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2014.03.16 エッセイ「北海道から届いた焼きイモ」 投稿者:昼寝ネコ

Astor Piazzolla - Moderato Mistico

北海道から届いた焼きイモ
 
 
昼寝ネコ

北海道で独り暮らしをしている老母の作る赤飯は
知人の話によると絶品で、虎屋の赤飯を凌ぐという。
えっ!?虎屋って、羊羹だけでなく赤飯も作るのか。
知らなかった。

母の得意レシピは他にもいくつかあるように思う。
冬の間は、石油ストーブで暖をとるが、
そのストーブの上でじっくり焼き上げる
「焼きイモ」がなかなかだ。それと独自製法の「干しイモ」も。
多分、産地や種類にこだわっているせいもあるのだろう。

夕方を過ぎた頃、宅急便で母からの段ボール箱が届いた。
薄切りにした干しイモと、小ぶりの焼きイモその他。
なんだ、イモの話しかと思われるだろうが、
私には、少々不自由になった身体の母が、
体調と相談しながら、親不孝息子のために焼いてくれる
情景が目に浮かぶ。
昼間、久しぶりに会った知人から、被災地では今
自殺者が増えている、と聞いていたせいかもしれない。
昨晩、3.11のあの日から3年を迎え、土砂に半身埋まった
津波直後の息絶えた遺体の写真を見たせいかもしれない。
人間の生と死とを、無意識のうちに見つめ直している。

いつかは近所の方から電話が入り、母の死を知らされるだろう。
そんな日でも、このブログにまるでムルソーのように
「今、札幌から母の死を知らせる連絡があった」
と、平然と書けるのだろうか。多分、書けるだろうと思う。
70年安保闘争の時代から、不思議と何事にも
距離を感じるようになり、醒めて見ているように感じる。
現実社会に生きながらも、現実に対し疎遠な自分を感じている。

一方で、とても不思議な現象がある。
過去を振り返らず、将来のことも突き詰めて
考える人間ではないのだが、最近は予兆することが
多くなっているように思う。
つまり、これから起きるであろう情景が
脳内で見えることがときどきある。
単なる希望的な観測からなのかもしれないのだが。

人間の一生なんて、かくも不可思議であり
変容の行く先など、誰にも予測がつかない。
しかし、生き方が一定してくると、その延長線上の
ほのかに思えた幻影が、徐々に色彩豊かな姿を
現すのかもしれない。
 
 

