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2014.08.04 自分史・家族史「母が語ったこと」  投稿者:加納 敏江
 
 
「母が語ったこと」
 
 
加納 敏江
 
 これは2003年8月、母がつくばワードの聖餐会で話したものです。
 私はこの話を母がしたことを全く知りませんでした。つくばワードのある姉妹から、母のお話の原稿をコピーしてほしいと電話がありました。家庭の夕べで子供たちにもう一度話を聞かせたいというものでした。母に原稿をもらって読んでみると、我が家でも子供たちに聞かせたい戦争体験談でしたので、家庭の夕べで読みました。

 母がこのような思いを持っている事をはじめて知りました。たった一人の兄が生きていてくれたらとよく聞かされていましたが、難しい話はこれまで聞いたことがなかったので驚きました。母が81歳の時に話したもので、もう11年が経ちました。この2年後、病に倒れるとは知る由もありません。兄が眠っている海に私と一緒に行って、献花するのを楽しみにしていましたが、とうとう叶うことはありませんでした。今年で戦後69年になります。
 
戦争体験と平和への思い 加納いと

 青春時代を思い出すままとりとめもないお話ですがどうぞお聞きください。

 朕(ちん)深く世界の大勢と帝国の現状にかんがみ・・・に始まる昭和20年8月15日正午、畳に両手をついて、天上はるかに流れて来た玉音の低き声に体をうたれる思いでした。玉音が響き終わって又音がありません。この無声の号泣が国土に起こり、国民1億ひとしく東京に向かってひれ伏して泣いた事を思い出します。

  玉音にひれ伏し泣きし日も遠く

  玉音に泣きし青春の油照り

 昭和20年8月6日8時15分、広島に新型爆弾が投下され、8月9日に長崎も被爆しました。空が抜けるように青く、又大変暑い日で唯々蝉が鳴いていました。日本国民には哀しい日で、涙が出なくなるまで泣き続けました。毎年の終戦記念日を万感の思いで迎えております。

 終戦から今年は58年になります。その間日本人が、いや、戦争による被害を受けたすべての人がその影響下で生き続けて来ました。或る人は肉親を失って尚生き延びねばならなかった。この年代の人々にとっては、生きるということは正に戦後処理との闘いでした。今、日本はこの年代を中心とする人達の苦難と努力によって、未曽有の繁栄を遂げています。大東亜戦争を経験したその時代の国民は「欲しがりません勝つまでは」の合言葉に、何事も耐えに耐えて銃後は挙国一致の体制でした。昭和20年8月15日この日を迎えるまでの日本は困苦欠乏の生活でしたから、食糧はもちろん何から何までないないづくしでした。このことは過日他の姉妹がお話をして下さったので私は省かせていただきます。終戦記念日に白粥を炊いて、感謝しながら当時を偲んだ事もありました。

  しろたへの粥を八月十五日

  夕焼けて戦死の兄の眠る海

 戦後を全身で感じとり、平和を全身で感じとり、戦争を見つめ直して生きているという実感を改めて思います。

 茨城県での戦中最大の惨禍は、昭和20年6月10日の土浦海軍航空隊と日立製作所日立工場に対する米空軍B29の爆撃でした。当時の報道機関は軍の厳しい管制下にあったので、あまり一般には知らされなかったと後で聞きました。戦死者の氏名確認も死体の激しい場合は誰の死体やら、また一人なのか二人なのかも判らず、さらに焼け跡や壕から次々と戦死者が発見され、近隣航空隊から応援が来て負傷者の対応におわれたとの事を聞きました。土浦上空を飛来した時は生きた心地もありませんでした。防空壕に入ると言うより、手っ取り早い押し入れに母と二人で隠れました。爆弾が落ちたら押し入れなどでは死んでしまいます。その恐ろしさは忘れる事は出来ませ
ん。

 パラオ、サイパン、ニューギニア、ラバウル、ガダルカナル、ビルマと、当時の新聞やラジオで伝えられてくる地名と共に、その度に多くの兵隊(つわもの)が散って行きました。

  君のため盡す命は惜しまねど唯気にかかる国のゆくすえ

 敵味方の多くの命を呑んだ南漠は今、無心の静けさを保っていますが、はたしてこの静けさがいつまで続くのでしょうか。

  逝きしまま還らぬ人や終戦日

 神風特別攻撃隊、これは十七、八歳位の若者が国を思い命を捨てて、飛行機と共に敵の陣地に自爆するのです。帰らぬ人となった数多くの若者を思うとき唯々泣けるだけです。

  身はたとへ愛機と共に砕くとも魂永久(とわ)に国を護らん

 若くして国を思い次代を信じつつ散って行った若い人達の死に対して、生きている私達はどれ程の心を持って応えているでしょうか。再び銃を持って海を渡る人達が、「平和」の美名のもとにあったなら恐ろしい事だと思います。

