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2016.06.05 自分史・家族史「「徒然日誌ー介護編(2)」 投稿者:すずらんの里

 「介護」この言葉にあまり好感を持てない。あくまでも個人的な感覚ではあるのだけれど。その始まりは静かに訪れた。義母の様子が少し違うなぁと感じたのは時々孫たちも連れて実家を訪れていた時のこと。初めは同じものを買ってくるようになり、戸棚にそれが増えて行った事からだった。私自身も「そんな事」は度々あるのだが。几帳面だった義母のそれに何となく違和感を覚えた。「年のせい」とたいてい認知症の初期はそれで通ってしまう。義母は穏やかそうに見えるが、芯の強い人で多分、自分の中での変化に気づいていたと思う。気丈にふるまい「老い」を見せないようにしていたのだと思う。違和感はやがて「もしかしたら」に変わっていった。我が家の子どもたちの人数が合わない。プレゼントの数が違ってくる。男の子3人の意識はあるが、女の子が義母の中にはいない。

 義母の病は義父に対する態度で確信が決定的になる。感情のコントロールが難しくなっていたことは後で分かるが、義父本人にとっては妻が別人になったと深刻だった。義母の本音なのか、病気が言わせているのか当事者同志で始まった言い合いは周りの人を巻き込むことになる。
 
 義父の行動、言葉一つ一つに「文句」を言う。そこから始まり過去の言動に戻って、夫がいかにひどい人か、を話し続ける。義母はずっと我慢していたのだろうと女性陣は理解しようとしたが、聞いているうちに義父への同情に変わっていった。「お父さん」を弁明しようものならかえって逆上、収まらない。
ところが、何かのきっかけで、何事もなかったかのように平常に戻り、自分の発していた言葉に何の反応も示さず時がなかったことになっている。

 内々での「困った」はまだ何とかしていくが、内だけではとどまらず、行動が想像を越えていくようになる。この頃から家族の中で「義母の病」を疑うようになっていく。嫁の私には認知症の指南本にある症状そのものを義母に見ていたが、実の息子娘にとっては、絶対的な存在が崩れていくことを受け入れるのは難しかった。私も実母ならどうしていただろうと自問した。やはり、受け入れるのは今とは違うだろう。

 義母は毎日買い物に行く、散歩のように。ところが「散歩のように」何も持たずに出かけ、店で買い物をしてしまう。カードで買い物をしてしまう。月末の支払いを見てびっくり。これまでには考えられない金額になる。子供たちが独立して、夫婦2人の生活になり、義母の日常は大きく変化をしていた。が、家族はそれが大きな変化だと気付かなかった。

 病がなければ、ごく普通の生活の変化だったと思うが、小さな病気の種には充分すぎる栄養だった。
もっと早く気付いて義母にあった対応をしていたら、義母もあんなに「苦しまなくても」済んだのではないか。(心の状態は本当につらかったと思う)後悔にしかならない思いだが、もしそのような経験をこれからする人がいるとしたら、事実を早く認知して対応することを切にお勧めする。
  
 今、脳科学は進歩を続け10年前とは比べものにならない程である。臨床も薬の研究も介護のスキルに至るまで、多くの選択肢がある。病は避けられない事もあり、誰かが悪いわけでもない。でも対応次第でその生活のクオリティーを維持したり笑顔で過ごせる方法はあると信じている。今も、徒然に…。

  • 認知症は周りの人々にとってはつらいことだと思います。本人にとってはどうなのでしょうか?初期段階では本人は「何かがヘンだ」ということを感じ取っていると学びました。だんだん進行していくと事態が判別できなくなり、挙句の果てにはやりたい放題だと聞いています。つまり、やりたい放題なので、本人は幸せなのではないか、ということです。たとえ、幸せを感じるところまではいかないにしても幸もなく不幸もない、アダムの背きの前の状態だと周りの人は考えてみてはどうでしょうか? -- パシリーヌ 2016-06-06 (月) 09:48:06
  • すずらんの里さま。認知症患者は相手の気持ち(立場)を考えず、本音を言ってしまうのでしょうか?自制したり、感情のコントロールが難しいのでしょうね。早期に事実を受け入れ、理解、支援が大切なこと、参考になりました。 -- 故郷 2016-06-07 (火) 11:12:44

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