  • 昼寝ネコさま
    最後の最後まで母として生きている姿が力強く、また哀しくさえ思います。年齢を重ねるたびに認知症が出てくるそうですから、そう思うとわが子のために精一杯のことをしている今が花でしょう。それをしてもらえるあなたさまは親孝行をしているのです。お二人ともいつまでもお元気で! -- パシリーヌ 2014-03-17 (月) 07:08:09
  • パシリーヌさん
    いつも駄文をお読みくださり、有難うございます。これから母に電話し、返礼の代わりにこの記事を読んで聞かせようと思います。年齢と体力を考えると、せめて孤立感を少しでも和らげてやろうと思ってはいます。 -- 昼寝ネコ 2014-03-17 (月) 10:08:21
  • 昼寝ネコさま
    いつも味わい深いエッセイありがとうございます。カミュの引用など鳥肌が立ちました。母は焼きいもと干しいもが大好物でした。しみじみ母を思い出しながら、また自分の人生に重ねながら読みました。私も70年安保を肌で経験した一人です。カミュ全集を買ったのは高校3年の時です。古本屋でも買い取ってもらえず、本箱の奥にねむっています。「サルトルもカミュも古び山笑う」
    -- としえ 2014-03-17 (月) 10:10:34
  • としえさま
    「~山笑う」って季語なのでしょうけれど、積読の本の山という意味も入りますか?素晴らしきかな、この名句!ご主人死後初めて創った俳句ですか?夫も笑っていることでしょう。 -- パシリーヌ 2014-03-17 (月) 11:01:16
  • としえさん
    コメントを有難うございます。うっかりカミュ、と表記しましたが、正しくはムルソーでしたので修正しておきました。高校生でカミュを読まれたなんて、どういう感性の方だったのでしょうか。驚きです。カミュ全集は新潮社の厚い単行本ぐらいしかなかったように記憶しています。サルトルの実存主義に傾倒し、教会の牧師さんと議論しようと考えて、たまたま行ったのが英会話のチラシを渡された教会でした。レッスン中に、いかにキリスト教が誤っているかを宣教師に向かって力説したのですが、結局は1週間だけの付き合いのつもりで改宗し、ずるずると40数年経ちました。人生とはかくも不思議なものですね。教会の方から、サルトルとカミュの名前を聞くのは二人目です。嬉しいものです。 -- 昼寝ネコ 2014-03-17 (月) 11:12:05
  • パシリーヌさま
    春の山のことで、積読の本の山の意味はないです。面白い発想だと思いますが。コメントしながら即興で作りました。今晩あたり笑って夢に出てきてほしいです。 -- としえ 2014-03-17 (月) 11:44:29
  • 昼寝ネコさま
    で、教会員は教養がないってことですか?昔、東北に伝道に行く若者に現地の人に宮沢賢治のお話をすると喜びますよ、というとポカンとしていました。キリストのみ言葉を伝えにいくのであって、と言いたいのでしょうが、それは分っていますが、共通の認識を持つことはコミュニケーションをとる上で大切ではないかという意味で言ったのですが、この時のカルチャーショックよりは、たったの二人、のほうがマシでしょうか? -- パシリーヌ 2014-03-17 (月) 11:48:36
  • パシリーヌさん
    思想・哲学を教養や知識として捉えるのは、大学の先生だと思います。苦難の思索を続ける人間にとって、形而上的な活路を見いだそうともがく人間にとって、思想・哲学は道標でありえると思います。サルトル流にいえば、クリスチャンは生まれながらにして聖書により、生き方が規定されているということになりますが、とんでもないことで、人には個々の葛藤や苦難が負わされており、画一的に論ずることはできないと思います。一方で、聖典があり預言者の言葉があり聖霊の助けがあるから、思想・哲学は不要だと考えるのも理解できます。でも、人によっては、その範囲に収まらない人の理解のために、さまざまな感性体験や思索を積む人もまた、必要とされているのだと考えます。 -- 昼寝ネコ 2014-03-17 (月) 12:02:39
  • 昼寝ネコさま
    高校2年の時の倫理社会の先生が色々な本を紹介してくれたのと、哲学するのが好きだっただけのこと、大した感性ではないです。その後はマルクス、挫折、行き着いたのが教会でした。改宗の体験は人さまざまで、私の場合は思想・哲学があったから今があると思っています。確かに道標でありえます。教会の中ではこんな話できませんでしたから、焼きイモの話からこんな話に発展するとは、嬉しいことでなかなかです。私の改宗談もそのうち投稿したいと思います。 -- としえ 2014-03-17 (月) 13:13:35
  • としえさん
    その先生は随分規格外れな方だったんですね。でも、教師として生徒の中にいろいろな可能性を吹き込んだ、いい先生のようですね。横浜の祝福師は、サルトルや実存主義などの言葉がポンポン出てくる方で、見識ある(元)文学青年です。としえさんの改宗談を楽しみにしています。 -- 昼寝ネコ 2014-03-17 (月) 16:52:28
  • 昼寝ネコさま
    ご存じのように、パウロはアテネのアレオパゴスの評議場の真ん中に立って「このおしゃべり」と言われながらも「アテネの人たちよ」と呼びかけて語ったのは彼らが信奉しているストア哲学者でありキリキヤの詩人であるアトラスの「ファイノメナ」(宇宙論)から引用したものでした。
    「われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように『われわれも確かにその子孫である』と。(使徒行伝17:28)
    パウロは自分の知性や学問を印象付けるためではなく、共通の立場に立つことによって
    話を分かりやすくした、と解説されています。 -- パシリーヌ 2014-03-17 (月) 21:06:34
  • パシリーヌさん
    なるほど。確かに「共通の場に立つ」ことは大事だと思います。お互いに自説を声高に主張するだけでは、対立だけでしょうね。誰にでも分かるような言葉で、自説を表現できるようになりたいと、私も思っています。 -- 昼寝ネコ 2014-03-17 (月) 21:39:05

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