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'2018.07.29 自分史・家族史「祖先探訪かぞいろは(5)―保科―」

―女性天皇

 保科正之の系図を調べていて分かったことがあった。それは………
保科正之(1611-1672)の4歳違いの異母姉徳川和子(マサコ)(1607-1678)は祖父家康の政略結婚によって4歳で(1611年4月)11歳年上の第108代後水尾(ゴミズノウ)天皇(1596-1680)に入内(ジュダイ)が決定した。「大阪冬夏の陣」の後、家康没後になったが、1620年6月18日第2代将軍徳川秀忠の5女和子は入内した。和子の使命は次期天皇を生むことであり、徳川家の血筋を皇室に入れるためのものであった。4年後に輿子内親王(1624-1696、幼名女一宮)が生まれ、又、2年後には高仁(スケヒト)親王(1626-1628)が生まれ、昭子内親王(1629-1651)が生まれた。

 1627年徳川幕府は「禁中並公家諸法度」を(キンチュウナラビニクゲショハット)」を発布して、朝廷のあらゆる権威抑制を定めた。
天皇が決定したことを幕府が取り消すという紫衣(シエ)事件が起こって、大徳寺の玉室・沢庵らが流罪となった。

 高仁親王は2歳で夭折した。

 幕府に対して諸事不満を持った後水尾天皇は幕府に無断で娘一宮に譲位を決行して第109代名正(メイショウ)天皇を即位させた。859年ぶりの女帝である。名正天皇という追号は奈良時代の元明(ゲンメイ)天皇と元正(ゲンショウ)天皇の母娘二代の女帝のそれぞれの一字を取った。

 幕府の目論見通り徳川の血を引く人物が天皇になったかに見えた。しかし名正天皇は21歳で皇位を異母弟の紹仁(ツグヒト)親王(後光明天皇)に譲った。
 名正天皇が退いてからも、後水尾天皇は法皇となって院政を敷き、朝廷内で最高の実力を保ち続けた。和子は他に男2人女2人を出産した。また、天皇は女官7人により合計33人の子どもをもうけ天皇の血統を守ることになった。家康の野望だった徳川家のDNAは皇室に継承されることなく一代限りで途絶えた。

 1680年後水尾天皇は85歳で崩御し、最長寿の記録は昭和天皇に破られるまで続いた。

 女性天皇は、推古(スイコ)天皇・皇極(コウギョク)天皇・斉明(サイメイ)天皇・持統(ジトウ)天皇・元明(ゲンメイ)天皇・元正(ゲンショウ)天皇・孝謙(コウケン)天皇・称徳(ショウトク)天皇・明正(メイショウ)天皇・後桜町(ゴサクラマチ)天皇が今までに存在した。
皇極天皇と斉明天皇、孝謙天皇と称徳天皇は同一人物で、2回天皇になっているため、天皇としてのおくり名が2つある。これを重祚(ちょうそ)という。

 現在の皇室典範(皇室の基本法)では女子の皇位継承を認めていない。

 今年は神武天皇から数えて皇紀2678年であり、世界最古の皇室が万世一系の男系天皇を
 継承している。女性天皇が存在してもそれは男系の女性天皇であり、中継ぎであった。

 (以下 女性(女系)天皇が認められない理由 その1「Y染色体の継続」
2017-01-09 15:51:45 | 日本人が知っておくべきことから抜粋引用。

 細胞の核にはヒトの遺伝情報-染色体(クロモゾーム)が23対あり、対の片方は父親からもう片方は母親から引き継がれている。その内の1対は性染色体でXXの場合は女性でXYの場合は男性になる。つまり男性のY染色体は父親のY染色体から引き継がれている。

 これを天皇家に当てはめてみると今上天皇のXY染色体は、昭和天皇のY染色体と、香淳皇后(昭和天皇妃殿下)のX染色体。また昭和天皇のXY染色体は、大正天皇のY染色体と、貞明皇后(大正天皇妃殿下)のX染色体ということになる。

 つまり、ずっと遡っていけば、現在天皇継承権のある男性皇族には初代の神武天皇のY染色体が、ずっと2678年も引き継がれている。これを一系という。
 以上が、「何故天皇は男性でなければいけないか」の理由である。

 戦後GHQのマッカーサーは昭和天皇と弟以外の11宮家を強制的に皇籍離脱させた。11宮家は初代の神武天皇以来の血筋を守ってきた家々だった。
そのため、彼らの子孫である「旧皇族」を「皇族復帰」させて、男系天皇の継承を主張する人々が多くいる。現在10人くらいの「旧男系男子皇族」が現におられる。

