶことが出来ました。そして語学クラス終了後、私は医療関係のセクレタリーコースを勉強しようと決めましたが、そこで1つ問題は私はアメリカにそう長く滞在するつもりはありませんでしたので、このコースを取ることで時間が足りないということが確実でしたが、とにかく始めました。そのクラスは難しいところが多々ありましたが、とにかく毎日が家と図書館とクラスの生活でした。

さて、これから本題に入ることにします。つまり、主人との出会いや家族についてです。
語学クラス終了後、ある方の紹介を受けて私はユタ大学からすぐ近くに住み、大学で教鞭をとっている教授の家庭に住まわせていただいていました。彼らには4歳になる娘が一人いました。夫婦ともに大学で教えていましたので、二人が同時に教えている間、私がベビーシッターをして、彼らのどちらかが家にいる時は私はクラスに出かけるという具合でした。とても私には気を使ってくださって、クラスに支障がおきないように考えてくださり、私もよくスケジュールを考えて組んでいました。それから彼らは教会員ではありませんでしたが、とても親切に全面的に協力してくださって教会には集えるようにしてくださいました。ワードに出席している会員のほとんどは大学生もしくは大学院生でした。集会が開かれる教会堂は三つあり、そのうちの一つが私の通っていた教会堂でした。後の私の主人となる彼(名はポールといいます)は別の教会堂につどっていました。近くてもワードが違いますので、お互いに会うということはありませんでした。しかし、若者のワードですから、色々なプログラムがありましたので、そのプログラムによってはほかのワードの会員に会う機会は多々ありました。そのプログラムで当時一番活発に行われていたのがダンスパーティでした。私は忙しい毎日で、そのようなパーティに出ることはしませんでした。ダンスパーティでも最大のものは年末、州議事堂内で行われるものに魅力があり、沢山の若者がつどいました。ダンス(このパーティはフォーマルダンスでしたので、男女共に盛装しての参加でした)をしておしゃべりをして、楽しい時間を過ごせたと思います。しかし、私はそれすらも参加はしませんでした。私には学校で知り合った日本人女性の友達が何人かいました。彼女たちは勿論そのダンスパーティに素敵なドレスを着て参加していました。偶然にもそのパーティに出かけることになっていた彼(後の主人)と一緒に出掛けるそのお友達に出会いました。その時、その友達が私とあったことから、彼を紹介しましたがただそれだけのことでした。その時の彼がどう私について感じ思っていたのかは知るよしもありません。後日、電話が私にかかってきました。かけてきた人はパーティに行こうとしていて偶然に会った彼でした。どうして私の電話番号を知り、私に電話してきたのか不思議に思いました。彼がいうには別のダンスパーティにいったとき、そこにいた別の私の友達から私の電話番号と住所を聞いたというのです。私は彼からの電話でローラースケートに行かないかと誘われました。私は一度もローラースケートをしたこともないので習うにはよいチャンスではあるが、勉強に忙しくしていることでもあったので、少々ためらいましたが、これも数時間の経験をしてもよいのではないのかなと思い、また彼は別な女性とデートをしているので、出掛けることに承諾しました。当日迎えに来てくれた時、驚いたことに私以外に何人かで行くものとおもっていたのですが、私一人でした。とにかく失礼にならないようにして、出かけましたが、それが彼と私の初のデートでした。私たちのお付き合いはその後も続きましたが、どこかに出かけて行って楽しむというより一緒に座って、よくおしゃべりをしたことが多かったように思います。最初の頃は話した内容に関連した本など、彼は家のドアのところに置いて行ってくれたので、確かに受け取ったことへの返礼で電話したりして、そこから話が更に弾んだりもしたのですが、これは彼の私との交際をつづける手立てだったかと後になっておもいました。デートは頻繁に行われたわけでもありませんでしたが、話題は家族のこや将来のことそしてタバナクルの練習風景を聞きに行ったり、劇を見に行ったりしました。しかし彼は私とのお付き合いだけではありませんでした。当時の男女のデートは現在のデートとは異なっていて、約束事つまり、婚約するまでは誰とでもデートを重ねていくというのが一般的でした。それ故に、私は気が楽でもありました。11月の下旬に初めて会ってから、彼が私への思いを打ち明けたのは極めて早かったように思います。打ち明けられたときは戸惑いました。というのは彼はアメリカ人であり、結婚することになれば私は日本にいる自分の両親、家族、親戚そして友達を置いて新たな環境にと思うとそう簡単には一緒になろうという気持ちにすすみませんでした。しかし、別な気持ちは教会員になって以来、私の目標は永遠の結婚を望んでいましたので、その両方を考え、思いめぐらして結論を出すまでに随分と悩み、時間がかかりました。結局私は教会員として将来どう生きていくべきかを重きをおいてすすめていきました。そして1981年6月12日にマンタイ神殿で結婚しました。この日は彼の大学卒業前日でもありました。この神殿を選んだのも二人とも考えていたことが一致したからでした。出会って結ばれる日までは色々なことがありましたが、しかし、私たちはよい結論をだしたとおもっています。そして既に40年以上がたちました。人の出会いは様々です。そしてその出会いは人生の中で大変貴重な経験となり、後の生活に影響を与えるものとなっています。主人と私の出会いは幸福になるべくしての出会いであったかもしれません。

  • 思わず引き込まれて読み進みました。何事にも前向きで積極的に、懸命に前進して行く姿に力強い生命のパワーを感じました。姉妹は神の心にかなう娘、ワンダフルです。ローラースケートとかタバナクルの練習風景とか観劇とか読書の話とか、かけがえのない青春の宝物のような思い出が今も輝いているのですね。そうやって幸せの道をかち進んできた姉妹とご主人におめでとう!と申し上げます。 -- 岸野 みさを 2023-04-07 (金) 18:32:57
  • 国際結婚、勇気が必要ですね。決断するまでに、冷静に色々と考えていらしたのが、素晴らしいとおもいます。若さや、感情に任せて動くのではなく、素晴らしいと思います。 -- 文美 2023-04-08 (土) 09:06:51
  • アメリカに住まわれた理由がよくわかりました。ありがとうございます。こうやって思い出を語って載せることができる「穀粒」や「サムエル」という紙面と出会えたことも主の恵みではと思います。日本の大和なでしこの活躍に感動です。益々のご発展を祈念いたします。 -- 高橋幸夫 2023-04-09 (日) 16:23:52

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