 話は変わりますが、警察予備隊が保安隊となり、その都度軍備が拡大されているように、特車が公然と戦車と呼び名が変わったように、時代は足音を忍ばせながら間違いなくいつか来た道を歩き始めています。8月15日は人生の大転換期として、苦難の道を歩いてきた人達が生きている限り簡単に忘れ去る事は出来ません。私達世代が消え去った後もこの日の事は、日本独自の新しい歴史観で語り継いでいって貰いたいと私は唯々思うばかりです。

 昭和20年4月8日、横浜の義兄より夫がニューギニアのウエワクで戦死との知らせがありました。(注・母は横浜に嫁ぎ結婚1年で夫が27歳で戦死した。実家に帰っていた時で、そのまま加納の姓に戻った)私の家でも兄が昭和20年4月6日に海防船23号に乗り、宇品港を出て昭和20年4月16日に岩手県とど埼沖24度2里の所で、アメリカ
の魚雷を受けて戦死の公報が入りました。もう帰るか今日は帰るかと、待ちに待っていた両親にはあまりに過酷な知らせで、泣いても泣いても泣ききれぬ思いで涙が枯れるまで泣きました。三重県を通じて遺骨を引き取りましたが、骨箱の中には名前の書かれた紙が1枚入っていただけなので、戦死を実感することができないまま生還を信じて待っていました。兄も27歳でした。

  亡き人の面影を追う終戦忌

 二人のお葬式が終わったら父が病に倒れ、昭和20年10月2日他界してしまいました。父は55歳でした。三人のお葬式を済ませて母と私と二人が残されてしまい、男三人の死に母も私も悔やみても悔やみきれない思いでした。三人の死にも立ち上がり、戦後58年の年月が過ぎました。よくぞ生き抜いて来たなあと今更思います。戦中戦後の影響をもろに被った年代の一人です。

 いくら娘に言われても私は教会に入る事を拒んで来ました。たまたま娘が八王子より来て、「お母さん、バプテスマを受ければ又家族が皆一緒に住む事が出来るのよ」と言われ、その一言で1991年5月5日バプテスマを受けさせて頂きました。

 昭和20年8月6日広島に新型原子爆弾が投下され、長崎には8月9日上空580米で爆発しました。58年を経て捧げる黙祷の1分間、静まり返った時の流れの中、今まで生かされた事を神様に感謝致します。

  幼な児に黙祷ながし蝉の声

  鐘の音の深きしじまや原爆忌

 語らずして戦争の悲惨さを埋没させてはならないと思います。国のため多感な青春を戦場に散った多くの若者の無念の思いを残す事も、私達時代を共にした者の責任であると思います。私達の子や孫をその渦中に置いたままこの世を去ることはできません。あってはならない事だと言い古された言葉ですが改めて思います。今なお被爆の後遺症で苦しんでいる人、原爆の犠牲になられた人、子供を連れて泣き叫びながら逃げまどい死んでいった人、熱いので川に飛び込んで死んだ多くの人々を思う時、戦争の無惨さが脳裏をよぎります。

  語り継ぐ人も老いけり原爆忌

  涙またあらたに今日の終戦日

 戦争は勝っても負けても悲惨な戦禍が残るだけです。歴史に学び平和な暮らしが守り続けられることを願って止みません。命を粗末にする若者の事件を聞くたびに胸が痛みます。戦争の悲惨さを思い、平和の尊さを神様に感謝致します。これらを全部イエス・キリスト様の御名によってお話いたします。アーメン
 
 
 

  • ノンフィクションの史実には、重みがありますね。戦争を経験されてなお、力強く生きてこられた様子を垣間見て、頭の下がる思いです。 -- 昼寝ネコ 2014-08-04 (月) 17:09:41
  • 加納敏江姉妹
    お母様の貴重な記録が遺されていて、子供さんに聴かせてあげることができてよかったですね。子供さんは又自分の子供に語りつなぐことによって、平和を辛うじて繋いでいくことができると思います。 -- 岸野みさを 2014-08-04 (月) 20:29:55
  • 昼寝ネコさま
    今は猛暑、豪雨、土砂災害、突風被害など異常気象や自然災害で、一見平和に見える日本では戦争体験より各地の被害に関心が集まっているようです。身近な問題ですし、被害を受けた方々にはこれが現代の戦争と言えるのかもしれません。昔の戦争の話は隅に追いやられているようにも思えます。でも母の思いを遺せたのでよかったです。
    岸野みさをさま
    おかげさまで母の自分史の一部として、また我が家の家族史として記録をここに遺せてよかったです。八王子にいる頃、子供たちは「はだしのげん」をぼろぼろになるまで読んだのに、戦争は遠い昔のことになっていて、祖母の思いをどこまで受け止めてくれるやらです。 -- 加納敏江 2014-08-11 (月) 19:06:32

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