 高崎経済大学教授の八木秀次氏が次のように指摘した。
「たしかに、将来の皇室、そして新宮様を支える皇室のシステムはどうしても必要です。そして伝統を守りながら、言いかえれば女系に頼らず、男系男子による皇位継承を続けながら、皇族の数をふやすことは可能です。それには元皇族の活用が最善なのです」

 皇族の範囲を広げると共に皇族を天皇から4世までと限定する案だ。4世以内なら結婚後の女性も皇族とする。但し、その女性が天皇に即位すれば万世一系の血統が絶たれるために、女性天皇の配偶者は旧11宮家の子孫から選ぶという考えだ。

 「婚姻の自由の原則に反するといわれるかもしれませんが、皇族には選挙権も被選挙権も職業選択の自由もありません。天皇は国民、国家のために日々をすごされます。帝王学によってこの精神を学んでもらい、元皇族の子孫から配偶者をもらっていただくのです」

 つまり、男系天皇制の否定は、日本の伝統を絶やし、日本国家の枠組みを大きく変えてしまうという懸念です。

 このような考え方に対し、日本の「国体」は日本国憲法制定の時点ですでに変わっている、という反論があります。その中に「八月革命説」、つまり1945年8月の敗戦により日本の国体は変わったのだ、というものがあります。

 実際、2003年、国連において女子差別撤廃条約が審議されていたとき、外国の委員から「日本の天皇制は条約違反」という指摘があったといいます(読売新聞2005年12月23日号、坂東眞理子氏(元内閣府男女共同参画局長、現昭和女子大学副学長)へのインタビュー記事より)。

 天皇陛下の譲位の日程等を決める皇室会議が1日午前、宮内庁で開かれ、平成31年4月30日に譲位して5月1日に改元することが決まった。政府は5日の閣議で結果を報告し、8日の閣議で譲位日を定める政令を決定する方針。天皇の譲位は、江戸後期の119代光格天皇(1771―1840)以来、約200年ぶりとなる。(2017年12月1日 産経新聞)

 天皇制にくわしい国士舘大学政経学部政治行政学科の百地章特任教授は次のように語っている。

 「歴史上の天皇は必ず“男系”天皇が継承してきました。男系というのは、天皇の父方の家系を遡っていくと必ず神武天皇に行き着く系譜を指します。お父様が天皇家の血を継ぐ方であれば、女性が天皇になっても男系天皇になるのです。ただし、仮に女性天皇が民間人から婿を迎えて、その子どもが天皇を継承すると、そこではじめて“女系”になります」。

 男系と女系の区別には誤解が多い。歴史上にも女性天皇はいたが、在位中に結婚することはなく、必ず男系の親族に継承し、血統を維持してきた。しかし、なぜそうまでして男系天皇にこだわらなくてはいけないのか?

 「世界の常識として、王室というのは男系で語られます。例えばイギリスではチューダー朝やヨーク朝のように、女王が王家とは別の家系の男性を婿に迎えたことで、王朝が変わっています。対して日本は、ずっと男系天皇なので、王朝が変わったことはありません。世界から見ても奇跡的な家系と呼べるでしょう」。

 歴史上、天皇家は何度か断絶の危機を迎えたことがある。しかしそのたびに10親等も離れた縁戚の男子に継承したり、男系宮家を創設するなどして乗り越えてきた。「天皇家が、世界で唯一無二の歴史を誇る背景には、この家系を途絶えさせまいと2千年以上も積み上げてきた努力があります。神社やお寺、あるいは七五三といった風習よりもはるかに古い伝統で、まさに日本の心。それを今、壊してしまうことに何の意味があるでしょうか」。

 天皇家の伝統を女性差別だという人がいる。しかし、どれだけの人が女性天皇と女系天皇の違いを理解しているだろうか? 女系天皇は2千年以上も紡がれてきた日本の歴史を覆すことになる。メディアの軽はずみな発言に踊らされず、正しい知識を持って議論することが大切だ。

※この記事はウゴパン47号(2017年12月14日発行)に掲載されたものです。

 2017年6月に天皇陛下の退位を認める特例法が成立したが、皇位の安定継承策は現在も重要課題として議論されている。これを機会に「男系天皇」という日本古来の伝統について、よく考えてみよう。


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