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2019.11.11 自分史・家族史「永遠の救いの源であるキリストの贖いに頼る」 投稿者:武井 耕一

2019.11.10 聖餐会のお話より

 転職に伴う準備として、年金や保険の変更手続きをしています。年金や保険は、本人が保険料として支払ったお金が一定期間後に要件を満たす場合に払い戻される仕組みです。払い戻される額は、本人が支払った保険料や契約の条件により決まるので、契約に基づく権利と言えます。贖いによる祝福は、信仰、悔い改め、戒めを守るなど私たちの行いが条件になる点において契約に基づく権利と似た部分がある一方、主の恵みによって与えられる部分もあります。

 恵みとは、「信仰を実践し,悔い改め,全力を尽くして戒めを守る人に神から授けられる力。この力によって,人はこの世で数々の祝福を受け,永遠の命と昇栄を授かることができる。このような神聖な助けや力は,神の憐れみと愛を通して授けられる。」(聖句ガイド)七十人のジーン・R・クック長老は、1993年の説教の中で「恵みとは、「イエス・キリストのあふれるばかりの慈悲と愛を通して与えられる神の助けと力」です。それはまた「事を成し遂げる力」です。」(ジーン・R・クック長老、聖徒の道1993年7月)と仰っています。

 私たちが贖いに頼り、恵みを受けるために必要と感じた事についてお話します。

 第一に、弱さを理由に希望を失ってはいけないということです。私たちに弱さがあることは、贖いの計画の中で予め想定されているからです。「また神の御子は、御自分の民を束縛している死の縄目を解くために、御自身に死を受けられる。また神の御子は、肉において御自分の心が憐れみで満たされるように、また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを肉において知ることができるように、彼らの弱さを御自分に受けられる。」(アルマ7:12)

 弱さに直面するとき、悲観して諦めるか、弱さに立ち向かうかを選ぶことができます。弱さに立ち向かおうとするとき主の恵みを受けます。「主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」(IIコリント12:9)「わたしの恵みは柔和な者に十分であり、彼らがあなたの弱さに付込むことはない。もし人がわたしのもとに来るならば、わたしは彼らに各々の弱さを示めそう。わたしは人を謙遜にするために、人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して、わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり、わたしを信じるならば、そのとき、わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」(エテル12:26-27)

 第二に、心を頑なにしないことです。
素直な気持ち、柔和な心が恵みを受けるのを助けます。放蕩息子のたとえ話では、分けてもらった財産を浪費して飢えていたときに、息子が素直な気持ちに立ちかえったことが記されています。「『父のところには食物のあり余っている雇人が大勢いるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。」(ルカ15:17-19)帰ってきた息子を見た父親は、最上の着物や肥えた子牛を与えて息子を迎え入れます。もし、息子が実家には帰らないと意地を張っていたら、餓死していたかもしれません。

 第三に、自分にできる最善を尽くすことです。
ジーン・R・クック長老は、述べています。「恵みを得るためには、完全である必要はありませんが、戒めを守るためにできるかぎりの努力をする必要があります。そうすれば、主はその力を授けてくださるのす。・・・どんなに自分がふさわしくないとか弱いと感じても、もし私たちが最善を尽くすならば、主は私たちを助け、私たちに欠けているものを補ってくださるという大きな望みを持たなくてはなりません。」(七十人ジーン・R・クック長老、聖徒の道1993年7月)

 この原則は、聖典の中で繰り返し述べられています。「わたしたちは、子孫と同胞に、キリストを信じ、神と和解するように説き勧めるために、熱心に記録し続けようと努めている。それは、わたしたちが自分の行えることをすべて行った後に、神の恵みによって救われることを知っているからである。」(2ニーファイ25:23)「したがって、親愛なる兄弟たちよ、わたしたちの力の限りすべてのことを喜んで行おう。そして願わくば、その後、わたしたちがこの上ない確信をもって待受けて、神の救いを目にし、また神の腕が現わされるのを見ることができるように。」(DC123:17)

 ジーン・R・クック長老は、次のように仰っています。「わたしたちの信仰の強弱、また性別や年齢にかかわらず、主はわたしたちを助けてくださいます。しかしこの助けは、わたしたちの知識や強さ、あるいはわたしたちがだれであるかではなく、わたしたちが自分の置かれた状況の中で持てるものをすべてささげ、最善を尽くしたかどうかに基づいて与えられます。人が力の限りを尽くすときに初めて、主は恵みを与えて助けてくださるのです。」(ジーン・R・クック長老、聖徒の道1993年7月)私たちの能力や状況はそれぞれ異なります。自分の置かれた状況において自分にできる最善を尽くすことが重要です。

 ぶどう園の労働者のたとえ話では、朝九時から働いた人も夕方五時から働いた人も同じ1デナリという報酬を受け取りました。朝から働いた人が、「この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました」(マタイ20:12)と主人に不平をもらしたとき、主人は次のように答えます。「友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。」マタイ20:13-15)主人は、労働時間という外形だけで判断せず、夕方まで仕事を得られなかった事情や与えられた時間の中でどれだけ懸命に働いたかも考慮されたのかもしれません。

 私は、先週解任されるまで三年間ビショップリック顧問として召しを果たしてきました。召された当初は、自分が神殿結婚していないことや息子が教会に来ていないことから、召しを十分に果たすことができるか心配もありました。ただ、自分にできることを懸命に行うときに神の力と助けを受けて働くことができました。希望を持って、心を頑なにせず、自分にできる最善を尽くすときに、主の恵みにより、足りない部分が補われて、神の助けと力を受けるということを証します。イエス・キリストの御名によって。アーメン。

  • 今まで、私の先祖の神殿の儀式を受けて頂き、また、劣文を英訳して頂き、色々お世話さまになりました。ありがとうございました。武井兄弟は既に主の贖いを受けておられると感じます。この度の旅立ちを祝して次の聖句を贈りたいと思います。

    恐れるな、わたしはあなたを贖った。
    わたしはあなたの名を呼んだ、
    あなたはわたしのものだ。
    あなたが水の中を過ぎるとき、
    わたしはあなたと共におる。
    川の中を過ぎるとき、
    水はあなたの上にあふれることがない。
    あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、
    炎もあなたに燃えつくことがない。。
    わたしはあなたの神、主である。
    イスラエルの聖者、あなたの救い主である。(イザヤ43:1-3) -- 岸野みさを 2019-11-12 (火) 21:31:24

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