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2013.07.03 エッセイ「救いの計画」 投稿者:岸野みさを

救いの計画

岸野みさを

            
 あれからもう5年も過ぎ去ったのですね。君たちの中にはすでに人の子の親になった人もいます。懐かしい青春の日々を振り返りますか?
 伸び盛りの君たちと共に「新約聖書」を勉強できたことは、私の掛替えのない宝物となりました。

 ある時レッスンでユダの後に選ばれた12使徒は誰でしょう?と聞くと「ちょっとマッテヤ」という君がいました。「ちょっとマッテヤ」でマッテヤの名前がインプットされました。
 またある時御霊の声をはっきり聞いたことを話してくれた君がいます。アルバイトが終わって自転車で家についたとたんに「戻りなさい」という声がはっきり聞こえて、また自転車をUターンさせて戻ると何が起ったでしょうか?何も起らなかったのですね。君たちは「それは徒労だ」という者もいれば「試されたんだよ。聖霊に従うかどうかを試されたんだ」という者もいました。
 また御霊の促しに従えば成功することについて話してくれた君もいます。高校見学に行ったとき御霊にうながされて自分が教会員であることを友達に話してその日の集会に誘ってみると、すんなり教会に来てくれましたね。
 またあるレッスンで祈りが答えられた証をしてくれた君がいます。神殿に向かっている途中で時間が間に合わないと分って、焦る気持ちを祈りに変えて電車を降りるとなんと、目の前にあったエレベーターのドアーがスーッと開いて、それに乗り込んで混雑している階段を通らなくて済み、10分前に神殿に到着できたと言いました。「皆さんどう思いましたか?」と聞くと「神殿に行こうと決心したことがスゴイ」とか「間に合わないと分かった時の焦る気持ち」と言いました。私は神殿の坂道を駆け上がっていく君の姿が見えるようでした。
 またあるレッスンでキリストが背負わされた十字架がどれ位重いものか君たちに体験してもらいました。
十字架は120kgから130kg位ということで筋力トレーニングをしている君が背中に2人の生徒をおんぶして歩きました。背負うほうは平気でも背負われたほうはずり落ちないように必死にしがみついていましたね。その恰好が可笑しくて見ていた皆は爆笑。
 またある時、羅列された文字の中からキリストの13の称号を探すゲームで、つまり「命のパン」とか「ぶどうの木」とかを探すわけですが、問題を作るときこれは見つけられないかもしれないと思った「ある」ですが、主がモーセに現れた時「わたしは有る」(出エ3:11-18)という名前を使いました。それも見つけて100点満点の君の笑顔がまぶしかった。今では一児のママだなんて、あの時想像できたでしょうか?
 またある時ゲツセマネのキリストの絵を見て「申し訳ない気持ちになる。自分の罪のために苦しまれた」と言った君もいます。
 またある時「イエス・キリストの贖罪」について思うことをA4に書いてくるように宿題をだしました。一人の生徒はA4一杯に書き込んで「キリストの贖罪に感謝するためにも悔い改めをきちんとしたい。悔い改めがなければ贖罪の効力はないからです」と書いてありました。
 寡黙な生徒もいました。質問してもはっきり答えずもそもそという感じでした。
 何故かしょっちゅうお祈りが当る生徒もいました。私は意識して指名しませんでしたよ。
 また部屋の中央に椅子を丸く、決して座れないように並べてどこかえ消えた生徒もいます。
 これが当時の青少年クラスの「救いの計画」の進捗状況でした。
「人はパンのみに生きるにあらず神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」(マタイ4:4)ことが救いの計画の根幹を成しています。
 この世が造られる前、前世で神によって定められた救いの計画はこの世の人々にとっては「イエス・キリストの福音」を意味します。救いの計画のステップである福音の第一の原則と儀式とは1、主イエス・キリストを信じる信仰。2、悔い改め。3、罪の赦しのために水に沈めるバプテスマ。4、聖霊の賜物を授けるための按手であり、キリストの贖罪により、全人類は福音の律法と儀式に従うことにより救われ得る(信仰箇条3)のです。
 キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14:6;エテル4:12)と述べられました。
 ペテロは大祭司アンナスやカヤパの前で「キリストによる以外救いはない。わたし達を救いうる名はこれを別にしては、天下の誰にも与えられていない」(使徒4:12)と力強く証しました。また「わたし達はキリストの復活の目撃証人であり、聖霊も証人である」とイスラエルの家に対して確固たる証を立てました。ペテロはどうして変わったのでしょうか?最後の晩餐の時ペテロはキリストに「あなたのためには命も捨てます」(ヨハネ13:37)と言いながらカヤパ邸の中庭で3度キリストを「知らない」と否定し振り向いたキリストが見つめると外に出て激しく泣きました。失意と憔悴のペテロが復活されたキリストに再会した時どんなに大きな感動と喜びに満たされたことでしょう。記録がありませんので想像しかできませんが…。また復活されたキリストから40日間にわたって神の国について教えを受け、特に「わたしの羊を養いなさい」(ヨハネ21:15-17)と繰り返し厳命されました。キリストが昇天されて9日目のペンテコステの日にペテロは使徒たちと共にかねてから約束されていた聖霊の賜物を授かる、という奇跡が起こりました。こうしてペテロはサンヒドリンの面々から「無学なただの人」と言われていた者が「大神権の大管長会が常に有する天国の鍵」(D&C107:8-9)を持つ者となったのです。

 わたし達がキリストのみ言葉の内に留まり御霊を招き入れる生活をしようと最初の一歩を踏み出すことによって、やがて大きな変化と成長に繋がり、ただ時に運ばれるだけの人生から脱却できるのです。 
 クラスが2つのチームに分かれて競争したとき君たちがチームの名前をつけましたね。あきれたか?あきれない。これがそのチーム名であきれたかチームは君たちの名前の頭文字をとったそうであきれないチームは単にそれに対抗しただけということでした。
 あきれないチームのリーダーが一週間かかってもバラバラになっている言葉をつなげることが出来なかったキリストのみ言葉を最後に終わります。「この聖書はわたしについて証をするものである」(ヨハネ5:39)
 
 
 

  • とてもいい教師でしたね。
    子どもも青少年も、多感なときに出会った
    良き教師とのレッスンは、生涯、
    励みとして残ると思います。 -- 昼寝ネコ 2013-07-03 (水) 22:42:40

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