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2014.06.14 エッセイ「年齢相応の変容〜『何かあるかもしれない』から『何もない』という確信へ」投稿者:昼寝ネコ

Julia Zenko, Maria de Buenos Aires, Piazzolla

年齢相応の変容
〜「何かあるかもしれない」から「何もない」という確信へ

昼寝ネコ

早世の家系に生まれたという漠とした不安から、
30歳を過ぎた頃から、何歳まで生きられるだろうか
という幽かな強迫観念に捉えられていたように思う。

祖父の他界した38歳を過ぎ、父が亡くなった
45歳をやり過ごし、義父が病死した63歳に並んでいる。

いつの間にか長男が40歳近くになっている。
つい最近まで毎月2回、仕事でドイツを
往復していたらしい。ずいぶんハードな生活だ。

そういえば、ユナイテッド航空のヨーロッパ就航で、
アメリカ経由でヨーロッパを往復すると、とても
航空料金が格安だった30年ほど前を思い出す。

成田からニューヨークへ飛び、そのまま空港で
飛行機を乗り換えて、ロンドンへ飛び、
ヒースロー空港に到着した。

初めてオースチンのロンドン・タクシーに乗り
ドライバーに行く先を告げた。
「ピカデリー広場近くのホテルまで」
「ん?」
「ピカデリー広場です」
「おお、ピッカデリー?」
文字で表記してしまうと、そんなに違いはない。
しかし、耳で聞くと、私の発する「ピカデリー」と
コックニー訛りの「ピッカデリー」とは
まったく違った地名のように聞こえる。

ヒギンズ教授と花売りのイライザの発音矯正用文章、
「The Rain in Spain Mainly Stays in a Plain」
という文章が、今でも懐かしく思い出される。

どこに行っても、単なる商用の通りすがり
という存在にしか過ぎなかったが、それでも
ラ・デフォンスというパリ郊外の高層アパートでは、
新しい仕事を立ち上げるために、パートナー夫婦との
2か月近い奇妙な同居生活を体験したのが懐かしい。

奥さんは出産間近でお腹が大きく、ブルターニュの出身。
ご主人は、フランス領・フツナという島の王様の長男だ。
最初にその話を聞いたときは、経歴詐称の冗談だと思った。
でも、本当だった。私は彼を雇う立場だったので
気軽にファーストネームで呼び、仕事は円滑だった。
「えっ?王様の長男?じゃあ、王子様なの?」
「ウィ」、いや正確には「ウェ」と答えた。

いつか彼が父親の王位を受け継いで王様になり、
その記念式典に私を招待してくれたとして、
多くの臣民の前で、王様に深々とお辞儀などせずに
気軽にファーストネームで呼んでしまったら、
不敬罪で投獄されてしまうだろうなと、想像している。
なので仮に祝典の招待状が送られてきても、
何か理由を考えて、祝電か何かで済まそうと決心している。

どの都市にも独特の空気の匂いと、人の体臭がある。
今も変わらずに、自分のことを「無国籍人間」だと
意識している。

ここまで生きてきて、早世の時機を逸してしまったが
どこに行っても、「何かあるかもしれない」という
期待感を持つこともなく、「何もない」という確信が
すっかり固定化されてしまった。

しかし最近の自身の言動を振り返ってみて、気づいたことがある。
「何かあるかもしれない」という期待も
「何もない」という失望のいずれもが、他動的な傍観者の
発想に過ぎず、「何もない」ところに「何かを創る」
という行為こそが、人間として最も輝いている生き方だと
そのように思えるようになった。

学生寮の先輩からはよく「お前は青臭い」と馬鹿にされたが、
「今あるところの者であらず、あらぬところの者であるように」
という松浪 信三郎訳の、サルトルの言葉が、記憶の中から
鮮やかに甦ってくる。サルトルは無神論的実存主義者だったが
私は明らかに有神論的実存主義者たらんとしているのだと
数十年かけての変容を実感している。それでいいと思っている。

  • 例えば、この世を去ることに関して言えば「何かあるかもしれない」「何もない」これはありがたい日常だと凡人は思うのですが、必ず来るその時を予知することもなく永遠に生き続ける気がするのは慈悲深い主の采配によるものではないでしょうか。 -- パシリーヌ 2014-06-14 (土) 15:08:36
  • パシリーヌさん
    地上での生活で、何に執着するか、あるいは何に執着しないか、それを突き詰めて考える機会は、一般的にはなかなか少ないと思います。私の場合は、終着点が見えないことを気にせずに、日々を送れたらいいなと思っています。 -- 昼寝ネコ 2014-06-15 (日) 00:22:16
  • お二人のやり取りだけだったものですから、こんな遅くなって割り込んでしまいました。このあたりから思考能力が低下し、パソコン開かずが10日位続きました。人生についての思索や生き方はそれぞれが経験してきたことに基づくもので、少しでも共有できるものとの出会いは嬉しいものです。私も何かを創ることで輝けたらいいなと思います。穀粒の繁栄を願いつつ。 -- あらら 2014-06-24 (火) 14:24:18
  • あららさん
    人との本質的なやりとりには、難しく言えば「プロトコル」のようなものが存在すると思います。同じ概念を伝えるにも、共有できる要素を多く含む言葉で表現することができるのは、誰を相手にしても必要なことだと思います。あららさんも是非、何かを作ってみて下さい。投稿をお待ちしています。 -- 昼寝ネコ 2014-06-24 (火) 14:39:27

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