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2023.04.22 自分史・家族史「神が楽しく語られた物語『ヨセフとその兄弟』」 投稿者:芥野 正己

"今回はキリスト教徒が書いたユダヤ人の祖先、つまり旧約聖書を題材とした小説を紹介したい。
タイトルで分かる通り、兄たちによってエジプトに売られたヨセフを主人公として、大長編小説に仕立てたものである。その分量は、文字数とページ数でざっと計算すると、旧約と新約の聖書を合わせたくらいになる。
日本では筑摩書房から全三巻の大きくて重たい本で出されている。全体は四部構成になっており、その概要は以下の通りである。

第一巻:第一部「ヤコブ物語」、第二部「若いヨセフ」父ヤコブの家庭内での兄とその家族たちとのいさかいと逃亡の顛末、そしてラケルとの運命の出会い、ラバンの家で過ごした年月が、高踏的な文章でありながらユーモラスに描かれる。そして第二部では若き日の父のもとで過ごした時代のヨセフの物語。
聖書を読んだだけではディテール不足ゆえに腑に落ちなかった事柄が、作者の想像力によって補われ、首尾一貫した物語になっている。私は若いころのヨセフを鼻持ちならない奴だと感じていたが、ちゃんとそのように描かれている。これは作者の聖書の理解と洞察
によるところが大きいのではないか。
この巻のクライマックスはヨセフが兄たちに袋叩きに遭い、穴に投げ入れられるところ
だが、本作ではこの穴を水の枯れた井戸(つまり地面より下)と設定している。そして半死状態のヨセフがそこで三日を過ごしたことになっている(聖書には記載なし)
「……若者は母親の胎のなかから生まれたばかりのように汚れた姿で穴のなかから引き上げられ、いわば二度誕生したとも言えよう……」(本文583ページ)

第二巻:第三部「エジプトのヨセフ」
商人に連れられエジプトに下ったヨセフが、巨大建造物であるピラミッドを見上げるシーンのイメージからこの巻は始まる。テキサスやアイダホあたりの農場で育った純朴な田舎出の青年が、ニューヨークで摩天楼を見上げる場面を想像してしまった。

この巻は聖書では創世記39章の1節から20節なので、おおむね1ページだけなのだが、それにまるまる一冊費やしている。いったいどうしてこんなことになっているのか。

ポテパルとその家族、使用人たちに個人名が与えられ、その造形に作者は意を砕く。特に重要な人物はポテパルの妻。政略結婚で少女のときに宦官であるポテパルのもとに嫁いだ彼女にとって、生涯唯一、一途にこころを向けた恋の相手がヨセフであった。これはヨ
セフにとっては淫蕩な悪女の誘惑より手ごわかったかもしれない。
ポテパルの家でヨセフは貴人に仕える経験を積む。それはより大きな権威あるパロに仕える備えとなる。そしてすべての王であるかたの僕となる備えでもある。

第三巻:第四部「養う人ヨセフ」
最終巻はヨセフが監獄に送られる場面から始まる。王のもとから送られてきた未決囚の夢解きを行うことが、転機の原因となるのは聖書の記述通り。ここで作者は、この小説全体で最も大きな工夫を背景の設定で行っている。

実はパロの暗殺未遂事件があった。それは未遂に終わったが、この時期に老齢で病気勝ちだったパロは崩御し、代替わりが行われた。
聖書だけではしっくりこなかったことが、いろいろ納得できた。

1 料理役の長は有罪、給仕役の長は無罪というのは毒殺未遂ならありそう。

2 のちに高官となるヨセフだが、ポテパルとの気まずい再会がなかったのは、王の代替わりによる廷臣の入れ替わりがあったとすれば納得できる。

3 異国人であるヨセフが、最初から王の信頼を得たのはマユツバだったが、暗殺未遂が行われるような宮廷では、却って可能性があると思われる(敵対勢力のバックを心配しないでよい)

この小説の最大の読みどころは、パロとヨセフの対話だと思っている。つまり作者が最も書きたかったところだと想像できるのだが、圧巻の神学問答でもある。

・「ラケル」の名には「雌の羊」または「母羊」の意味がある。その子のヨセフは「子羊」である。

・やがてやってくる飢饉を乗り切るうえで、エジプトの政体では神の化身であるパロは直接政務を執れないために「代弁者」が必要である。その召しを受けるものは、(神である)パロと民との「仲保者」となるであろう。

 ヨセフとの問答を通して霊感を受けたパロはこう言葉を発する。
「お前がその人物なのだ!」

本作はドイツの文豪、ノーベル文学賞作家トーマス・マンによって、1933年から1943年にかけて発表された。ナチスによるユダヤ人迫害のさなかに、ドイツ人作家がユダヤ人の祖先の英雄を賛美する物語を書いていたことになる。

 ストーリー自体は聖書物語として進んでゆく。しかしディテール豊かに、心情こまやかに語られるとき、これを特別な物語と感じざるを得ない。私自身にとっては、はるか昔の神話や伝説に近い人々が、この20世紀の作家のペンを通して、身近な生きた者となった
ことに感謝を捧げたい。本文の最後の一節を引用して結びとしよう。
「……かくして
 ヨセフとその兄弟たちについて神が楽しく語られたこの美しい物語は終るのである。」

  • 芥野兄弟、ありがとうございます。 -- 塚原俊英 2023-04-23 (日) 06:11:47
  • 旧約と新約を合わせた位長い物語と聞いただけでも気後れします。作家の想像力には限界がないのですね。また、それを読破する芥野兄弟のような
    読者の皆さんに驚嘆と賛美を捧げます。 -- 岸野みさを 2023-04-23 (日) 17:48:42

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